こけし日記

読むことと書くことについて

やってみたいことリストをやってみた結果

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早々にもういいかとなった

年始に前から興味があったやってみたいことリストを作った。
12月にコロナウイルスに罹患して、2月まであまり出歩けなくて、回復してきた2月中旬からいろいろやってみたのだけど、3つか4つくらいやった時点で、もういいかなという気持ちになってしまった。飽きたというより、満足したという感じ。
早すぎる・・・。


やりたいことに制約が多くてそんなにできない


理由はいろいろあると思うんだけど、「やりたいこと」の多くが、1つやるのにお金がかかったり時間が必要なものが多いこと。
経済的、時間的制約のせいで、そうそういくつもこなせない。

 

一個やると満足度が高い


2つ目が、やりたいことを次々やって消費するような態度に疑問を感じたこと。
例えば、「13.小栗旬の舞台に行く」は、これはかなり満足度が高く、その後しばらく他の演劇やドラマや映画を見たくなくなった。一ついいものを味わうとずっとその世界に浸りたいというところが自分にはあって、じゃあ次となりにくい。

 

備忘録の代わりになっていた

3つ目が、私にとって「やってみたいリスト」が「やりたい」より、備忘録に近いものであること。
以前、『花束みたいな恋をした』の感想を話す会に参加したことがある。
そのときに、ある参加者が有村架純天竺鼠のチケットを取ったのに、その場の流れで行かなかったことを指して「執着がない」と言っていた。
私はそれを聞いてよく意味がわからなかったのだが、おそらくそういう文化に対して意地でも見たいというような執着心のなさを指して言っていたのだと思う。
正直私も執着がない方だと思う。
忙しい、都会の劇場や文化的なスペースのあるところまで家が遠い、体力がない、等の理由により、はなから自分が手に入れられる範囲の文化とそうでない文化を分けているようなところがある。また、人の影響を受けやすいのと熱しやすく冷めやすいので、マイブームが来てすぐ去るようなところがある。
しかし、文化鑑賞は教養主義的な側面があって、つまらなくても全作品を見るというような勉強も必要だ。そういうのは「やりたい」と「やらなければ」の中間に位置するようなものだ。
執着が薄い自分にとっては、「やりたいことリスト」に書くことでなんとか「やらなければいけないこと」を「やりたいこと」にして、忘れないようにしている部分がある。
つまり、自分にとっての「やりたいこと」リストには「やらないといけないこと」や「やった方がいいかな」と思ってることも入っているのかもしれない。


それでもリストを作る理由

自己肯定感につながる


じゃあ作った意味がないのかとか、そういうリストしか作れない自分は欲望が薄くてダメなのかというと、そういうわけではない。

以前読んだお笑い芸人でゴミ清掃員をしている滝沢秀一さんの『働き方解釈』という本がある。これは滝沢さんがダブルワークを推奨するという本だ。
そこに、「やりたいことをまとめておく」のが自己肯定につながるとあった。

やりたいと思うこと=肯定的なものである。

自分の内側に何かを求めたところでマイナスなものしか出てこない時期がある。自分自身のことを必要以上に知ってはだめだ。余計暗くなる。

それよりも強いていうなら何がやりたいかを書けるだけ書いておく。簡単なことでもいいと思う。髪の毛を切りたい、でも構わない。髪の毛を切ればどうなるか? さっぱりする。気持ち悪くなりたくて髪を切りたいと思う人はいない。やりたいことの結果はすべてプラスなのである。


やりたいことが自己肯定につながるというのは、なるほどと思った。

どうしてやりたいことリストが自己肯定につながるのか

ここからは私の考えだが、どうしてやりたいことリストが自己肯定につながるのかというと、「他人の欲望」と「自分の欲望」の境界を引くことにつながるからではないだろうか。
今はネットにも町にも常に広告があふれている。
おススメされてくるものは山のようにあるが、資源は限られている。

また、自分がしたいと選んでいるようで、環境やプラットフォームに選ばされていることも多い。また、現実の人間関係の中でも発言が苦手だったり、ほかに欲望をうまく出して人を巻き込むのが上手な人がいたりすると、そちらの意見に譲ったり、自分も巻き込まれてしまったりする。

「人の欲望」に巻き込まれたり、「人の欲望」を自分の欲望と取り違えたりしたとき、モヤモヤすることがある。
そんなときに「やってみたいことリスト」は「自分の欲望」を確認するためのアンカーとなるのではないだろうか。

やってみたいことリストを生かすために

やってみたいことリストに囚われない

今、1月に作ったやってみたいことリストを見ると、今は全然興味のないものも多い。
一度作ったからといって絶対にそれに囚われる必要はない。
一個やると一個減ったり、その分ほかに興味が出て増えたりする。
備忘録だけど、今あるリストに囚われる必要はなく、常に作り変えていった方がよさそうだ。

自分の幸せを自覚する

やってみたいことリストでやりたいことをいくつもやっていくうちに、少しずつ「つまらない」「何もおもしろくない」「何もやりたいことがない」みたいな気持ちの方が大きくなってきて、無気力になった時期があった。
「自分の欲望」を自覚することは大事だけど、私にとってはそれだけを追いかけたり、何かを消費したりすることが、自分にとっての幸せではないのかもしれない。

コロナと前職での鬱屈がたまりすぎて、3年くらい自分のことしか考えたくなかった時期があった。
しかし、本来の私は、自分の楽しみだけを満たして、それだけを追いかけても虚しくなっちゃうタイプなんだと思う。

やってみたいことリストを消化するだけでは幸せになれない性格だということがわかっただけでも、作ってみてよかったと思う。