こけし日記

読むことと書くことについて

まずは目を見て話そう

いろいろ考えていたんだけど、
語学を上達させるのに重要なのは、
語彙力より発音より読解力より何より
コミュニケーション力じゃないのかと思った。

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コミュニケーション力っていっても、
いわゆる就活とかネットとかで言われている
コミュ力」っていうやつじゃなくって、
それ以前のもっと単純なやつ。
例えば、

わからないことはちゃんと聞く
人の目を見て話す
ハキハキ大きい声でしゃべるとか
目が合ったらそらさずに、にっこりする、

そういう超基本のやつ。

こっちに来てから、聞き取りが危ういので、
だいたい人の目を見て話す。
いつも「パードン?」と聞き返されるので、
発音とアクセントが悪いのはしょうがないから、
とりあえず大きな声で滑舌よく話す。
言葉でのコミュニケーションがつたないので、
わたしはあなたに敵意はないです、
フレンドリーですっていうのを示そうと思って割と笑顔でいる。
話題についていけなくなるので、わからない単語は
すぐに聞いたり調べたりする。
そういうのをやるうちに、
わたし、全然基本ができてへんかったんや・・
ということに気づいて超愕然とした。

とにかくコミュニケーションが怖いっていう気持ちが
子どものころからあった。
怖いのは緊張しているからで、
人の目を見れないとか、とんちんかんな答えをするとか
うまいタイミングで適切な答えができないっていうのがあった。
それに滑舌も悪いし声も小さかった。
表情も乏しかったし・・・。
仕事柄いろいろ訓練して人並みにできるようになったけど、
仕事関係ない場とか苦手な場とか、そこに苦手な人とかがいると、
結構できなくなる。
コミュニケーションていうのをしゃべることだって思ってたから、
なんかしゃべんないとっていうのがあって、
それを考えるうちに、ちゃんと話を聞いていなかったり
知ったかぶりで話したりしていた。 

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でも今は、あんまりしゃべれないけど、
コミュニケーション怖いっていう気持ちは少なくなった。
前に読んだ『持たない幸福論』で、
著者のphaさんがイベントとかで知らない人としゃべるのが苦手だから
あまりしゃべらなくても、すみっこでにこにこしていたら
悪い人には思われないし、それなりに周りの人にもほっといてもらえる
みたいなことを書いてあって、それと同じだと思った。

       


そういうふうに、相手とか場に敬意をはらって、
自分がそこになじもうという努力を見せるのが
コミュニケーションの上で大事なんじゃないかと思った。
おしゃべりなこととコミュニケーション力がある人
というのはぜんぜん違うということが最近やっとわかった。

英語も一緒で、流暢にネイティブと同じようにしゃべれるから
コミュニケーション力があるわけじゃなくて、
いろんな国のなまりのある英語をちゃんと聞いて、
それをバカにしたり、つたないからって意地悪せずに、
公平につきあうっていうことが大事なんだと思った。
しゃべれないからって、いじけたり、引け目を感じたりせずに、
堂々とすればいいんかと思った。
今は、そういうのが上達の第一歩なんじゃないかなって思っている。

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