こけし日記

元バンクーバーのパート主婦。

Don't work too hard(『仕事文脈』9号「バンクーバーと仕事 人生の手札」おまけ)

ときどき文章を書かせてもらっている雑誌『仕事文脈』の9号が出ました。

 


今回の特集は「ごはんと仕事」。
わたしは「バンクーバーと仕事」というタイトルで連載をしています。
内容はこんな感じ。


カナダと日本のカルチャーギャップは他にもあって、
補論として、カナダの人からよく言われる
Don't work too hardという言葉について考えたいと思います。


○一生懸命働くな?

カナダの職場でもうひとつ感じた大きなカルチャーギャップは、
Don't work too hardという言葉。

例えば

クリスマス前に働いていると
Don't work too hard

週5で働いていると人に言うと
Don't work too hard

土曜に働いていると
Don't work too hard

お客さんからだけじゃなく、同僚からも言われる。
仕事を一生懸命やるのが大事、人よりも倍働いて一人前、
自分がどれだけできたかよりも人と比べてどれくらいやっているか、
で評価される日本の価値観とは大違い。

確かに、夫の職場に5時以降に行くと誰もいない。
友人の職場の話を聞いても同様。
残業は「決められた時間内に仕事ができない」としてマイナス評価になる。
5時以降は飲みに行ったり、スポーツをしたり、家族と過ごす時間で、
オン/オフきっちりつけて、
プライベートやオフを充実させてこそ仕事がうまくいくという考え方。

会社の付き合いを断っても、それで評価が下がることはない。
会社の飲み会も2時間くらいで解散で、
家が遠いとか、子どもが入るという理由で途中で帰る人もいる。
日本で「付き合い悪い」と言われることが、
カナダだとその人にはその人の過ごし方があるからね、という感じで
あっさりしている。

上司との関係もフェアな感じ。
例えばわたしの職場だと、
上司の勤務態度を従業員が評価するというアンケートが配られる。
そこには仕事への熱意や成果のほかに、
従業員の扱い方がフェアかどうかという項目もある。
だから、休ませてくれないとか、シフトを入れてほしいのに入れてくれないとか、
暴言や人格を否定したり人種差別的な発言があったら、
従業員からその項目の点数を低くされる。
だから、おのずと上司は仕事に関しては口うるさくても、
人格を否定するような言い方はしないし、いじめなんてもってのほかという感じ。

だからマネージャー業務がいちばん大変。
いろんな国から来た移民がいて、
中には英語が不得手な人、
文化的背景が全然違う人がいる。
教え方が高圧的だったり差別的にならないように仕事を教えて、
うまくチームを回していくっていうのがマネージャーの仕事。
もちろん仕事を覚えられないとクビになったりするけど、
下に一方的に責任を押し付けられるということはない。
それよりも、うまくマネジメントできないのは、マネージャーの責任になる。


○日本とカナダの価値観の違い

日本だと全人格を仕事に投入しないとダメみたいな雰囲気がある。
だから仕事ができないのは、動かすマネージャーじゃなくて、部下の責任になる。
そして、仕事をがんばっているという態度の熱心さが求められる。
そして、態度をはかる指標は、
効率よりも遅くまで残るとか人より早く来るとか、
メールを一秒でも早く返すとか、飲みに誘ったら断らないとか、
わかりやすい目に見えるものに置き換えられたりする。
でも態度ではかるって、上司の裁量でいくらでもなんとでもなる。
だから、パワハラとか残業の温床になりやすい。
日本には企業が従業員を雇ってやってるから
言うこと聞いて当たり前みたいな昔の家制度っぽい名残とか、
仕事のできないうちは一人前じゃないみたいな年齢階梯制の名残が
すごい残っていると思う。
日本の企業は企業に滅私奉公みたいなのがすごいあって、
人生を仕事にかけないとダメって感じがすごい強い。

カナダは逆に、仕事が人生の全部じゃないという価値観が強い。
仕事は人生を構成する家族や趣味や勉強といったものの一部で、
仕事以外のことも充実して、いい人生が送れるという考え方なんだと思う。
だから、仕事で成し遂げたこととか収入が、
その人の人生の評価のすべてにならないし、
ほかのことも楽しみなよって感じで、みんな

Don't work too hard


って言ってくれるんだと思う。


○江戸時代以前の働きかた

そういえば、『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)という本で、
日本は江戸時代は今みたいに皆が勤勉に働く社会じゃなかったという話が出てきた。

  

 

例えば、

働かなければならないときは自主的に働いて、
油を売りたいときは自主的に油を売ったとか、

働く前にタバコをのんだり、だべったりして、
船を漕ぐとか物を運ぶとか力のいる労働をするときには歌を歌ったとか、
働く側がどう働くか主導権をもっていて、
労働を楽しみに転嫁させるような工夫とか、余裕があったという話が出てきた。

もちろん、江戸時代は今よりお金がかからなかったから
それほどお金を稼がなくてよかったということもあるだろう。
けど、今言われているほど、昔の日本人は働き者だったわけではないみたいだ。
タイトルを忘れてしまったけど、
「ものぐさ太郎」とか「三年寝太郎」とかの昔話から、
日本の昔の農村社会は今思われているほど働き者ではなかったということを、
書いた本を10年くらい前に読んだことがある。
農村社会の中で一人働きすぎることは、村の中で足並みを乱すことで、
よくないこととされていたらしい。
だから、昔の日本にもDon't work too hardみたいな考え方があったんだろう。

今の日本の社会で仕事=人生みたいになってしまうのは、
正社員的な時間を削ってお金を稼ぐような仕事に就かないと、
余裕のある生活をおくれないということが大きいだろう。
それに、社会保険や厚生年金や失業保険といった
正社員になることで受けられる社会保障が大きく、
会社がセーフティーネットになっているというのもある。
さらに、カナダと違って、
就活で人生が決まってその後の進路変更がしにくいということもある。
だから、どうしても仕事=人生みたいな生き方が主流になってしまうんだろう。

○労働は美徳か悪徳か?

わたしはビザの関係で、去年は働けなくてずっとうちにいた。
専業主婦で気楽って感じよりも、お金を稼がないことで感じる
家計や世間の役に立っていないという罪悪感とか、
疎外感の方が強かった。
今年からビザがとれて働き始めたけど、
働くことで、お金を稼いで家計に役立っているとか、
社会と関わっているという実感を持てて、精神的によかった。
仕事=人生になってしまうと、人生が空しくなったり、
働きすぎて病気や鬱になったりする。
逆に全然働かなくても、人から批判されたり、
自信がもてなかったりして、精神的によくないと思う。
適度な労働は健康にも精神的にもいい。
今の日本は、しんどいとか言ったら、すぐ「もっとしんどい人もいる」と言われて
グチもこぼしにくい社会だ。
だから、もっと

Don't work too hard

と言い合って、
ちょっとくらい疲れたとかしんどいとか、
グチをこぼしたりできる社会になればいいと思う。

※2017年4月29日追記
この記事をアップデートした原稿を仕事文脈10号に書きました。
テーマもズバリ「Don't work too hard」です。
5/7の東京文学フリマで先行発売あるそうです。

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