こけし日記

読むことと書くことについて

谷崎由依さんの『藁の王』刊行記念トークショー@枚方蔦屋書店(2019年4月29日) 2

枚方蔦屋書店で開かれた谷崎由依さんの『藁の王』刊行記念トークショーに行きました。
聞き手が新潮社の谷崎さんの担当編集者の田畑さんという人で、2009年くらいからの作品に遡って聞いてくださったので、谷崎さんの作品や作風がどう変わってきたかが分かって、谷崎さんの作品を知らない人にとっても楽しめるような会でした。

『藁の王』のあらすじ
『藁の王』は谷崎さんがモデルかのような、大学の創作学科で創作を教える小説家の女性が主人公。小説で王殺しを描く『金枝篇』が登場するけど、この小説での王は教師のことで、書くことの話であるとともに、教えることの話でもあります。

わたしは文芸に関してはあまり上手な感想を書いたり、はっとするような分析はできないので、この方のツイートが面白かったので参考にしてもらえたらと思います。
https://twitter.com/Tychotom/status/1124339251787599872

トークショーで面白かったところ
谷崎さんの幼少期や学生時代のお話がとても印象に残りました。
学生時代に一軒家で10人くらいで共同生活をしていたという話や、幼少期に両親祖父母曾祖母と同居していて、仕事が忙しかったお母さんやおばあさんにかわって、曾祖母に面倒を見てもらったという話が印象的で、創作にも活かされているそうです。

作品については、大学で教える経験が元なったということでした。
「書くことを共有できるのか」ということを考えるようになったということ、書くというのは、頭の中でやることなのに、その作品をもとに目の前にいる人たちと議論するというのが一体なんなんだろうと疑問に思ったという話。

また、書くことは孤独な作業だけど、ゼミではその孤独を共有している。書く内容は共有できないけど、それぞれ別々の敵を目指して戦っている場を共有しているという点では戦場のようなところがある、といった話が印象に残りました。

書くことについては、わたしもほかのライターさんとお話しするときに、その人に成り代わって書くことはできません。しかし、書くときのしんどさや大変さは理解できたりしますし、自分も理解してもらえることで、お互い励ましあうということがあります。創作とノンフィクションは違うかもしれませんけれども、そういう書くことを知っている者同士の連帯感は分野を問わず似ているのかなと思いました。


『藁の王』の感想
わたしは非常勤で日本語学校の先生をしています。その学校の採用面接で「教師は学生がいて教師になるんだ」みたいなことを言われたなと思い出しました。学校というと教師が学生を教えることがあまりにも自明すぎて、その前提を問い直されることはありません。しかし、どうして教師は教師足りうるのか、どうして自分はここに立って教える資格があるのかを考え出すと、教壇に平気で立っていられないような恐ろしさを感じました。

それから、谷崎さんの小説は文章表現でいつも同じ景色を見てもこんなふうに書けるのかとはっとさせられる部分が多いです。特に主人公が大学に近いY駅から京都の自宅に帰る際の、生駒山から大阪平野を見下ろす描写がほんとうに美しかったです。わたしも一時期同じ沿線を使っていたのですが、その景色を初めて見た時の印象がよみがえってくるかのような鮮やかな描写でした。

おまけ
『藁の王』は2018年の作品で、扱われているのは2015年の夏。安全保障関連法(戦争法案とも呼ばれていました)を巡る学生デモや法案の採決時の様子が描かれています。また、天皇の代替わりの年に王殺しがテーマの本が出るというのはとても刺激的だなと思いました。
『囚われの島』では日本の近代化において重要な役割を果した養蚕や製糸業が扱われていたりして、谷崎さんの作品は純文学だけど、どことなく政治的な要素も入っていて、そこがいつもいいなと思います。
現在『すばる』で連載中の『遠の眠りの』という小説も日本の近代化と女性の生き方を描いた作品だそうです。こちらもいずれは単行本になるそうなので、出版されたら読んでみたいと思いました。