こけし日記

読むことと書くことについて

日本のフロンティアはどこだ

この間『縮小ニッポンの衝撃』という本を読んで気分が暗くなってしまった。
人は減るし金はないし、あんまり未来に希望が持てない。
90年代はまだイケイケな雰囲気があったけど、2000年に入ってから社会にどんどんそういう雰囲気がなくなってきている感じがする。

  


思い返せばカナダにいたときはあんまりそういう気分にならなかった。
国の雰囲気が日本とだいぶ違うかったせいだ。カナダは余裕がある。
まず人が少なくて土地が余っていて広い。人口密度が全然違うカナダは1㎢あたり3.4人、日本は336人。広さなんか約26倍ある。
電車が混まないとか家が広いというだけでストレスが減り、空間の余裕が心の余裕につながりる。

資源がある国とない国
それから、資源国というのも強い。
オイルサンドとか、天然ガスが出るのでそれで商売できる。
逆に日本は資源がないから、物とかアイデアを作って売るか観光で稼ぐくらいしかない。
そういうところはいろんな政策に影響して、例えば学歴重視になったり、国内で消費を刺激するような政策が善とされたりする。

日本はやっぱり物を売らないといけないっていうのがあるせいか、国内でいろんな会社が競争している。それはいろんな製品が出て便利さにつながることになるなんだけど、その競争がすごい狭いところで価格の安さでやってて、ちょっとしんどい。
似たような製品とか日常の些細な困りごととかニーズに対応する商品がどんどん産まれて、消費者に物を買えって圧がかかって、なんか息苦しい雰囲気がある。

逆にカナダは物を売らなくても大丈夫な国柄のせいか、同業他社が少なくて、この製品はだいたいこの価格って決まっていて、それがべらぼうに安かったりすることはあまりない。
日本だと値段と品質が比例しなくて選択肢が10くらいあるって感じだけど、カナダだと、すごい安い粗悪品か、まあまあの品質のまあまあの値段か、めっちゃ高いものくらいの3つくらいの選択肢しかない。

人口減少と過疎
カナダも少子化が進んでいるらしいけど、移民社会だから、人口をよそから入れたらいいという考え方をしているので、結婚しろとか子供を産めという圧は少ないし、日本ほど悲観してない。
教育熱も移民によってだいぶ考え方は違うけど、カナダ人は日本みたいな学歴偏重って感じは少ない。移民社会だから人口もいい人材もよその国からひっぱってくればいいっていう考えが元にあるんだと思う。

カナダだとそもそも人の住める土地は少ないっていうところが大きいので、人口の大部分がアメリカの国境よりに集中している。
だから、あまり過疎を問題としていない。
少数民族の村とかで人口が減っているっていう問題は聞いたことがあるけど、国全体の問題という感じではない。
がんばって開発しようっていうよりも、手をつけられないから置いておこうって感じでそもそも人が入っていない。

日本は逆で、がんばったら住めるって感じの自然だから、江戸時代くらいから山奥まで開発して人が住んだけど、そういう集落が過疎化によって人口が都市に移動したから閉鎖を迎えている。

日本のフロンティア
カナダは先進国なんだけど、フロンティアっぽさが残ってる感じがある。
人間ではどうにもできないっていう部分が国土の大半を占めているから、そこは放置というかあきらめというか、関与しない感じがある。

日本のフロンティアというと、わたしは戦後すぐの写真を思い出す。
爆撃でやられて大変だと思う一方で、こんなに土地があってこれから何でもやれそうな雰囲気がいいなというふうにも思う。
それから、地元の高校で60年代の学園紛争の時代の人が校則を変えて、制服から私服通学オッケーにしたという話もすごいフロンティア感があると思う。若者が自分たちの力で制度を作ったり変えたりできる時代があったことをびっくりする。

今の日本にフロンティアなんかあるのかなー。
15-20年前ならインターネットで、5-10年くらい前ならフリーランスとか地方なのかな。
日本はすぐになんでも制度化されて、フォーマットができるのがすごい速い。
地方移住だって、フリーランスになって独立だって、先行者がいて、それを誰かがフォーマットにしてお金を稼ぐモデルをつくって、国が制度化していく。
田舎ぐらしは変わりもののすることとか、フリーランスなんかやくざな仕事って言われていたのが、今は地方創生とか働き方改革って言われて国のお墨付きがつくような時代になってびっくりする。
カナダに行って改めて、日本は社会が制度化されて国土は開発されすぎて、何かできる余地があるようには見えない社会だから、生きづらかったんだなと思った。

矛盾するけど、今は拡大よりどう縮小するかがフロンティアなのかな。