こけし日記

読むことと書くことについて

書いてる限り作家でライター『三行で撃つ』近藤康太郎

読んだ理由
去年仕事がずっと辛かった。
わたしは10年ほどフリーでライターと編集者をしている。
2018年に著書を出したあと、もっと自分の名前と作家性を出したような文章を書きたいと思うようになってきた。
しかし、去年は引き受けていた編集の仕事の負担が大きく、全然自分の文章を書くことができなかった。さらに、去年は自分の身近な人が何人も本を出し、どれも評判がよかった。本来はおめでたいことなのだが、わたしは自分の余裕のなさのせいで素直に喜べず辛い一年だった。
そんなときにたまたまライターの碇雪恵さんのブログで紹介されていたこの文章にぐっときて、この本を手にとった。

   



『三行で撃つ』著者の近藤さんは、1日必ず2時間本を開けると。うち1時間はなんでも好きなものを読み、1時間は日本と海外文学の古典、社会科学あるいは自然科学、詩集から選んで読むのがいいと書いていた。それはある種の「苦行に似たトレーニング」だとした上で、しかしプロである以上は最低限の筋トレだという。めちゃくちゃ耳が痛い!


文章論やライター生き残り術に関する読み物は、近頃ではツイッターやnoteに溢れている。しかし、だいたいが初心者向けで知っていることが多く、中級者向けのコンテンツが少ないように感じていた。
碇さんの文章を読み、なるほどプロはこのようにして鍛錬するのか(お前もプロだろ、ということは置いておいて)、と思ったので、さっそく読んでみることにした。

書くこととトレーニン
この本では、「このライターは、まあまあ書けるよ」と認められるくらいのレベルになるためのコツが25個紹介されている。
またビギナーからプロまで、レベル別に使える技術が広く紹介されている。
わたしはこの本では、書くということについての心構えと文章を鍛錬の方法について、得るところが多かった。

文章というのは、切り口やものの見方、それをどう表現するか、さらにそれをどう広く人に読んでもらうか、という3つのスキルが必要だ。
そしてそのスキルには才能や取り替えの効かない個性の部分と、技術で高められる部分がある。
「書か(け)ない」人は才能を言い訳にすることが多いが、この本はまずそんな「書か(け)ない」言い訳を許さない。
「才能」や「コネ」などを言い訳にしようとする者に対して非常に手厳しい。
一方で、そこを乗り越え書こうとする者には、とても親切に手を差し伸べてくれている。

著者のライターや作家の定義はシンプルだ。
職業としているか、知名度がどれくらいか、著書があるかどうか、ということは問わない。
ただ書けと言う。

作品を書いているあいだは、作家なんです。記事を書いているあいだだけ、ライターなんです。書かなくなったら、そのときは作家が死滅したのです。


そして、この関門の乗り越えた人に向けて、さまざまなトレーニング方法を提示する。
著者が勧めるのは、新聞書評、辞書の活用法、読書、書く時間を決めることだ。
詳細は是非読んでいただきたい。

感銘を受けた点
著者は、文章というのは書かかれた限り誰か読む人がいる。そして、読む人がいるのは、必要とされている。だから、まずは書かない限りは始まらない、と言う。
ところが、文章は書いたら誰か読む人がいるとはいっても、それを信じきれない部分もある。

特にネットでものを書くと、いいねの数を人と比べてしまったり、エゴサをして自分の評価を探したり、課金の金額で自分の文章が評価されるように思ってしまったりする。
そうすると、本来文章は誰かと比べるものではないのに、自分の文章には力がないからいいねが少ないとか、エゴサしても評価がないとか、課金の金額が少ないといったふうに思ってしまう。そして、自分の書くものの力を信じられなくなる。

また、とくに近頃は、ライターはコミュニティに入ってつながりを作ることや、ブログやnoteでアウトプットをすることが推奨されている。
もちろんそういったことが仕事を融通しあったり、弱い立場のフリーランスが生き残るために役立ったり、知名度をあげたり、ファンを作ったりするのに役立つこともあるだろう。
一方、そこでの社交が中心になって書くことが疎かになることもある。
この本で紹介されているトレーニングは一人で鍛錬できるものが大半なので、
ネットでの書き物やコミュニティーやつながりに、行き詰まりを感じている人はヒントがもらえそうだった。


そして、何よりこの本のいいところは、自分の文章は上手くないと再確認できるところだ。
ここに示されたトレーニングをすれば、書く関門を乗り越えることができた人の多くは、そこそこの文章を書くことができるようになるはずだ。
でも、それはゴールじゃなくてスタート地点に立つためなのだ。
自分と同じくらいのレベルの人はゴロゴロいる。
その中でさらに自分の文章を読んでもらうには、と、考えなくてはならない。
自分の文章力に溺れている暇はないと、喝を入れられる。

おわりに
文章を書くということには矛盾したところがある。
自分の文章に酔っていてはいい文章は書けない。
でも、文章の力を信じなかったら文章は書けない。
だからこそ地道なトレーニングが必要なのだ。
レーニングすることで、自分の文章に自惚れないでいつつ、自分の書く力や書いたものが信じられる。

ライターや作家の一番の仕事は、「書く」ことだ。
そういうライターや作家としての態度を教えてくれた本だった。

一冊手元に置いておいて、折にふれて読み返したいと思う。
次は是非取材編も出してほしい。