こけし日記

太田明日香のブログ

自分は確かにそこにいた

先日久々に夜出かけたら、東京にいるような気分になってすごく不思議だった。古い西洋建築がライトアップされているのを見てそう思ったのだが、それがどうして東京のイメージにつながるのだろうか。東京にあるライトアップされた古い西洋建築といえば、一つしかない。東京駅だ。
その建物がいつごろ作られたものだったかわからないけど、日本の統治時代に建てられたものという可能性はある。西洋建築とライトアップだけで東京駅を連想して、同じようなものを見て東京にいる気分になった。

同じようなことが先日地下鉄に乗っているときにも起こった。台北の地下鉄に乗って、市街地から最寄りまで帰ってくる途中に、いつのまにか日本にいるみたいな気分になっていた。多分その電車の感じが何かに似ていたのだ。
前は奈良に住んでいたのだが、大阪から帰る時に使っていた地下鉄の感じだった。大阪から奈良へ行くルートは近鉄では2つあって、その1つは地下鉄がそのまま近鉄の路線につながっているのだが、東大阪あたりから高架になって生駒山のトンネルを抜けて奈良につながっている。だいたいの人は生駒駅で降りるので、乗っているうちにだんだん人が減ってくる。ちょうど台北の地下鉄に乗っていたときの感じが、大阪から奈良に帰るときの電車の高架の感じや、電車からだんだん人が減っていく感じに似ていた。

それは、電車の体感や視覚の印象から引き起こされる、過去の自分の一コマだ。思い出というほどのエピソードもないから懐かしいとは思うほどでもない、あのときのこの感覚と同じ、あそこにいるみたいと、体や視覚が覚えている感覚が蘇って、そしてすぐ消える。デジャブは初めて見たのに知っていることのように思うことだが、そうじゃなくて、こういう、初めてのものを見て同じような感覚になった別のものを思い出すのは、なんと言うのだろう。

どんなにいい思い出だって忘れてしまうし、あんなに撮った写真だって見返さない。こんなにたくさん毎日のことを書いていても、引っ越しすれば本当に自分がそこにいたか疑わしくて、日本にいた頃の生活が夢みたいだと思う。けど、こうやってふとした瞬間に体の感覚が蘇るとき、自分は確かに日本に住んでいたんだって我に返る感じになる。その感覚は、思い出や写真や文章よりもはっきりと、自分が確かにそこにいたことを証明してくれている。