こけし日記

読むことと書くことについて

アンラーン

この間『鎌倉殿の13人』を見ていたら、
鎌倉幕府の行政機構って、政所と侍所とあとなんやっけ?
ってなってすごいショックだった。
あんなに受験勉強したのに!
一応地歴の高校免許もとったのに!
(答えは問注所

日本語教師の研修で、一度身につけた知識がもつ期限は4年(5年だったかも)だから常に学び続けないといけないって言われたのを思い出した。
日本史なんてよく考えたら20代後半までやってた問題集の仕事して以来ほとんど触ってない。
じゃあ忘れて当然だ。

アンラーンって言葉がある。
学び壊すとか学び捨てるという訳語が多い。
インドの哲学者のスピヴァクが言った言葉らしいが、一度学んだことを捨てて、もう一度新しい知識を身につけ直すみたいな意味らしい。
最近はビジネス書とかでも使われるようになってきてて、こういう本も出てるみたい。



読んでみて、自分は今アンラーンの時期なのかなと思った。
社会学とか、人文書とか出版とか、なんか20代の貯金と積み重ねでやってきたけど、なんかそれが自分の現実と合わなくなっちゃってすごい違和感があるのかなと思った。
だから、今、自分がその世界に対してなんか冷めた目で見ちゃうのも、
自分は変わっちゃったのに、思考の癖とかやり方は残ってて、それが今の自分と合わなくてすごく違和感を感じるんだと思う。

つまんなくなったって思うこと悪いことだと思ってたけど、それは自分が変わったってことなのかもしれない。
そういう変化についていけてなかったり、変わった自分を受け入れたくなかった。
そのせいで、ちょっとここ何年かしんどかったのかもしれない。

アンラーンって言葉を知る前は、最初のものを選び間違えたから1からやり直しだ、みたいにマイナスに捉えてた。
けど、アンラーン によって、新しい余白ができたり、解して編み直したりそれになんか付け加えることで新しい何かが生まれるから、マイナスじゃないとわかった。

あと、内容だけじゃなくて、やり方もアンラーンした方がいいのかもしれないと思った。
前はいかに効率よく早く成果を出すかばかり見てた。
けど、英語の勉強を続けていて、ゆっくり時間をかけて、何度も同じことを、趣味程度に疲れないように、自分の楽しみの範囲で、っていうのも効果があるなってわかった。
だから、もう前みたいな一直線にゴールを目指すみたいなやり方はやめようと思った。
今だと男性学とかの「弱さを認める」とか人文系の人のよく言う「資本主義から降りる」って言葉で言われちゃうんだと思うけど、その言い方がなんかあんまりしっくりこなくて違和感があった。
なんか特権捨てるみたいな、けどそんなもの持ってへんわと思うし、資本主義行き過ぎとかってもっと投資とかやってる人が言えばいいと思うからそういう言葉を使いたくないって感じがする。
けど、アンラーンだとそういうニュアンスがないからすごいしっくりきていい。

40代はまだまだ若いしなんでもできるって言う。
それはその通りかもしれないけど、できるのは「なんでも」じゃなくて、今までの積み上げとか経験を壊した中からの「何か」じゃないかと思う。
前の自分だったら、何か新しい目標を無理やりにでも作ってそれを目指して一直線にゴールに向かうようなことをやってたけど、そういう態度ごとアンラーンしたい。
そして、そういうゆっくりとか何度も同じことをとか楽しくやるとか、一度学んだことを捨てるとかそういうのを恐れない態度、気持ちをラーンしたい。