2023年に整理収納アドバイザーに頼んで部屋の片づけをやった。
そのあとも少しずつ不用品を処分したり、使いかけのものを使い切るということをやって、断続的に記録を続けていた。
そうしていたら、夫の台湾での就職が決まって、私も台湾に住むことになり、さらに本格的に片付けていかなければいかなくなった。
正直、2023年の片付けがなかったらと思うとぞっとする。
これだけこまごま不用品を捨てたり、余計なものを買わないようにしたり、最後まで使いきるようにしていたって、たくさん捨てないといけないものがあった。
もし2023年に片付けていなかったら、また最後まで分別できなくて判断できないものを実家に送ったり、台湾にお金をかけて送ったり、トランクルームに預けたりしていたかもしれない。
きっとそういうものは、いつまでたっても開封されないまま、ゴミになってしまっただろう。
先に台湾に行った夫は、うちに使いかけの香水やスキンケア用品をたくさん置いていった。香水は売れると聞いてわざわざ買い取りサイトに登録して査定したら500円にしかならなかった。交通費にもならない。
フリマサイトでなら高く売れるかもしれないけど、確実じゃないし、出品するまでの手間や梱包材を買ったり、割れないように包んで送る手間を考えると、割に合うかわからない。
最初は夫の代わりに夫のものを売ったり使ったりしていたけど、途中でどうして私がこんなことをしないといけないのだろう、夫にまかせようと思って夫の残したものの片付けをやめた。
もちろん、相手の人が喜んでくれるなら自分が使わなくなったものを譲ったりあげたりしてもいいと思うけど、それが自分の不用品の押し付けにならないようにしたい。
片付けながら、ずっと自分が嫌だと思っていたことについて、改めて自覚した。
私の親はけっこう物をくれる人で、結構それが若い頃から嫌で、何度もやめてほしいと言っていた。
でも、友達やほかの家族に言っても「くれるものはもらえばいいのに」とか、「親なんだから甘えたらいい」と言われることが多かった。
親はわたしにいるかどうか聞いて、私の返事を聞いてからくれるということや、わたしがほしいとお願いしてくれるということがなくて、ほんとうに何度もやめてほしいし、いらない、と言っているのにくれるという感じだった。
筆子さんの方法も試したけど、効果がなかった。
何度言ってもやめてくれないというのが続くと、私は親のあげたいという気持ちをくんでいるのに、親は私のいらないという気持ちをくんでくれなくて、自分のやめてという気持ちがないがしろにされているような気持ちになってきた。
そのせいで、だんだん親自体とも関わりたくなくなってきた。
そんなとき、『振り回されるのはやめるって決めた』という本を読んだ。
これは適切な自他境界をつくるための本で、そこに、相手が望んでいないのにお金やものを渡すのは境界線の侵害だという文があった。
私はいままで、親がものをくれるのを断るのに罪悪感があった。親に搾取されている人もいるのに、お金やものをくれることを愚痴るなんて贅沢だと思っていた。
けど、この本を読んで私がいやだったのは、この境界線の侵害だったということがやっとわかった。
そういえば若いころ、私も人にいらないものをあげて失礼だと叱られたことがあった。
そのとき、すごく恥ずかしくて、消えたくなった。そして、自分がそれをやられていたことにも気づいて、悲しかった。そこでやっと、それってやっちゃいけないことで、いらないものは断っていいことなんだってわかった。
結局片付けって、自分で買ったものの責任を最後まで自分で取るってことだと思う。
昔みたいにものが少なくて、それを作る技術もものすごく高くて、次の世代でも使えるものなら譲ればいいけど、私が持っているものの多くは、大量生産品がほとんどだ。
手づくり品だって、私が好きで買ったけどほかの人がいるかはわからない。
ちゃんと選んで買って、それの寿命がなくなるまで使って、自分で買ったものは自分で最後まで使い切ろう。
それが自分の買い物に対する責任だと思う。