こけし日記

読むことと書くことについて

やる気を出す方法 その2 場所を変える

いかにもブログっぽいライフハックみたいな記事も書いてみたくなったので、
試しに書いてみる。

前回はスケジュールを作ろうという話を書いた。

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 
やる気を出す方法 その2 場所を変える

今回は締め切りとスケジュールができたけど、
作業が進まなくなったときにどうするかの話だ。


◎気が散るものから逃げる

まずうちでしているといろいろ気が散るものがある。
例えば家事、うちにはないけどテレビ、それから、読みかけの漫画や雑誌。
仕事するときはなるべくそういうものが目に入らないようにする。
仕事に専念できる仕事部屋を持つのがいちばんいいだろう。
それが難しい人は、折りたたみ式の机にして、仕事するときは
机の位置を変えたりして、気が散るものから目をそらするのがいいだろう。


◎家から逃げる


しかし、家にいるとどうしてもくつろいでしまう。
おそらく、難易度の高い仕事、好きではない仕事、気が進まない仕事ほど、
後回しにしてしまいがちで、どうでもいい掃除を始めたり、料理を作り始めたりする。
ほどほどの家事は息抜きに良いが、これでは作業が進まない。
そういうときは、もう家から出てしまおう。
わたしは逃げ場を3パターンくらい用意して、使い分けている。

1.喫茶店
どうしてもやる気が出ないときに有効である。
わざわざ喫茶店にいくために交通費やドリンク代を払って出かけているから、
元を取ろうという気になる。
払った分のお金に見合うくらい作業を進ませようと、
自分にプレッシャーをかけることができる。
行く喫茶店の候補は3つくらいあると、便利だ。
作業ややる気度合いによって使い分けできる。
自分の使う範囲にある喫茶店の客層、値段、混む時間などを
なんとなく把握しておこう。

例えば、マクドナルドは安くて店員さんの目があまり厳しくないけど、
夕方は学生が来てうるさいとか、
スターバックスはそんなにうるさい人がいないけど、ちょっと高めとか、
日曜は長居しにくいとか。
モスバーガーは遠いけど、長居できるとか。

とにかくうちから出たいときはマックでやる気を出して短期集中。
スタバは頭を使う作業とか考え事をしたいときとか。
モスは難易度が高くて、長居しそうとか。
そうやってなんとなく使い分ける。

デメリットは、時間帯や客層で長居できなかったり、集中できなかったりすること。
それに、喫茶店で長居できる限度は、せいぜい2時間といったところだろう。
わたしは、2時間内でできる作業とか、
とにかく手をつけたいというときに行くようにしている。

2.図書館
ネットを使わず、調べものが必要なときは図書館にいくのがいい。
最近の図書館は、自習させてくれなかったり、
自習は席を予約したり、時間制だったり、なかなか面倒な部分もある。
しかし、調べものをするという図書館の目的にあった作業の場合は、
注意されることは少ない。
図書館はタダなのと、うるさくないので集中できるのがいい。
デメリットは、おもしろい本が多いので、雑誌を読んでしまったり、
漫画を読んでしまったり気が散りやすいというリスクはある。
なので、やることをリストアップして1つづつ片付けるという感じで、
やることに集中するのがいいだろう。
なるべく気が散る本が置いてあるコーナーに行かないのがコツだ。

3.シェアオフィス、コワーキングスペース
長時間同じ作業をするとか、集中してやりたい場合
一番コスパがいいのがシェアオフィスやコワーキングスペースだと思う。
ドロップインといって、会員にならなくても1回だけ利用出来る場所も多い。
喫茶店に行って作業する場合と、1日の利用料と比べて、
1日利用でも元が取れそうなら、こういう場所にいって作業するとかなりはかどる。
このような施設では、ネット、コピー機、ドリンクなどがついている場合もあるので、
行く前に設備を調べておく。

デメリットは、初めて行く場所だと雰囲気がわからないことだろう。
いろんな業態の人が交流して、新しいビジネスをみたいな感じで始まったところだと、
おしゃべりな人や交流したい人がいて作業が進まない場合がある。
また、友達がいるような場所も同様だ。
あまり人との距離が近すぎるようなところは、かえって作業の妨げになる。


まとめ

お金を払ってまでやるなんてもったいないという意見もあると思う。
でも、場所を変えるだけで頭がすっきりする。
無理にうちでやろうとして、結局インターネットや家事で
1日をつぶしてしまうなら、思い切って外出した方がいいと割り切ろう
お金を使いたくないなら、図書館でも、なんなら、晴れて暖かい日なら
公園でもいいのだ。
あるいは、家の中でも、立ってやるとか、台所でやるとか、
集中できる区画を作るとかでもいいのだ。

やる気は気持ちの問題ではない。
できないなら、無理にでも体を、仕事する環境に移動することが大事なのだ。


やる気を出す方法 その1 スケジュールを作る

いかにもブログっぽいライフハックみたいな記事も書いてみたくなったので、
試しに書いてみる。

わたしはうちで仕事している。
うちで仕事しているとやる気が出ないときがある。
そんなときのためにいくつか方法がある。

1、やる気を出すための方法 スケジュールを作る

◎締め切りを決める
やる気を出すためにはまず締め切りを設定する。
これは自分用の締め切りである。
わたしは締め切りの定まった仕事をいくつかかけもちでしている。
スケジュール管理をしないと、うっかり締め切りを忘れていたとか、
宅急便で送って間に合う締め切りを超えてしまったとか、
作業時間が捻出できないということになってしまう。
だからまず、最初に仕事が入ったら、先方に提出する締め切りとは別に
自分の中での締め切りを作る。

◎作業できる時間を割り出す
次に縦軸に時間、横軸に締め切りまでの日付を書いた予定表を作る。
そこに、もう確定している予定や、毎週ある予定を入れていく。
すると、予定のない日、一日の隙間時間が一目でわかる。
しかし、それを全部作業時間にあてるわけではない。
家事や休憩時間のことを忘れてはいけない。
わたしは一日8時間くらい寝ないと調子が悪いので徹夜はしない。
徹夜は最終手段である。
徹夜を常態化させないために、寝る時間を確保する。
あと、わたしは家事もしないといけないので、料理や掃除をする時間も確保する。
すると、ちゃんと作業できるのは、1日空いている日でも目一杯見積もって10時間くらいだ。
しかし、1日で全部の作業をしても効率も精度が悪くなる。

◎作業工程を分割し、スケジュールを作る
次にその仕事を完成させるために必要な作業を割り出す。
そして、なんとなく予定表と照らし合わせながら、
ざっくりとしたスケジュールを作る。
このときに、1日予備日があるといい。
予備日があると見直しをしたり、予定通りに進まなかったり、
急用が入ったときに調整時間に使える。

◎1つの作業あたりの目安時間をはかる。
次にスケジュールにそって、作業を割り振る。
作業を割り振るために、まず50分やってみる。
なぜ50分なのかは、自分が集中力を継続させながら
作業できるのにちょうどいいくらいの時間だからだ。
同業者の友だちが50分やって10分休むという
仕事の仕方をしていると聞いて、それを取り入れたのだ。
集中力を保ちながら継続できるのなら、それは2時間でもいいし、30分でもいい。
とりあえず単位時間を決めて、その単位時間あたり、どれくらい進むか見るのだ。
ただし、50分でずっと同じペースでできるかというと別である。
やはり長時間やっていると、頭がぼーっとしてペースが落ちてきたり、
作業の難易度によってペースが変わる。
なので、1日どれくらいできそうかも考えておく。

やる気が出ないときでも、スケジュールがあると、今日中にここまで進めないと
わかるので、無駄に焦らなくていい。
また、どれくらい進んだかの達成感も得られる。
それから、進度が把握できているので、休むことに罪悪感を覚えなくていい。

頭を使う仕事、創作系の仕事には使えないかもしれないが、
原稿とか校正とか一人で家でもくもくやるような仕事をしている人には、
参考になると思う。

続きも書きました。

kokeshiwabuki.hatenablog.com

日本帰国当日の日記を読んでみる

もうすぐ帰国して一年になる。


バンクーバーを2017年2月28日に出国し、同日成田に着いた。
バンクーバーにいたときはとびとびで日記を書いていた。

帰国当日の日記が残っている。
浦島太郎感を味わいたいとかなんとか言って、
バンクーバーに行ってから丸2年全く帰国しなかった。
2年ぶりの日本だ。

成田の空港のコンビニで、水、おにぎり3つ購入。おにぎりは鮭とシーチキンしか残っていなかった。カナダで3ドルが平均価格だったので、異様に安く見える。どん兵衛も安い。5ドルが平均価格。買おうと思ったがかさになるのでやめる。おにぎりをトランジットの間に夫とむしゃむしゃ食べる。食べ終わってもまだお腹が空いている。たけのこの里を購入。これも異様に安く見える。あっと言う間に一箱あける。「これだったら(カナダで買えば)10ドルするよね」と、夫も私も食べ物の価格が異様に安く見えることに驚いている。

食べ物の話ばかりだ。
食いしん坊なのがよくわかる。
おにぎり、どん兵衛は日系ショップに行ったときに奮発して買う食べ物だった。
どん兵衛は日本から送ってもらったりしたので、
半年に1回くらい食べられたらいい方だった。
カナダのお菓子やスナックはどうも魅力的に見えず、
そして全体的に値段が高かった。
日本のコンビには品揃えが多く、食べ物が小さくなったとはいえ、
値段はカナダに比べたら安い。

いくつかバスと電車に乗り換える。みんな髪が黒く日本語をしゃべっていることが変に思える。バスや電車の車内広告が異様に写真がきれいで、情報量が多すぎるように思える。

 

今読むと、こんなことに驚いていたんだと新鮮さを感じる。
カナダにいたら、てんでばらばらの言語が右から左から聞こえてきた。
そして、服装、髪型もみんなバラバラで、
見た目が違うことに違和感がなかった。
カナダの電車もバスも広告が少なく、
英語だったのであまりちゃんと理解できてなかった。

それが、日本にいきなり帰ってきて、
全部読めて隅から隅まで読めて理解できることに驚いた。
最初は理解できないものが周りにないことが不安だったのに、
だんだん慣れて、理解できないものが周りにあっても平気になった。
だから、日本に戻ったとたん、全部理解できるものに囲まれていることに
違和感を感じている。

電車を降りたあとに行ったコンビニで、夜泊まるところで食べるものを買う。ものが多すぎること、種類が多すぎること、そして全部日本語で何が書いてあるのかわかることで、頭の処理が追いつかず何を買っていいのかわからない。店員の処理が早くて事務的で、ああ、ジャパニーズスタイルと思う。


案の定、情報量が多すぎて処理が追いついていない。
カナダの人は割とフレンドリーな対応する店が多かった。
日本とはいいサービス、礼儀ただしさの基準が別なのだ。
あと、前にも書いたけど、一生懸命働くことを
人生で一番大切なことととらえてないふうだった。

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 
日本のサービスのクオリティは高いけど、それに息苦しさも感じている。
帰ってきたとたんにそういうサービスに触れて、
すごい、と思う一方で、そういう国でまたやってかなきゃならないんだという、
げんなりした感じが伝わってくる。

帰国して最初の1年がすぎた。
あの時の新鮮な気持ちを思い出すことはもうできない。
外国にいた感覚はどんどん薄れて、日本の生活に慣れてしまった。
人間がこんなに簡単に環境に左右されることに驚いている。
それは少し残念だけど、またどこかに行くことがあっても大丈夫という変な自信にもなっている。

アルバータ州とオンタリオで最低賃金が上がるらしい

あまり更新しない日記はカナダのこととか、日本語教師をやって思ったこととか書くつもり。

www.nationalobserver.com


カナダのニュースをときどきチェックしてるけど、ときどきおもしろい記事があるので紹介する。

On October 1, 2018, Alberta will become the first province to have a $15 minimum wage. Ontario will reach the same wage rate on January 1, 2019.

 

2018年10月1日からアルバータ州最低賃金が15ドルになり、
2019年1月1日にはオンタリオ州でも同様の割合に達する予定だそう。

全文読めてないけど、この記事では最低賃金をあげることに対する5つの大きな批判について、1つづつ反論するような内容になっている。

また全部読めたら要約して続きを書きます。
(誰か代わりに書きたい人がいたら、リンクはって訳してくれても結構です)


著書が出ます(『愛と家事』創元社)

2/3追記

本が出ました。

第一弾イベントレポートはこちらです。

yagakusha.hatenablog.com

 
以前、夜学舎名義で作った『愛と家事』が創元社から書籍として出版されることになりました。yagakusha.thebase.in

 

   


オリジナル版に加えて「わたしの故郷」、「遅れて来た反抗期」、「遠くに行きたい」、「家族2.0」を追加。
オリジナル版と同じく、装丁、イラストはfuuyanmさんのもの。
オリジナル版の白黒とは違ってカラーになって、
新しく命を吹き込んでもらった感じがします。
本文にもいくつかカットを追加。
また違った印象で読んでいただけると思います。

 

値段もきまりました。 税込み1080円。
手にとりやすい値段にしていただいたので、
たくさんの方に読んでいただけたらうれしいです。
Amazon予約ページもできています。
もちろんお近くの書店でご予約もOKです。

 

帯文は『降伏の記録』(河出書房新社)の植本一子さんにいただきました。
わたしは、植本さんの『かなわない』(タバブックス)に触発されて、
『愛と家事』を書いたので、とてもうれしいです。
そのことについてはあとがきで少しふれています。

いろんな方に読んでもらえるとうれしいです。
どうぞよろしくお願いします。
 オリジナル版は引き続きネットで販売しておりますので、
こちらも合わせてよろしくお願いします。

発売に合わせてトークイベントも開催します。
イベント情報は随時こちらで更新しています。

yagakusha.hatenablog.com

カズオ・イシグロさんのノーベル賞受賞について思うこと

 

カズオイシグロさんのノーベル賞受賞が話題になっている。

 


そんな中で、彼を何人作家ととらえるか、とか、彼の文学を何文学としてとらえるか、という話題をちらほら見かける。
イシグロさんは5歳の時にイギリスに移住して、英語で文学を書いている移民の作家だ。血筋は日本人だけど国籍はイギリスで、主に使用している言語も英語だ。
少なくとも公的なインタビューや文書で彼が日本語を使っているのを見たことはない。

すべての人がバイリンガルになるわけではない
イシグロさんについて、両親が日本人なのにどうしてバイリンガルじゃないのだろうと思った人もいるだろう。

わたしは2月までバンクーバーに住んでいたけど、そこでは日系人や両親は日本人(日本語を話す人)や、片方だけが日本人(日本語を話す人)だけど、日本語を使わない人に会うことが多かった。
そういうとき、見た目はすごく近いのに、英語を話し、振る舞い(身のこなし)とか考え方がカナダナイズされているのがすごく不思議な感じがした。それは日系人だったら日本語を話すと思い込んでいたせいだ。

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バンクーバー日本人学校。冬には餅つきをやる

親の話す言語が違ったり、親の言語と住んでいるところの言語が違えば、自然と両言語が身に付くと思っていたけど、そうではないそうだ。
バイリンガルにはいろんな種類があって、言語の難しさや本人のやる気、親の言語教育への意欲やその国の言語の環境などいろんな要因が重なって、両言語ともナチュラルに話せる場合もあれば、片方の言語だけがうまいとか、あるいは両方とも読み書きできるとか、片方は会話だけできるとか、聞くのだけできるとか、いろんなパターンがあるらしい。

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夏にはお祭りで日本文化を伝える

現地で子供を育てている人の話を聞くと、必ずしも親の言語を話すのは当たり前ではないらしい。両親とも同じ国の人間でもだ。
なぜなら、インプットの量からすると現地の言葉の量が圧倒的だし、さらに学校に行って友達ができれば、現地の言葉や振る舞い、考え方の影響を受ける。
特に日本語は語彙が多く、ひらがな、カタカナ、漢字という3種類の文字を覚えないといけないので、親が意図的に日本語を覚えさせようとしたり、日本人学校に通わせたり、本人も学びたいという意欲がないと、自然に任せて身につけるのは難しいそうだ。

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日系センターでは日本文化を伝えている

人によったら時代や親の都合で、バイリンガルになる環境や日本語を学ぶ環境にいなかった人もいる。
だから、母語と周りが使っている言語が違えば、自然とバイリンガルになるのが当たり前と思うのはちょっと乱暴だ。

カナダと言語

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トーテムポールはすべて別の先住民のもの

言語と民族に関する話題はカナダではデリケートな話題だった。
今は多文化主義で寛容な国と思われているカナダだが、1960年代くらいまでは先住民の人たちを支配するために、近代化教育のためという名目で、子供と親を離して寄宿舎学校に入れていた。こういうことをすると、子供と親が別々になるので、子供は文化や言語を学ぶことができない。

 

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バンクーバーの朝日』は日系人の強制収容がテーマ

それから、日系人の人たちは選挙権がなかったから権利獲得のために第一次大戦に参加したり、第二次大戦中に敵国民ということで財産を没収された上に強制収容されて、戦争が終わってからも元いた土地に戻れないということもあった。もうカナダでは住めないと、日本に帰ってきた人たちもいるそうだ。帰ってから2世の人は、英語がしゃべれるから重宝されたけど、その一方で、本当の日本人じゃないと扱われて苦労したという話も聞いた。

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2008年に先住民に謝罪したことから、先住民の文化や権利の復権に対する運動が盛り上がっている

カナダでは時代によって、ある民族を同化させようとしたり、多文化主義に変わったり政策が移り変わっている。
言語はそういう、政治的なものと切っても切れないデリケートなものだ。
そういうデリケートなものに対して、
日本人や日本生まれだから日本語を話すのが当たり前という考え方や、
日本語が日本人や日本生まれだけの言語と考えることもちょっと乱暴だ。

言葉の豊かさを育むもの

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バンクーバーの図書館にはZINEも置いてある

わたしは本が好きだから、バンクーバーでも本屋や古本屋や図書館によく行った。
日系スーパーにいったら隅に古本コーナーがあったり、古本屋や図書館にはいろんな国の言語の本がいっぱいあって、人と一緒に本が移動するのがおもしろかった。

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日系スーパーの古本コーナー。エスニックスーパーにはその国の本が売られていることもある

それから、本屋では圧倒的に英語の本が多いけど、その中に移民国家だからいろんな国のルーツをもつ人が書いた本がたくさんあるし、いろんな国の人の物語が読めたのも驚いた。

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2月は黒人の本に関するフェアーをやっていた

表現するための言語は英語で単一なんだけど、その書かれている内容は、多様で、一つの国なのに、2世や3世が書いた中華系移民の小説と、先住民のマンガがベストセラーに入っていたりする。
日系人の強制収容の歴史を描いた小説も先住民の歴史を書いた文学も、同じ週のベストセラーに入っていて、しかもそれが全部英語で読める。

 

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日系人の強制収容を描いたグラフィックノベル『Toshiko』

 


先住民の寄宿舎学校の悲劇を描いたグラフィックノベル


天安門事件によって亡命した中国人移民の話


日本だと、ちょっと前に台湾生まれの作家の作品のテーマが芥川賞選評で「対岸の火事」と書かれて、そのことが論争になったりしていた。
多分、そこにはバイリンガルの人とか移民の作品を日本文学として見るか見ないかみたいな考えがあるんだと思う。
それは、ちょっと窮屈な感じがする。
カナダの、いろんな国のルーツをもった人が書いたものが混在する本屋は、移民国家ならではという感じですごく自由な感じがした。

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バンクーバー島の西端のトフィーノにも本屋はあった

カナダには日本と中国、日本とどこか、2重にも3重にもいろんな国のルーツを持つ人がいる。彼らにとって祖国はカナダだけど、ルーツはいくつもあって、それぞれのルーツを大事にしていたりする。
それは純粋さが失われる悪いことじゃなくて、いくつもの文化が混じり合って新しいものを生む土壌を作る、とても豊かなことだと思う。
だから、日本人や日本生まれの人以外が書いたり、日本人や日本生まれの人が他の言語で書くことも、日本語の表現や考え方を豊かにしていくことだと思う。

カズオ・イシグロさんの受賞により、もっとそういう表現にも日が当たればいいと思った。

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日本語教師の勉強をしてよかったこと

この間日本語教師養成講座の全課程が終わって修了した。
これで晴れて日本語教師として活動できるお墨付きをもらえたことになる。
この講座を受けてよかったのは、自分の日本語観が変わったことだと思う。

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言葉は進化する

出版の仕事をしていると「正しい日本語」ということを常々意識する。
特に出版の人は「辞書に載っている意味を正しく使え」と言う人が多い。
それは、どこかに絶対的に正しい日本語があって、それに合わせないという考え方が背景にあると思う。私もそう思っていた。
けど、その辞書も絶対的なものではない。
辞書は絶対的に正しい意味や用法を載せているというよりかは、その時代において一般的に使われている意味だったり用法といった「慣例」を載せているものだと思う。
実際に辞書を作る際にも、周囲の人の言葉遣いや雑誌や新聞といった出版物から探してきて載せているという話を聞いたことがある。
だから、辞書も時代によって言葉の意味や載っている言葉はどんどん変化する

前は「正しい言葉遣い」というものがあって、それを正しく伝えなくてはいけないと思っていた。
けれど、言葉には経済性というのがあって、できるだけ簡単に発音しやすく言葉が変化していくそうだ。
言葉は変化するのが自然なのだ。

今まではどちらかというと、新しい言葉や従来ある言葉の新しい使い方に対して
「言葉の乱れ」と捉えがちだった。
けど、それを「言葉の進化」と見る見方もあるのだ。
これからは言葉の乱れに目くじらを立てたり、嘆いたりするのではなく、
由来や、どういう方向に進化するのか考えながら、新しい用法も取り入れて文章を読んだり書いたりできたらいいなと思った。

日本語も世界で数ある言語のひとつ

日本語を特別視するような意見がある。
日本人だから日本語が読み書きできて当たり前、それ以外の国の人は日本語の表現の豊かさを理解できないという意見だとか、
日本語はオノマトペや語彙が豊富で優れた言語といったような意見だ。
私はそういった意見に対して、今まであまり深く考えずに異論を持ったことがなかった。

でも、日本語教師の勉強をして、言語の体系だったり語彙の豊富さというのはそれぞれの言語によって違うということがわかった。
例えばオノマトペの豊富さでいうと、韓国語だって多いし、英語はオノマトペじゃなく動詞によって変化をつける。
それは単に言語の特徴であって、優劣を言うものではない。
日本語に特徴があることと、それを特別視するのは全然別の問題なのだと意識するようになった。
それから、日本語母語話者ではないけど、日本語教師の勉強をしている人に会ったことも大きかった。
今までは言語を習うならネイティブがいいと思い込んでいたけど、ネイティブでないからこそ教えられる部分もあると知った。
その人が学習過程でつまづいた部分や難しいと感じる部分、日本語独自の表現だと考えられる部分は、ネイティブである日本人にはわからない。
今までは知らず知らずのうちに日本語は日本人のものだと思っていたから、日本語母語話者ではない人も教えられるということに驚いたんだと思う。

でも、英語母語話者でない人が英語を指導することに何の疑問も持たないのと同じで、日本語も世界で数ある言語のひとつなんだから、それは別に驚くことではないのだ。
自分がこれから指導するときは、日本語ネイティブであることを特別なことだと思わないようにしようと思った。
言語を指導する上で、ネイティブだと優位に立てる。でも、それはあくまでも言語だけであって、性格とか文化とか国柄とかまで優位に立ったわけじゃないからだ。

他にも、細かい文法事項が知れてよかったとか、音声学のおかげで英語の発音との違いがよくわかったとかいろいろあるけど、総じて受講してよかったと思う。
10月からは働き始めて、また違った立場になるので、自分の日本語観がどんな風に変化するのかこれから楽しみだ。

お知らせ

今度『仕事文脈11号』「35歳からのハローワークという連載を始めます。
35歳以上で新しく仕事を始めた人に話を聞いてジョブチェンジのヒントを探ります。
第一回目は日本語教師を取り上げるので、この記事を見て興味もった方は是非!

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