こけし日記

読むことと書くことについて

「アップデート」VS「人間の変わらなさ」(朝倉かすみリクエスト『スカートのアンソロジー』)

だいぶ前のことですが、小説家の朝倉かすみさんに『スカートのアンソロジー』という本をいただきました。


スカートをテーマに朝倉かすみさんがご自身も含めた9人の作家(北大路公子、佐藤亜紀、佐原ひかり、高山羽根子津原泰水中島京子藤野可織吉川トリコ:敬称略、順不同)に作品を依頼して書いてもらったアンソロジーです。

 

恥ずかしながらアンソロジーはあまりなじみがなく、また初めて読む作家さんも多かったのですが、どれも読みごたえがある作品ばかりで、とても楽しめました。
一昔前だったら同性への意地悪な目線や女性が少女から大人になることや性的な話を描いた作品が多かっただろうなと想像するのですが、このアンソロジーでは社会への違和感を描いたものが多くてそれも新鮮でした。特に、性被害、女性以外の人がスカートを履く話が多くて、これも時代なのかなと思いました。

私が特に印象に残ったのは、中島京子氏の「本校規定により」という作品です。
これは、ある女子高校の男性体育教師の一代記のような作品です。
主人公のナカムラタメジは長年高校の生徒指導係として、女子生徒の制服の着方を指導してきました。そこで常に問題となるのがスカート丈でした。
よくある物語だと、タメジは頭の固い「おじさん」として描かれそうなものだけど、
この物語ではタメジが周囲の意見を聞いて結構考えを変えるところが興味深く感じます。
タメジはただの頑固おやじではなく、生徒の制服の着方から時代の変化を敏感に感じ、妻や娘に知恵を借りながら、柔軟に校則を変えていきます。
正直タメジが、女子生徒たちの困りごとを全部理解しているかはわかりません。
ただ、それを頭ごなしに叱ったり、それは変だと否定をすることはありません。
女子生徒らの行動の裏にある動機を自分なりに探り、対策を考えています。

そこで思い出したのがドラマ『不適切にもほどがある』です。
中学の体育教師で野球部顧問の小川市郎がバス型タイムマシーンで令和と昭和を行き来するタイムスリップコメディです。
このドラマでは、何か問題が起こり、そこに市郎が昭和的価値観で令和のここがおかしいんじゃないかと指摘し、解決をはかるということが多いです。
市郎は昭和的な価値観で、令和の行動や発言に対し、「それはおかしいんじゃないか」と違和感を唱え、周りの人は市郎に感化されて変化していくといような物語です。
そして、その姿がどうも「おじさん擁護」として受け止められ、批判されています。
また市郎の対極にあるようなキャラとして設定されているはずのフェミニスト社会学者の向坂サカエも、フェミニストらしからぬと批判されています。

内容はさておき、その批判の仕方に対して、ときどき首をかしげたくなることがあります。
そもそも、人間そんなに簡単に「共感」したり「理解」したりして、今までの習慣や考え方をすぐ「アップデート」できるのでしょうか?

ここ数年広まった「多様性」「ジェンダー平等」「インクルージョン」といった言葉を見るにつけ、私は自分がマジョリティの側にいることを嫌というほど思い知らされます。
以前私は出版関係の仕事をしていました。
学歴が高い人や、リベラルな考え方が多い業界だったので、そういう考え方に触れる機会が多かったのですが、そのような考え方に触れるたびに私は自分の中にある差別意識や、古い価値観、思い込みに気づかされることが多かったです。
そして、なんとか自分も「アップデート」しようとするのですが、どこか自分が口先だけのように思うことが多かったです。

「アップデート」という言葉を使うとき、同じくらいもっと「人間の変われなさ」にも注目されてもいいのではないかと思います。
「アップデート」には「共感」や「理解」が必要だとされがちです。困っている立場やマイノリティに「共感」し、「理解」ることで、思考がアップデートされるという図式になりがちです。

例えば、「本校規定により」では、「スカート穿くと仮装してるみたいで心が傷つく」というタケナカミユという生徒が出てきます。そこでタケナカがスカートを穿きたくない理由に「共感」したり「理解」できないと校則が変えられないということになると、マイノリティであるタケナカの側に説得というコストが生じてきます。
しかし、タメジがタケナカの「スカート穿くと仮装してるみたいで心が傷つく」という訴えを受け止め、「スラックスの制服を作る」という合理的配慮をすることができれば、タケナカの困りごとはスムーズに解決できます。

生きてきた背景も環境も時代も違う人間がいきなり、「今はこういう時代だからアップデートしろ」と言われて「はいそうですか」と考えを改めることは、簡単なようでいて実はなかなか難しいのではないでしょうか。
タメジがアップデートできたのは、女子高で女子生徒のサンプル数が多かったことや、妻や娘がいたことによる部分も大きかったように、そうできる人は知や情報へのアクセスが容易だったり、周りに説明してくれる人や多様な立場の人がいる環境に置かれていたりすることが多いのではないかと思うからです。
やはり、「アップデートできない人」と「できる人」の構造的な格差もあるような気がしてしまいます。

タメジが思考をアップデートできたのは、自分で娘の学生時代の制服のスカートを穿いてみたことがきっかけでした。寒さを身をもって体験したことで、スカートの下にジャージを穿く生徒が多かったという理由を理解します。心の底からタケナカの困りごとを理解できたわけではありませんが、スカートは不便だということを身をもって体験したことと、タケナカがスラックスの制服なら着るという意見を聞いたことで、「スラックスの制服を作る」という判断を下します。

人間はそう簡単に変わるものではないと思います。
今まで生きてきた信念を捨てたり変えたりすることはそう簡単ではありません。
しかし、変わらない(変われない)自分に固執したところで、「頭が固い」とかコンプラ違反で批判されてしまいます。それでは結局アップデートした人とアップデートできないままの人との対立が温存されてしまうのではないでしょうか。

それよりも、「人間はそんなにすぐには変われない」ということを念頭に置き、(自分には)理解、共感できないけど、それを望んでいる人もいる、という考えでシステムを先に変えた方が、皆が幸福になれるのではないでしょうか。

大事なのは、「アップデート」しない人間を叩くことではなく、むしろ「人間の変わらなさ」を受け入れつつ、それでも新しいことをやることではないかと思います。
制度が変われば見慣れて当たり前になって、それがおかしいことではないと受け入れられるようになることがたくさんあるのではないでしょうか。