こけし日記

読むことと書くことについて

『デジタル・ミニマリスト』実践練習03

はじめに
たまたま読んだ『デジタル・ミニマリスト』という本が面白かった。
「デジタル・ミニマリスト」というのは、本当にやりたいことに集中するために、オンラインで過ごす時間を減らした人たちのことだ。

この記事は、実践にあたり、自分の記録を通じて、実施についての注意点や、どんな効果があったか、成功するか失敗するか、もし失敗したらどこが悪かったかを検証するために書くものだ。

参考)

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

デジタル片付けをするための下準備
この本は、1、基礎2、演習からできている。
基礎では、スマホ依存の正体について、デジタル・ミニマリズムとは何か具体的にデジタル片付けをどうやるかが紹介されている。



演習では、1人で過ごす時間をもつとか、いいねをしないとか、趣味を取りもどすとか、SNSアプリを全部消すといった、スマホ依存を脱し、デジタル・ミニマリストになるためのいくつかの提案がされている。

わたしはまず、基礎の82ページにあったデジタル片付けのプロセスに基づいてデジタル片付けを実行ことにした。

 
デジタル片付けのプロセス
1、三〇日のリセット期間を定め、かならずしも必要ではないテクノロジーの利用を休止する。
2、この三〇日間に、楽しくてやりがいのある活動や行動を新しく探したり再発見したりする。
3、休止期間が終わったら、まっさらな状態の生活に、休止していたテクノロジーを再導入する。その一つひとつについて、自分の生活にどのようなメリットがあるか、そのメリットを最大化するにはどのように利用すべきかを検討する。

「かならずしも必要ではないテクノロジー」の見極め
そのためにいくつか下準備が必要だ。
85ページの「ステップ1:テクノロジー利用のルールを決める」では、この下準備について詳しく書かれている。

まず、ここで対象となるデジタル片付けの対象となる新しいテクノロジーというのは、アプリ、ウェブサイト、コンピュータや携帯を通じた娯楽や情報収集、連絡に使うデジタルツールなどを言う。
ゲーム、ストリーミングサービスなどを入れるかどうかは人による。

1の「かならずしも必要ではないテクノロジー」については、仕事、家族の送迎などに重要な役割を果しているもの以外。それでもどうしても利用しなければならない場合は、運用規定を設けるとよいと書いてあった。

自分のルールを作る
今わたしが主に利用している「新しいテクノロジー」は以下のものだ。

・電子メール
・LINE
Instagram
Twitter
Facebook
はてなブログ
・note
wordpress
Amazonプライム


細かいのも入れると、ポッドキャストYouTube、ほとんど使っていないWechatなどがある。

Amazonプライム以外は仕事に使っている。
オイ!!
ほとんどやめてないやんけ!!というツッコミはあると思いますが、
すみません、仕事で使っているんです。
やめたのはAmazonプライムだけだった。
それで、わたしは以下のようなルールを設けることにした。

週1回のメンテナンス、午前中のみ
・note
wordpress

更新するときだけ
はてなブログ

毎日ストーリーズに書いている消える日記を投稿する時だけ見ていい。
それ以上は見ない
Instagram

お勤めに行っているところから業務連絡が来るので、勤務の前の日のみ
・LINE

毎日(ただし、朝、昼、晩の3回だけ。晩御飯を食べた後は見ない)
・電子メール


そして、肝心のTwitterFacebookをどうするか、ルールを決めかねていた。
『デジタル・ミニマリスト』ではアプリを消し、スマホじゃなくてパソコンで見ることを推奨していたが、わたしはうちにいることも多いし、パソコンは仕事に使うので、パソコンのときにTwitterFacebookオッケーにしてしまうと、あまり変わらない気がして、逆にした。
それだけだと、だらだら見てしまうから、スクリーンタイムで、safariの使用時間を1時間以内に設定した。

移動中のみオッケー
Twitter
Facebook

そして、自分の中でTwitterは告知用と割り切り、基本的には宣伝しか書かないようにすることにした。
これで準備はできた。いよいよ実践だ。

『デジタル・ミニマリスト』実践練習02

はじめに
たまたま読んだ『デジタル・ミニマリスト』という本が面白かった。
「デジタル・ミニマリスト」というのは、本当にやりたいことに集中するために、オンラインで過ごす時間を減らした人たちのことだ。


この記事は、実践にあたり、自分の記録を通じて、実施についての注意点や、どんな効果があったか、成功するか失敗するか、もし失敗したらどこが悪かったかを検証するために書くものだ。

参考)『デジタル・ミニマリスト』実践練習

kokeshiwabuki.hatenablog.com



デジタル・ミニマリストになる前 その2

・1週間の使い方

 

まず1週間の時間の使い方を見直してみた。
仕事に行く日と在宅ワークの日とオフの日がある。デジタル・ミニマリストになる前の一週間のSNSとの付き合い方はこんな感じだった。

まず仕事に行く日は、電車に乗っている時間にSNSをずっと見てしまう。往復約3時間かかるけど、ずっとSNSを見ていることもあった。じゃなきゃ寝るか。全然生産的じゃない…。場合によっては帰ってからもごはんを作るまで見てだらだらしてしまうこともあった。

在宅ワークの日は、日によっては朝SNS開いてしまって、そのまま気になるニュースやそれについての意見をずっと眺めてしまって午前中がつぶれるということがあった。また、ちょっとした発言や友達同士のやり取りが気になったり、嫌なニュースが頭から離れず、今やることに集中できなくて困ることもあった。SNSを開かないで朝から仕事している日は、パソコンも使っているので、パソコンを触ったり本を読んだりしながら、合間にiPhoneをいじってしまって、集中力が削がれることもあった。

オフの日は、在宅ワークの日同様のことが起こって、その日を楽しく過ごす気持ちを台無しにしてしまったり、一日中iPhoneの前から離れられなくてせっかくの休日をフイにしてしまうこともあった。

なんて無駄なことをしているんだろ、でもやめられない。そしてやめられない自分はなんて意志が弱いんだ、そんな葛藤でぐるぐるしていた。

・1週間のiPhoneの使い方
実施前に実際自分がどれくらいオンラインで過ごしているか測ってみることにした。
iPhoneにはスクリーンタイムという機能がある。これを使って、自分がどれくらいiPhoneで何をしているのか確認することにした。
これが始める前の使い方だ。

画像1


上は実施前のある一週間の記録だ。1日平均2時間46分と平均よりは少ない方だが、わたしはパソコンも持っている。パソコンで見る時間は1.5倍くらいだと仮定すると、1日平均4時間くらい使っていることになる。
また、SNSだけで一週間に13時間38分も費やしている。1日平均1.9時間。これもパソコンで見る時間も計算したら、1日3時間くらい費やしていることになる。依存というほどじゃないけど、ちょっと多いかも……。

デジタル・ミニマリストになる前の自分なりの工夫
この本を読むまでもいろんな工夫をしていた。それでもこの量だ。
どんな工夫をしていたか紹介すると……。

・アプリを消す
すぐ思いつくのはアプリを消すこと。
わたしもやってみた。アプリを入れているのはアプリからじゃないと投稿できないインスタだけ。TwitterFacebookのアプリは入れてない。でもアプリを入れていなくても、safariから検索して、パスワードとIDを入れていたら、そのまますぐログインできてしまう。でも、一度ログインしてしまうと、ずっと眺めてしまうことに変わりがない。

本にもあった通り、

ライフハックじゃ足りない(P47)

のだ。
そういう小手先の工夫じゃなくて、もっと根本的なやり方が必要なのだ。

わたしは、本に書いてあることをさっそく実践してみることにした。

『デジタル・ミニマリスト』実践練習

noteの2019年11月20日の記事から移行しました。




たまたま読んだ『デジタル・ミニマリスト』という本が面白かった。
「デジタル・ミニマリスト」というのは、本当にやりたいことに集中するために、オンラインで過ごす時間を減らした人たちのことだ。
この本を読んで、早速実践してみることにした。
本当は読んですぐやりたかったけど、いろいろな準備が必要だったので、本日からデジタル・ミニマリストを実践することにした。

この記事は、実践にあたり、自分の記録を通じて、実施についての注意点や、どんな効果があったか、成功するか失敗するか、もし失敗したらどこが悪かったかを検証するために書くものだ。

デジタル・ミニマリストになる前 その1
今年に入ってTwitterをやめたいと思うことが増えた。
理由はいろいろある。

1.人間不信
一つ目は6月に、5月にTwitterで炎上していた案件についてnoteで書いて、その記事が当人にTwitterで見つけられたことをきっかけに、軽く人間不信になったことがあった。

いちおう当人とはTwitterでやりとりして収まったけど、わたしのやり方はあまりうまくなくて、それで何人かフォロワーが減ったり、わたしに悪印象を抱く人がいたりした。
わたしのnoteの記事はわたしの知らないところでFacebookでシェアされていろいろ言われたりしていたと当人と別の人が教えてくれた。
どんなことを言われていたんだろうと、自分の名前と考えつく悪口で検索したけど何も出てこなかった。つまりわたしの見えないところで、陰で人の悪口を言っている人がいるということがいるとわかった。それが結構ショックだった。
また、当人のわたしへの反論をリツイートするだけして、わたしには何にも言ってこない人もいて、それもなんか卑怯な感じがした。わたしだけ実名でその人に面と向かって意見を書いて馬鹿を見たと思った。
結局、Twitterのフォロワーって言っても全員わたしの味方じゃなくて、わたしの失敗や揚げ足を取って笑うために観察している人もいるかもしれないという気持ちになり、人間不信になった。

2.本当に自分の意見?
二つ目は『「いいね!」戦争』という本を読んだことだ。

これは、ソーシャルメディアがいかに戦争や選挙において、いかに世論操作の道具として使われたかを解き明かす本だ。
自分の意見は実はだれかにあやつられているかも……とか、簡単に影響を受けるかもしれないと思うと、だんだん怖くなってきた。
ソーシャルメディアがいかに人の心に影響を与えるかを知って、もうちょっと距離を取った方がいいんじゃないかと思うようになった。

3.人への許容量が減る
三つ目は、自分のフォローの仕方次第で、世界の見え方が変わる感じがちょっと怖くなってきたことだ。

例えば今年は選挙のときに、周りが「投票に行こう」という呼びかけツイートをしていたり、あいちトリエンナーレの表現の不自由展閉鎖に対して反対というツイートがしょっちゅう回ってきた。それを見るたびに微妙な気持ちになった。
もちろん自分は選挙に行った方がいいと思うし、検閲には反対だけど、こうやって何度も何度もその意見を目にして、みんながそれ一色に見えるのに、それは自分のサークルの中だけで、ちょっと外に出たらそうじゃないっていうのがわかったときの落差が怖かった。
また、話せば簡単な意見の相違で終わることが、Twitterや文字だけでは、ちょっと意見が違うだけで、同じ考えだと思っていたのにという失望や、敵みたいな気持ちがわき起こるときもあって、すぐフォローを外してしまおうとする、自分の態度が怖かった。

ドラえもんに独裁スイッチという道具が出てくる。自分の気に入らない人を消せるスイッチだ。のび太はそれを押しまくって、嫌いな人間を消していくが、とうとう最後には自分以外誰もいなくなってしまう。
そういうふうに、自分のさじ加減一つで好きな価値観の世界を作ってそこにどっぷり漬かりきってしまうことが、ちょっとよくないんじゃないかと思うようになってきた。

4.現実でも動かないと意味がない
四つ目はツイートで世界が変わるのかということに疑問が出てきたことだ。

Twitterはボタン一つで投稿したり情報を拡散できて簡単なところがいいけど、それだけで世の中が変わる気になってしまう。
例えばイベント集客とか本の宣伝でも、毎日こんなに一生懸命やっているのに、どうして影響がないんだろうと思うと、自分の無力感が増して辛くなるときがあった。
もちろん、石川優実さんのKuToo運動のように、Twitterから世論を動かすようなこともできるんだろうけど、それは石川さんが表に立って現実でも活動しているからだと思う。
結局Twitterだけでは、ボタン一つで何かをやったような気になっているだけで何も変わらないんじゃないかと思うようになった。

そういう気持ちからTwitterをやめたいと思うようになってきた。だけど、どうしても見てしまう。
ちょっとした時間つぶしにTwitterはちょうどよくて、無限に短時間で見られるコンテンツを提供してくれる。
何も考えたくないときや、疲れているけど、暇なときにちょうどいい娯楽になって、どうしてもやめることができなかった。
それでいろいろな工夫をしてみることにした。

HPができました

HPができました。

 

editota.com

 

今後はこちらにお知らせを書いていく予定です。

今まで読んでいただき、ありがとうございました。

過去記事については、こちらに置いておきますので、どうぞご覧下さい。

今後ともよろしくお願いします。

Hello folks更新しました。

サウダージブックスが送るウェブマガジン「風の声」のHello folks10回目。

今回からは日系カナダ人の話になります。

www.saudadebooks.com

 



コミュニティセンターでであったアリスさんという日系人の女性の半生と
彼女の家族史をもとに、カナダで日系人がどのように生きてきたかについて
お届けします。

『よい移民』イベント@ajiro(福岡)まとめ

10月18日にCAVAブックスで『よい移民』トークイベントがあります。

cvbks.jp


過去のイベントの様子をまとめましたので、参加ご検討中の方はご参考にどうぞ。


・・・・・

去る9月28日、福岡にある書店ワajiroで、
『よい移民』トークイベントが開催されました。

参加者のみなさんの声をまとめてみました。

 

 

 

 

 

 



   

『よい移民』イベント@ワールドエンズ・ガーデン(神戸)まとめ

10月18日にCAVAブックスで『よい移民』トークイベントがあります。

cvbks.jp


過去のイベントの様子をまとめましたので、参加ご検討中の方はご参考にどうぞ。


・・・・・

去る9月21日、神戸にある書店ワールドエンズ・ガーデンで、
『よい移民』トークイベントが開催されました。
ゲストはライターのヒトミ・クバーナ(@hitomicubana)さんでした。

参加者のみなさんの声をまとめてみました。

 

 

 

 

 

 

創元社の編集Aさん(@sgs_asayama)の連続ツイート


執筆陣は、全員が「BAME」にカテゴライズされる人々。これは「Black, Asian, Minority Ethnic: 黒人、アジア人、少数民族」の頭文字をとった言葉。

ただ、親は移民であっても、本人たちのアイデンティティは英国にある。英国で生まれ育ったのに、英国人として扱われないこと(あるいは、「よい移民」としてのみ、その場所にいることが許されるということ)。その問題。

ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の話。同じ移民をあつかった本で、すごく売れて助かった。表紙も黄色くて、似てる(苦笑)

収録作のなかでも印象的なのは、中東ルーツの女優のエッセイ。いろんな役になりきれることが演技の素晴らしさなのに、与えられるのは「テロリストの妻」など、決まりきったステレオタイプなものばかり。

「始めてもいないうちから、なぜわたしは型にはめられていたのか?」(271ページ)
「イエローフィーバー」という言葉がある。アジア人女性を過剰に「従順で、かつ性的な存在」だとイメージしている人たちのこと。

彼がセックスをしたのは、私か、それとも「性的で従順なアジア女」だったのか。(ココ・カーン「国旗」本書収録について)

プロレスラーの「ケンドー・ナガサキ」についてのエッセイ。執筆者は中国系ルーツなのに、この日本人の名前をもった悪役を応援し、憧れてしまう。

「私は自分が『オリエンタル』であることを受け入れ、別の『オリエンタル』の中に一つの『ロール・モデル』を見出したのです」(本書77ページ)

エッセイ「そんなのだめだよ!お話は白人についてじゃないと」について。栢木さんはこのタイトルがすべてを現すような章を読んで「この本は訳さないといけない」と思ったとのこと。
(私もこの章、すごく重要だと思います!)

 

編集担当太田のツイート

 

ヒトミさん、ご自身の体験から移民に興味を持った経緯について。
イギリスの物語なのに1つ1つの話題が身近でイメージしやすくて、しみじみしてなかなかさっと読めなかった。
移民にもさまざまなバックグラウンドがあるのに、自分が移民に理解があるって思い込んでたことに気づいた。

栢木さん、この本は内容が読みにくい本。1つ1つの体験が重くて、自分の体験とつながって、自分の差別された体験や、差別した体験に気づく本。

中にはイギリスの話だけど自分ごとすぎて途中までしか読めない方もいた。
読むのにすごく時間がかかる本。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の話題が。
この本の次に『よい移民』を買ってくれる人も多いそう!
『よい移民』は日本ルーツの人が出てこないのと、ぼくイエは子どもの話で、今の本なので一緒に読むとおススメと。

栢木さんのオススメはミスLさんの「テロリストの妻」、ヒトミさんのオススメは「黒人になるためのガイド」。
ヒトミさん イヌア・エラムスの「アフリカに切り込む 黒人向けの床屋と男の話」も国籍とか、民族について考えるヒントになったと。

栢木さん『よい移民』は多様性がいいのはわかっていても、意識する前からステレオタイプをなすりつけられていて、そうさせてもらえない。その中で自分たちのありのままを認め、表現した人たちの物語だと。

「黄色」ヴェラ・チョック、「国旗」ココ・カーン、両方とも東アジア系の女性が、従順だけど性的に奔放だとして、性的アイコンとして消費される。また、それだけでなくある人がある人に気安く声をかけていいと思われるのが問題だという話。

ダニエル・ヨーク・ロー「ケンドー・ナガサキと私」、アジア系のロールモデルがいないと悩んでいた中国系の少年があるプロレスラーにのめり込む話。オチが秀逸なのでぜひ読んで欲しい。

ヒトミさん、『よい移民』わかってるつもりだったけど、わかってなかったという発見の多い本。栢木さん、多様性を描くのはマイノリティへの配慮じゃなくて、そういう人たちがいるという現実を写していないのが問題。

栢木さん、移民については、これから育つ子供たちがいるから、一過性のブームじゃなくて、そういう子たちが本が読めるようになって手に取れるようだし続けないといけない。

タイトルの『よい移民』はよい移民として振る舞わないといけないというプレッシャーを描いてるし、自分たちはもうイギリス国民で「移民じゃないけど」という皮肉にもなってる。結構複雑な意味合いが込められてて、刺さる人にはすごい刺さるタイトルという話。