こけし日記

読むことと書くことについて

情報発信ツールを見直し中です

情報発信ツールを見直し中です。
noteはだいぶ前にアカウントを消しました。
それから先日、Facebookのアカウントを削除しました。
Facebookをやめようと思ったのは、最近ほとんど個人的なことは投稿していなくて宣伝ばかりだったのと、メッセンジャーしか使用していなかったからです。
なんとなく、個人のアカウントで宣伝するのが性に合わないな、でもメッセンジャーを使うしなと悩んでいたところ、アカウントを削除してもメッセンジャーは使えると聞いたので、削除することにしました。

digitalnews365.com

また、以前は名刺交換した方に不定期でメールニュースを送っていたのですが、名刺交換した人からメールニュースが送り付けられるのがうっとおしいし読まずに捨てるという方のツイートを見て、もしかしたら自分のもそう思われているかもと心配になってやめました。
今はニュースレター形式にして、読みたい人だけ登録してもらう形に変えています。

Instagramは、個人のアカウントと夜学舎のアカウントがあり、個人のアカウントに関しては鍵をかけています。
これも運用方法をもう少し考えたいなと思っています。

また、Twitterに関してももう少し使い方を見直したいと考えています。
先日、著名な方がやめたのを見て、私もやめようかなと思っていた時期があるのですが、その方がまた使用を再開しているのを見るとやめるのを迷ってしまいます。

友人が期間を設けて鍵をかけて投稿しないようにしていて、必要なときだけ鍵を開けて使っているのを見て、そういう使い方もいいなと思いました。今後、普段は鍵をかけておいて、お知らせがあるときだけ鍵を開けるという方法も検討中です。

InstagramTwitterは、私にとっては日々の迷いやモヤモヤや気づいたことを吐き出すのにいいツールでした。しかし、自分の発言で失望されたり、イライラされたり、観察対象や消費対象にされる側面もあって、そこが常々どうしたものかと思っていました。

また、マストドンはちょっとした愚痴をはくのに使っていたのですが、その使用方法もやめた方がいいかもと思ってきました。
この10年ほど、SNSで常時人とつながれるようになり、人の本音や愚痴に以前より簡単に触れられるようになりました。しかし、以前は人に愚痴や本音を言うのも、人の愚痴を聞いたり本音を知ったりするのも怖いことだったように思います。身近な人、あるいはよく日常で接する人であればあるほど、そうでした。

でもいつのまにか、個人が特定される形でインターネットにいろんな気持ちを吐き出すのが当たり前になって、自分自身もそういう怖さをどんどん失っていったように思います。
私にとっては、対面で本当の気持ちを話すのが苦手な分、文章で自分の言いたいことを書けて便利だったのですが、それがいつの間にか自分をわかってほしい、気にかけてほしいという気持ちの方が大きくなって、少しいびつな形になっていったように思います。
最近は、対面でできないことをインターネットならできて、それが当たり前と思っているような自分の感覚はちょっとよくないんじゃないかなと思っています。

もちろん、息抜きやリフレッシュのためにちょっとぐらい愚痴を言うことだってあるでしょうが、年中かまってという気持ちでやってると、見る方も疲れてしまうでしょう。
見たくないならミュートやリムーブご自由にとやればいいのかもしれませんが、やはり反応を求めてしまいますし、反応がないと凹んでしまいます。

私は自分の気持ちをこうして書いて記録していきたいし、それはやめたくありません。
それなら、見る人にとって疲れない形、見たい人が見れる形にし、自分自身もかまってほしいという気持ちから距離を置ける方法を探るのがいいんじゃないかと思います。
そうすることで書く人も読者もいい距離感を取れそうな気がします。

できたら今後は、読みたい人だけにしっかりした文章を読んでもらう形にして、主な情報発信方法をブログ、ニュースレターメインに変えていきたいなと考えています。

まだどうなるかわかりませんし、結局Twitterをやめて戻ってきた著名人のようになるかもしれませんが、しばらくはこの方針でやってみようと思います。

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