こけし日記

読むことと書くことについて

オリンピックに万歳しながら、テレビを消そう

わたしが生まれたときはまだ昭和で、戦争が終わって50年経ってなかった。
親戚の誰かは戦争体験者で、夏休みには戦争物の特集。
国語や道徳の時間で、
ときどきおじいさんやおばあさんに戦争の話を聞いてこいという宿題が出た。
軍国主義的なものは大いに批判されていて、
自由と自治に代表される、民主主義的なものは形骸化されていたけど、
とにかく守らなくてはならないものという感じだった。

はだしのゲン』『火垂るの墓』『ちいちゃんのかげおくり
戦争なんて体験したことないくせに、
そこに出てくる映像は懐かしさを覚えるくらいに繰り返し繰り返し見させられた。
教室の中では何でも話し合いと多数決が大事で、
それが民主主義的だと言われていた。

けど、実際の社会はどうだったんだろう。
小学校に自由も自治もくそもない。
学級会やなんやかで反対意見を言ったら白い目で見られるし、
みんな周りの目を見て多い方に手を挙げる。
個性個性と言われるけど、
ちょっとでも団体の和を乱すようなことをしたら、怒られる。
自由にしろと言う割に先生は高圧的で強権的。

右向け右、前にならえ

学校で習うのは、自由でも自治でもなくて、その号令で一斉に動くこと。


中学になっても、高校になっても変わらない。
服装検査に頭髪検査、
部活に入れば先輩後輩、
号令、駆け足、整列の練習、軍事教練まがいの体育の授業

右向け右、前にならえ

少しでも校則違反があれば団体責任になって、一時間えんえん校庭を走らされたり。
内申書に受験受験。
そうやって12年過ごせば、上の言うことを忖度して
行動するような人間のいっちょあがり。

学校で学ぶのは民主主義じゃない。
自由とか自治なんて聞こえのいい言葉はお題目。
自由だ自治だを求めて規則にたてつくより、
そんな言葉は聞き流して陰であかんべして規則をやぶっているのが賢いという態度。

花森安治の書いた「見よぼくら一銭五厘の旗」という詩がある。
警察にこびる心、官憲にへつらう心を
「心にすみついたチョンマゲ野郎」と呼んでいる。
うまいことを、言うものだ。

右向け右、前にならえ

号令を聞いたら考える間もなく体が動く。
学校なんて、上の人の顔色に敏感で、忖度して動くチョンマゲ野郎を
心の中に12年かけて育てたようなものだ。

自由だ自治

大学ではそれがあると言われていた。
けど、どうなんだろう。
心の中のチョンマゲ野郎は大きくなりすぎている。
窺うべき顔色も、従うべき号令ももうないのに、

右向け右、前にならえ

頭の中で「心にすみついたチョンマゲ野郎」が叫ぶ。
大学生のとき、国立大学法人化が話題になっていた。
9・11があった。
イラク派兵があった。
(何もしなかった)

右向け右、前にならえ

それがいちばん賢い態度だ、
逆らうだけ無駄だ、
自由や自治なんてお題目だ。
そうやって聞き流していた。

まだ団塊の世代はリタイアしていなかったから
上からは
若者は享楽的だ
政治に関心がない
意見がない
自分にしか関心がない
ぎゅうぎゅう押さえつけられていた。
どこに行っても押さえつけられて主張もできない。
そういう空気を作ったのは誰なんだと思いながら。
でも、やり方がわからない。

大人になっても
自分からわざわざ窺う顔を、号令を出す声を探して、

右向け右、前にならえ

自由と自治が大事だと頭では分かっていても、
みんな習ってこなかった。
どうやったらいいのか分からない

右向け右、前にならえ

それしかやったことのない頭で、
号令を聞いたら素直に動く体で、
駅前の政治家の演説を右から左に聞き流し、
デモには冷笑、
生活に困ったりカネのないやつは能力がないと見下して、
実力主義だから自己責任と

右向け右、前にならえ

号令に合わせて体を動かしている間に、
地震原発事故(不安に苛まれ)、
数えきれないくらいの強行採決(ありすぎて覚えていない)、
それに反対するデモ(ほとんど行ってない)、
頻発する災害(逃げるしかない)
 考える間もなく次から次へ。

それでも、
カフェや本屋、大学寮、シェアハウスやゲストハウス、デモ、盆踊り・・・

いろんな人がいろんな形で
路上や都市や田舎にすきまを見つけては、
自分なりのかたちで自由と自治の空間を作り出している
路上に、田舎に、都市の中に、見つけることができる

そういうところは灯だ、灯台だ。
「心にすみついたチョンマゲ野郎」が
少しおとなしくなるような気がする。
けど、そこを出たら、

右向け右、前にならえ

すぐに「心にすみついたチョンマゲ野郎」が騒ぎだす。
それに慣れきった頭と体では、すぐにひきもどされそうになって。
せっせと窺う顔をさがして、
せっせと号令に従おうとする。

だって、自由と自治なんて、習ってこなかったじゃないか。
でも、自由と自治にかんしては、みんな素人だ。
だから実践練習がいるのだ。
そういう場所をなくしたら、
みちしるべがなくなる。
そういう場所はいつもカネと場所の問題で、
知らない間になくなっている。
なくさないように、自分の心の中にも
自由と自治の空間を作るのだ。

そのためにはまず「心にすみついたチョンマゲ野郎」を追い出す練習からだ。

右向け右、前にならえ

「心にすみついたチョンマゲ野郎」がしゃべり出したら、
自分の耳を閉じてしまえ。

自由と自治を聞き流して陰であかんべしていたように、
心と体を乖離させろ。

右向け右で左を向け。
前にならわず列から離れろ。

オリンピックに万歳しながら、テレビを消そう。