こけし日記

たのしい台湾生活

ずっと自分にイライラしている

この数日イライラして、あれがやりたいこれがやりたいだの、もっとこうなりたいだのをニュースレターやFacebookに書いていた。
でも書いてみて、なんか違うかもと思った。
私はやりたいことをやってないからイライラしているんだと思ったけど、そうじゃなくて自分の才能とかやりたいこととかを信じきれない自分に対してイライラしてるんだなって思った。

私は、表現することへの自分への期待値が高くて、本当は自分はこれくらいできるはずなのにっていう基準が思うように満たされなくて、すごくイライラしてしまう。
今まではイライラへの対処法が、表現したいと思わないようにすることと、ここまでできるはずという自分への期待値を下げることで、満足度を上げることだった。
けど、そうすると逆になんで自分はこのレベルで自分を満足させないといけないんだろうとか、そこで満足しているなんて自分はなんてつまらない人間なんだろうと思って、またイライラしてくる。
だから、今までの表現欲求をないことにしたり、求めるレベルを下げる対処法は間違っていたと思う。

私はずっと何かを表現したいくせに、自分が何かを表現したいと思うことを、素直に認められない。
どうしてもいい歳してとか、そんなことしてもお金にならないのにとか、賞とか取ってないのにとか思ってしまう。
何より自分に才能がないのにと思ってしまう。
私はこれまで作品をお金にすることや仕事にすることにこだわっていた。
それは、表現は才能があれば許されるけど、自分には才能があるかどうかわからないから、お金にすれば才能があるという証拠になるし、お金をもらえていたら誰にも文句を言われないからだ。なぜか、私は才能がないと作ったり表現したりしてはいけないと思っていた。表現とは、才能がある特別な人にだけしか許されないことだと思っていた節がある。

ずっと、誰かに応援してもらっていたらとか、美大に行っていたらとか、○○の環境だったらとか、お金にできたらということにこだわっていた。そうすればこのイライラがなくなるんだと思っていた。
でも、そうじゃない。
私がその前にやらないといけないのは、才能がどうとか言う前に、やってみることだったんじゃないか。
才能のあるなしに関わらず、ただやってみたいからやってみることだったんじゃないか。

空手道場や語学や日本語教師をやってみて、最初できなかったり、下手でも練習すれば上手になるということがわかったし、別に下手だからといってバカにされることもないし、それをバカにする必要もないことはわかった。

そもそも自分に才能があるって信じなくても、やってみたらできるようになることは多い。
自分にイライラして鬱屈して爆発するくらいなら、やればいいのに。