こけし日記

読むことと書くことについて

女の成長とは何か

この間『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を見に行った。
すごいわかりやすい男の成長物語だった。
ゲンドウを乗り越えてシンジくんは立派な男になった。
そして、ふと疑問に思った。

 女の成長ってなんなんだろう。


・・・


父を殺して大人になるのは成熟を描くのによくあるストーリーだ。
実際殺すかどうかは別としても、仕事や技術で父を乗り越え、愛する女を手に入れる。そういう物語の主人公はたいてい少年である。
つまり父殺しは男の成長物語の典型的な話だ。

男の成長物語の中で女に与えられる役のバリエーションは少ない。
母親か永遠の少女か性的対象か。
たまに例外として男と同等になるために女を捨てた人が出てくる。
そしてだいたいが傷ついた主人公を精神的に、あるいは肉体的に慰めたり、叱咤激励したり、幼いあるいは無垢な少女のままいることで、主人公に守らねばという気を起こさせたりする。
しかし、いずれも主人公の成長のための材料という感じで、物語の都合のために配置された存在という感じがする。
だからみんな主人公に優しい。
主人公の成長のために用意された、主人公の分身って感じの優しさだ。

・・・

一方、女の成長物語の代表格は、NHKの朝の連続テレビ小説だろう。
だいたい主人公は地方から都会に出てきて、何かの職業で独り立ちすることを目指し、最終的に幼なじみとか仕事先で出会った人と結婚して子供を産む。
結婚しなかったり子供を産んだりしない場合もあるけど、朝ドラのほとんどの登場人物はそういう人生を送っている。
女の場合は母になって母性を獲得することが成長する過程として描かれている。
母性とは何かというと、自分を省みないで相手のために献身できること、だと思う。
主人公が登場人物や視聴者に批判されるとき、多くは母性の足りなさとかわがままさとか身勝手さが批判されているように思う。
そういうとき、女性はそうあってほしい、母はそうあるものだという願望や規範が感じられて、時々息がつまりそうになることがある。

・・・・


話は変わるが、今やってる『俺の家の話』は老いた父を介護し、看取るドラマだ。
これは父殺しの変奏曲という感じがする。
強い父を力で倒すのではなく、父が弱くなり、それを受け入れて世話をするというのは、自分で手を下すよりも粘り強さも精神力もいることだろう。
父殺しは恐怖に打ち勝つことや、自分の限界を突破するといった「強さ」によって成長する。
一方介護や看取りは、人のために時間やお金を使うことや自分じゃないものを受け入れ、自分の許容量を広げることによって成長する。
それは言い換えたら愛や優しさを獲得する過程と言ってもいいのかもしれない。
この愛とか優しさは男の成長譚に出てくる女たちが持っているような、主人公の成長のために用意された都合のいい優しさや甘やかしではないと思う。

・・・・


愛や優しさによる成長というと、先日見た『コタキ兄弟の四苦八苦』もそのような物語だった。
これは、元予備校講師で無職の兄の元に妻から離婚されそうな主夫の弟が転がり込んできて、二人はひょんなことから1時間1000円のレンタル兄弟おやじとして仕事をするコメディタッチのドラマだ。
キーパーソンは近所の喫茶店シャバダバのアルバイトのさっちゃん。
最初は兄が片思いしているマドンナ的存在かと思っていたが、彼女の抱える事情や兄弟との関係が明らかになるにつれ、存在感を増してゆく。

兄は結婚しておらず、無職で収入がなく風采が上がらない感じに描かれているが、随所に挟まれる兄のエピソードは、大人ってこういう感じだなと思わせるものが多かった。
ネタバレになってしまうので個々のエピソードは省くが、信念に合わない仕事をしない、間違ったら謝る、相手が抱えきれないような負担になることは打ち明けないでそっとしておく、相手の大切なものに踏み込まない、嫌いでも仁義は通すといったようなものだ。
兄の行動は、一見滑稽だが、どれも兄の中では筋が通っており、一人の人間としてちゃんと生きようとしているが故の行動であることがわかる。
そしてその底にあるのは、弱いものへの哀れみや人間的な愛情や親切心だ。
この兄にあるのも、『俺の家の話』に通じるような愛や優しさだと思う。

・・・・

おそらく、人の成長には2パターンある。
一つが強さで苦境や逆境を乗り切るとか、敵を倒すとかいった「強さ」によるもの。
もう一つが、弱いものや異質なものを守ったり育てたりして愛情をかけ、愛や優しさを獲得して懐が広くなるというもの。
男性が主人公の場合はいろんな物語があるのに、なぜか女性が主人公になると、強さの獲得の場合は女を捨てるか女を武器にみたいな感じになるし、後者の場合は子供を産む話につなげられてしまうように思う。
そして、男性が主人公の場合はいろんなパターンで愛や優しさを獲得できるし、その愛や優しさにもいろんなタイプがあるのに、女性の場合はそれを獲得する方法の第一が母になることで、愛や優しさの種類も母性一択という感じがする。


どうして女は母になるしか成長の道がないのだろうか。

女が女を捨てないで、女のまま成長するということはどういうことなのだろうか。

女が女のまま一人の人間としてちゃんと生きようとするのは、どういうことなのだろうか。

女が一人の人間として成長するというのは、どういうことなのだろうか。

映画を見てからそれがずっと気になっている。