こけし日記

読むことと書くことについて

風呂と施しの文化史- 救済と福祉の千年を考える・茂木秀之✖️鈴木遥@Calo Bookshop&Cafe(2019年5月6日) 6

大阪のCalo Bookshop&Cafeで開催された、茂木秀之さんと鈴木遥さんのトークイベント『風呂と施しの文化史- 救済と福祉の千年を考える』に行ってきました。

鈴木さんはノンフィクションライターとしても活躍され、『ミドリさんとカラクリ屋敷』という本を出版されたり、『続・次の本へ』という本に寄稿されたりもしています。
茂木さんは福祉施設で介助の仕事をしながら、「人文とおしゃべり会」という会を主催され、『介助/赤ちゃん/神と死者』というZineを出されています。

イベントの内容
内容は、風呂や入浴、古くは光明皇后にまで遡る病人や貧者をお風呂に入れることで徳を積む「施浴」というテーマから、現代の福祉について考えてみようという内容でした。

最初は鈴木さんのパートで、これまでに取材してきた風呂の形態について、時代を追って、説明してくれました。
なかなか入ることのできないお寺の入浴施設なども写真つきで紹介されていました。
いずれ本にまとめる予定とのことであまり詳しい紹介はやめておきます。

次に鈴木さんの発表を受けて、茂木さんが施しや入浴という観点から、現代の福祉について考えたことを語っていました。
福祉というのは呪術的な要素もあったりして、近代的な個人がサービスという形でケアを提供するような福祉のあり方だとちょっとしんどくなるのでは、というような提言だったのですが、わたしはまだ理解できていない部分が多かったです。
こちらも今後本にまとめる予定だというので、楽しみです。

感想
わたしは茂木さんの話を聞きながら思ったのですが、自分の中に結構前近代的なものとか、体についてあんまり考えたくないとか、近代的な言葉で語りたいって欲求がすごいあるんだなと思いました。

理由は二つあって、自分が育ったのがすごく田舎で、「犬年やからこういう性格だ」とか、「今日は仏滅だからどうこう」というようなことをしょっちゅう言われることが多かったので、嫌気がさしたこと。
また、そういうものを信じている人の世界ではそういう解釈が正しくて、何を言っても通じない感じに嫌気がさして、「それは迷信だ」と切って捨てたい気持ちが大きいのだろうと思いました。

体についても同様で、別に好きで女に生まれたわけじゃないのに、生理や出産と向き合わなければならないというめんどくささのようなものをずっと感じてきたこと。でも、体について考えるというのは、そういうものを直視させられること。
また、体について語る言葉の多くに、「女性は体を冷やすな」とか、「女性の体はそうなっているのだから〜」みたいな有無を言わさない言葉があるので、それに飲み込まれることに抵抗があったんだと思います。

多分、自分の納得していないことを、「こうなんだから〜」みたいな言葉で押し付けてくる印象があるのと、説明の仕方にも押し付けがましさを感じるので、苦手なんだろうなと思いました。

前近代っぽいものが苦手
ただ、やっぱり呪術的なものは必要としている人もいるし、それによって救われる人もいるんだろうなというのはわかります。

紫原明子さんの悩み相談で、スピリチュアルにはまった友人についてどう対応したらいいか、という相談の答えにこんな文章がありました。

本当はそんなことないのに、選択肢は万人に平等に、無数に用意されているかのように見せかけられているし、選び取ったものに付随する結果はすべて自己責任とされてしまう。こんなリスクと天秤にかけつつ、自分で決めていく重圧に耐えられない、あるいは、決めようにも決定的な動機がないと悩んでいる人、実はごまんといます。

そういう人にとっては呪術的なものは救いになるんだろうなとも思います。
(あと、そういう人を弱いとか情弱といって切り捨てるのはちょっと違うかなとも思っています。)
また、体や呪術などは、言葉にならないからこそ、「こうなっているんだから〜」としか言いようのないものでもあるんだろうなと思います。

近代は主体と客体を分けて、主体が客体を描く、という世界だと思います。けど、みんなが全部言葉にできるわけじゃないし、それでは描ききれない世界もあります。そういう人に対してやそういうときには、「呪術」とか「体」みたいな前近代的なものを使って、言葉にならないものを説明する仕方は効力があるんだなと思いました。

また、わたしは呪術とか体についての言葉を毛嫌いしていた面もあったのですが、それはそういうときに使われる言葉の一面的で画一的な説明の仕方が嫌いだったのかなと思いました。
あるいは、霊感商法のような、弱っている人や困っている人に対して、「こうなっているんだから〜」と有無を言わさずものを買わせたり言うことをきかせるような言葉の使い方が嫌だったんだろうなと思いました。

言葉にならないものをどう描くか

言葉にならないものを言葉で描く説明の仕方はいろんなものがあります。

臨床心理士の東畑開人さんがデイケアについて書いた『居るのはつらいよ』という本を読みました。
その中に、ケアについて語ろうとするときに、どうしても学術的な言葉がしっくり来なくて、物語のような書き方になったという一節がありました。
そういえば、茂木さんも「物語」の重要性を言っておられました。

物語化することは真実を伝えていないのでは、とか、と思う部分もあったのですが、そういう効力もあるんだなと思いました。

「そうなっているからこうなんだ」、というような説明は時には明快で楽に感じますが、頭ごなしに言われているような不快感も感じます。

逆に理屈や難しい理論は理解できなかったり、専門家だけの議論に終わってしまうような狭さも感じます。

新聞記事や年表のように事実だけ述べられては、どう解釈していいかわかりません。

あまり感情が入ってない無機質な言葉の方がより真実を伝えられると思っていたのですが、言葉にならないものを描くのにはもっといろいろな方法があるのかもしれないと可能性を感じた会でした。