こけし日記

読むことと書くことについて

人の信仰について

自分は日本人だからお葬式を仏教でして、正月は神社に行って、人生の節目にお宮参りや七五三を当たり前に行く、というのが当然だと思っていた。
しかし、公言していないだけで、何かしらの信仰をもっている人や宗教2世という人は意外と多いことに気づいた。
正直自分はこれまで、宗教に関して無神経な発言を多くしてきた。
新興宗教=狂信的な集団というような偏見がどこかにあった。やはり、95年のオウム事件の影響が大きかったせいだ。

先日自分の作った雑誌にムスリムの方のお酒についての経験を寄稿してもらった。

yagakusha.hatenablog.com


信仰でお酒を飲まないという生活をしている人に対して、「飲めないのは人生を損している」とか「かわいそう」と言うのは、こちら側の勝手な意見の押し付けだ。
信仰をもつということは並大抵のことではできないし、それを維持することも並大抵のことではできない。

信じないとか必要ないと言っているのに強要してきたり、何か迷惑をかけられたり、監禁や悪徳商法といった犯罪行為をしてきたら批判もしたくなるが、そうでないなら、人の信仰は人の信仰で尊重する必要があるのではないか。

宗教=狂信的とか変わった人という考えがそもそも間違っている。
それで心の平安が得られたり、居場所となっている人もいる。
一概に信者を頭や考えが足りないとか科学的でないと揶揄したり批判したりするのはちょっと違うのではないか。

また宗教2世に関しては、知らないだけで思っているより身の回りにいるのではないだろうか。
実際に当事者の話を聞いたり書いたものを読む機会を得て、自分で選んだ信仰ではない分複雑な気持ちをもっている人もいると知った。
人によって信仰のグラデーションもさまざまのようだ。

自分の身近な人が何かの宗教の信者かもしれない可能性だってある。
勧誘しないで自分の信仰を貫いている場合もあるだろう。
だから、あまり宗教をネタにしたり、それを信じている人を悪魔化して自分とは違うと線を引きすぎるのも、「○○は私だ」とか「一歩間違えば自分も」と過度に共感を抱くのもどうかと思った。
その人が普通に付き合える人なら、過剰な反応をせず、普通に付き合うのが大事だと思った。