こけし日記

読むことと書くことについて

もう若手じゃない

3月が終わって41歳になった。
2月中旬から3月中旬くらいまでずっと気分が晴れなかった。
私は最近自分が年を重ねていることについていけてない。誕生日が来るたびに自分の年齢が若いころの想像の及ばなかったところまで来ていることに気づいて愕然としている。
昨今のエイジズムといった言葉などを見ていると、年相応と言うのは自分の可能性をつぶすよくない言葉のようにとらえられている。
もちろんいつだって何か始めるのに今が一番若いは真実だ。やりたいことがあるならやり始めればいい。挑戦はいいことだ。
だけど、自分が対象じゃない場所で挑戦し続けるのはどうなのだろうか。
それは現実に目をつぶっているということにならないだろうか。

年下の友人たちが次々土俵に上がっていく。
その様を見て、自分の番はいつだろうなんて、うっすら期待してしまう。
しかし、私にとってのそういう季節はもうとっくに終わっていた。それを認めるところからくる憂鬱のようなものに飲み込まれそうな1か月だった。

何かに挑戦して、誰かに引き上げてもらって土俵に上がって活躍みたいなところを望むにはもう、年が行き過ぎている。
そう、私はもう若手ではない。

いつだって今が一番若くてなんでもできるは事実かもしれないけど、社会がそれを受け入れるかはまた別だ。
40過ぎてたら誰かにフィーチャーされるよりもむしろフィーチャーする側になってないといけない。
いつまでも若い気持ちのまんまで、いつまでも順番待ちの列に加わってたって、待ってたら自然と自分の順番が回ってくるわけじゃない。
私に望まれているのは、むしろこれまでの成果を引っ提げて取りに行くとか、人にパスを回すというポジションだ。それなのに、私は間抜けにもいつまでもフィールドにいようとして自分にパスが回ってくるのをいまかいまかと待っていた。
そして、いつまでもパスが来ないと嘆いてる。
ダサすぎる。

監督になるか引退するか次のフィールドに行くか。なんでもいいから決めないといけなかったのに、いつまでもゲームの輪に加わって次は自分の番かもなんて、どれだけ自分に甘いんだろう。
何がしたいかわかんないなんて言ってて許される年齢なんてとっくに過ぎている。
もうさっさと自分の登る山は自分で決めて、登頂しないといけない。
フォロワーがいるかどうか応援してくれるかどうか受け入れられるかどうかなんて関係ない。
そういうわき目もふらずにやるということをやってこなかったツケが来てるのが今。

秋から春にかけて、わかっていながら可能性があるかもってダメってわかってること再確認するためだけの試験を受けて落ちて落ち込むみたいなことを何度かやったけど、それは挑戦じゃなくて身の程知らず。
いい加減こんな落ち込み方はやめたい。
やめるには、自分でもう若手じゃないって自覚するしかない。