こけし日記

読むことと書くことについて

『デジタル・ミニマリスト』実践練習

noteの2019年11月20日の記事から移行しました。




たまたま読んだ『デジタル・ミニマリスト』という本が面白かった。
「デジタル・ミニマリスト」というのは、本当にやりたいことに集中するために、オンラインで過ごす時間を減らした人たちのことだ。
この本を読んで、早速実践してみることにした。
本当は読んですぐやりたかったけど、いろいろな準備が必要だったので、本日からデジタル・ミニマリストを実践することにした。

この記事は、実践にあたり、自分の記録を通じて、実施についての注意点や、どんな効果があったか、成功するか失敗するか、もし失敗したらどこが悪かったかを検証するために書くものだ。

デジタル・ミニマリストになる前 その1
今年に入ってTwitterをやめたいと思うことが増えた。
理由はいろいろある。

1.人間不信
一つ目は6月に、5月にTwitterで炎上していた案件についてnoteで書いて、その記事が当人にTwitterで見つけられたことをきっかけに、軽く人間不信になったことがあった。

いちおう当人とはTwitterでやりとりして収まったけど、わたしのやり方はあまりうまくなくて、それで何人かフォロワーが減ったり、わたしに悪印象を抱く人がいたりした。
わたしのnoteの記事はわたしの知らないところでFacebookでシェアされていろいろ言われたりしていたと当人と別の人が教えてくれた。
どんなことを言われていたんだろうと、自分の名前と考えつく悪口で検索したけど何も出てこなかった。つまりわたしの見えないところで、陰で人の悪口を言っている人がいるということがいるとわかった。それが結構ショックだった。
また、当人のわたしへの反論をリツイートするだけして、わたしには何にも言ってこない人もいて、それもなんか卑怯な感じがした。わたしだけ実名でその人に面と向かって意見を書いて馬鹿を見たと思った。
結局、Twitterのフォロワーって言っても全員わたしの味方じゃなくて、わたしの失敗や揚げ足を取って笑うために観察している人もいるかもしれないという気持ちになり、人間不信になった。

2.本当に自分の意見?
二つ目は『「いいね!」戦争』という本を読んだことだ。

これは、ソーシャルメディアがいかに戦争や選挙において、いかに世論操作の道具として使われたかを解き明かす本だ。
自分の意見は実はだれかにあやつられているかも……とか、簡単に影響を受けるかもしれないと思うと、だんだん怖くなってきた。
ソーシャルメディアがいかに人の心に影響を与えるかを知って、もうちょっと距離を取った方がいいんじゃないかと思うようになった。

3.人への許容量が減る
三つ目は、自分のフォローの仕方次第で、世界の見え方が変わる感じがちょっと怖くなってきたことだ。

例えば今年は選挙のときに、周りが「投票に行こう」という呼びかけツイートをしていたり、あいちトリエンナーレの表現の不自由展閉鎖に対して反対というツイートがしょっちゅう回ってきた。それを見るたびに微妙な気持ちになった。
もちろん自分は選挙に行った方がいいと思うし、検閲には反対だけど、こうやって何度も何度もその意見を目にして、みんながそれ一色に見えるのに、それは自分のサークルの中だけで、ちょっと外に出たらそうじゃないっていうのがわかったときの落差が怖かった。
また、話せば簡単な意見の相違で終わることが、Twitterや文字だけでは、ちょっと意見が違うだけで、同じ考えだと思っていたのにという失望や、敵みたいな気持ちがわき起こるときもあって、すぐフォローを外してしまおうとする、自分の態度が怖かった。

ドラえもんに独裁スイッチという道具が出てくる。自分の気に入らない人を消せるスイッチだ。のび太はそれを押しまくって、嫌いな人間を消していくが、とうとう最後には自分以外誰もいなくなってしまう。
そういうふうに、自分のさじ加減一つで好きな価値観の世界を作ってそこにどっぷり漬かりきってしまうことが、ちょっとよくないんじゃないかと思うようになってきた。

4.現実でも動かないと意味がない
四つ目はツイートで世界が変わるのかということに疑問が出てきたことだ。

Twitterはボタン一つで投稿したり情報を拡散できて簡単なところがいいけど、それだけで世の中が変わる気になってしまう。
例えばイベント集客とか本の宣伝でも、毎日こんなに一生懸命やっているのに、どうして影響がないんだろうと思うと、自分の無力感が増して辛くなるときがあった。
もちろん、石川優実さんのKuToo運動のように、Twitterから世論を動かすようなこともできるんだろうけど、それは石川さんが表に立って現実でも活動しているからだと思う。
結局Twitterだけでは、ボタン一つで何かをやったような気になっているだけで何も変わらないんじゃないかと思うようになった。

そういう気持ちからTwitterをやめたいと思うようになってきた。だけど、どうしても見てしまう。
ちょっとした時間つぶしにTwitterはちょうどよくて、無限に短時間で見られるコンテンツを提供してくれる。
何も考えたくないときや、疲れているけど、暇なときにちょうどいい娯楽になって、どうしてもやめることができなかった。
それでいろいろな工夫をしてみることにした。