こけし日記

読むことと書くことについて

メールのやり取りをのぞかせてもらってるような 青山ゆみこ、牟田都子、村井理子『あんぱんジャムパンクリームパン』

青山ゆみこさん、牟田都子さん、村井理子さんの『あんぱんジャムパンクリームパン』を読みました。

ライターの青山さん、校正者の牟田さん、翻訳者の村井さんによる往復?
3人だから交換かな?の書簡集です。

   

緊急事態宣言中に亜紀書房のサイトで連載されていたものですが、
今読むとものすごく前のように感じます。
もうすっかりマスク姿にも消毒液にもビニールカーテンにも慣れてしまいましたが、
この本を読むと緊急事態宣言中の不安や孤独や
これから先どうなるのかという社会の雰囲気も思い出し、
この当時の貴重な記録にもなっています。

口語体で文字も大きく、写真も多いので、読みやすく、
みなさんのおしゃべりというかメールのやり取りをのぞかせてもらってるような
感じの本です。

牟田さん、青山さん、村井さんとも、優しく人に寄り添うような文章な上、
それぞれの文章に個性があって、それも楽しめます。
緊急事態宣言は終わりましたが、青山さんの愛猫のお話、
牟田さんの図書館や本屋さんへの思い、
村井さんの自炊の話などは今読んでも染みるものがあります。

一言で面白いと済ませるにはもったいないお話が20篇も収録 藤野可織『来世の記憶』

藤野可織さんの『来世の記憶』を読みました。

  


この本には20篇の短編が収められています。
どれから読もうか迷ってしまうので、
パラパラめくってタイトルが面白そうなものから少しずつ読んでみました。
どれもそれほど長くないので、電車の中や夜寝る前に読むのにぴったりです。

だけど、中には怖い話もあってもしかしたら眠れなくなるかもしれません。
例えば「スパゲティ禍」というお話は、ある日突然人類がスパゲティになる病にかかってしまいます。そしてスパゲティを食べられる人間はマイノリティとして迫害されてゆきます。
病気が流行して人が分断される話、なんか聞き覚えのあるような・・・。
まさに今の状況を活写したようなお話ですが、書かれたのは5年も前で、
そのお話の状況に震え上がるし、それを5年前に書いていた藤野さんの想像力に驚いてしまいます。

あるいは、どうしてこんなに女の人の気持ちがわかるんだろうと泣き出しそうになって、電車の中で読むには適さないかもしれません。
例えば「鍵」はたまに会社帰りにマンションの近くで夫が出会す「赤いおばあちゃん」についての話。

もし産んでほしいと急かすのなら、わたしは強く反発するだろう。妊娠と出産によってなにかを、たとえば健康を、もしかしたら仕事を、時間を、自由を失うのは私だから。よくもそんのことを言えたものだと私は言うだろう。

 だから、夫は私に強要はできない。私が決める。そうすれば、私がどれだけ多くのものを失ったとしても、夫には責任はない、それは私の決断だから。夫は私に従って射精をするだけなのだから。夫はなすすべもなく待っている、待つしかない、私の決断と許可を、妊娠や出産にどんな準備が必要なのか、空き時間に学ぶこともせずに。(235ページ)

 

だけど、同じお話の最後の方は思わぬ展開を見せて、わたしは電車の中で読んでいて声をあげて笑いそうになって、とても困ってしまいました。

藤野さんの小説はひとつのお話に読んでいて怖いところと、泣きそうになるところと、笑ってしまうところがあります。
そんな一言で面白いと済ませるにはもったいないお話が20篇も載っているという、
なんとも豪華な小説集です。

わたしの服いいでしょ!と言いたくなる はらだ有彩『百女百様』

はらだ有彩さんの『百女百様』を読みました。
はらださんはイラストも文章も書くテキストレーター!

   


これは服についての本、といってもファッションブックではありません。
特徴はなんといっても常にジャッジに晒されがちな女性の服装に対して、
はらださんがまちで見つけた「自由な装い」をしている人について語り、描く一冊。
ドレスアップした全身ピンクの服装、あるいは全身黒ずくめの服装から、
作業着やスウェットといったドレスアップとは無関係な服装、
果てはウエディングドレスやリクルートスーツ、水着といった、
特定の時に着る服まで含めた
さまざまな年代の、国籍の、いろんな服装が登場します。

お洒落/ダサい
似合う/似合わない
TPOに合ってる/合ってない

服を着る時って常にこういうような視線に晒されていて、
無難、無難に済まそうとしてしまうことがあります。
あるいは、本当は着てみたくても、
人に何か言われることを恐れて着られない服があったりします。
逆に、自分がそういう視線を内面化してしまっていて、
人にそういうジャッジを下してしまうこともあります。

ここに出てくる服装はそんなジャッジを下されそうなものがたくさん含まれています。
が、はらださんはそのジャッジを逆に問い返します。
それはここ百何年かの常識に縛られてるだけなんじゃないか、
もっと自由に考えてみたらいいんじゃないか、と。
とにかく全部に共通するのは、「人の格好ジャッジする方がダサい!」
これが、なんとも痛快で、そしてとても安心するのです。

ちなみにわたしは普段岡ハイカーとでもいうような、
アウトドアっぽい服装をしています。
非常に生活しやすく、快適ですが、
「お洒落はガマン、お洒落は背伸び」
そんな言葉が一昔前は当たり前で、
その言葉で育ってきた身からすると、
たまにはヒールくらいとか、たまにはスカートくらい
といった気分になることもあります。
そういう時自分の背中は丸くなります。

しかし、これを読むと、
その服いいね!あったかいし、動きやすいし!と言われて
応援されているような気分になります。
そして堂々と胸を張って、
そうなんですよ、ポケットが多いし保温性もあるし丈夫でサイコーなんですよ、
とわたしの服を自慢したくなります。

疲れた心にじんわり染みる 餅井アンナ『へんしん不要』

餅井アンナさんの『へんしん不要』を読みました。
「へんしん」は「変身」じゃなくて、「返信」の方。
お返事不要のお手紙ということですが、誰に宛てて書いたものでしょう。

   


本はタバブックスのウェブサイトで連載されているものを書籍化したもので、
 餅井さんは1993年生まれのライターさん。
今の若手のライターってどんな感じだろうと興味本意で手に取ってみましたが、
餅井さんの暮らしは、なんだか大変そう。

春は気候が安定せず体調が左右され、
梅雨は低気圧で、夏は暑くて、秋は動悸と息切れが・・・
と、まあ年中調子はよくなさそうです。

なんだか読んでいると餅井さんは大丈夫かなと心配になりますが、
2018年3月から始まるこの本には、この2年の間に餅井さんが
ライターとして生計を立てる方法を探りつつ、
不調なときの自分の対処法を身につけ、
短時間からのアルバイトも始めて時間も増やして、と
不調なりの生活の仕方を積み重ねていく様子が少しずつ描かれています。
自分はダメと必要以上に自己卑下することも自己憐憫にもおちいらず、
「今の自分はこれくらい」と客観的でありつつ、
親身に語りかける文章は、疲れた心にじんわり染み入ります。

そこではたと気付きました。
これは餅井さんが誰かに書いた手紙というよりも、
過去のあるいは、未来の自分に宛てた手紙なのかもしれないと。
餅井さんは大学時代に心と体の調子を崩して休学して以来、
体調が絶好調ということはなく、早々に正規雇用の就職を諦め、
不安定かもしれないけど、自分の体調と相談しながら生活できる
今のスタイルに落ち着いたそうです。
これは、そんな過去の傷や病気から回復の途上にある中で、
「ここまで来た」っていう足跡を残すために書かれた文章のように感じました。
そして
未来の自分に向かって「大丈夫」って言うための証みたいな文章だなとも思いました。

読んでいてなんだか餅井さんに励まされているような気持ちになりました。


 

歌謡曲って面白そう! 町あかり『町あかりの昭和歌謡曲ガイド』

町あかりさんの『昭和歌謡曲ガイド』を読みました。

 

 

町あかりさんは1991年生まれだけど歌謡曲にハマって、
現在はシンガーソングライターとして活動しておられるそう。

この本はそんな町あかりさんの歌謡曲愛をガイドさん風に「ドヤ顔!」「エモい歌詞!」といった町さん独自の視点で紹介してくれるというユニークなもの。
ガイドさんだけに表紙ははとバスのバスガイドさんの制服なんだって!!
町さんの笑顔に似合ってて非常にかわいい。

有名な曲ばかりじゃなくて、B面やヒットしなかったけどYouTubeには上がってないような曲も紹介しているのは、現代っ子(って言葉が古いかも・・・)の検索力のなせる技。

こういう本ってウンチクだったり、歌謡曲史が延々と書いてあったりして途中で眠くなったりするんだけど、町さんの文章は「この曲のここが好き!」っていうのが素直に出てて、読んでいるとその歌をとても聞きたくなる。
謡曲って面白そう!と新たな世界を教えてくれる一冊でした。

そして忘れてはいけないのが、町さんの歌。
町さんは文章も素直で魅力的だけど、なんといっても素敵なのは歌声。
初めて聞いた、その名も「もぐらたたきのような人」での、のびやかな歌声と、
くるくる変わる表情、楽しそうに歌ってて、こちらもウキウキしてくるような
明るさに一目でファンになりました。


もぐらたたきのような人PV 町あかり (Mogura Tataki No You Na Hito - Machi Akari Official Music Video)


新作の「それゆけ!電撃流行歌」は戦前のヒット曲を現代風にアレンジして
カバーしたもの。
ナツメロがかっこよく聞こえて新鮮でした。

 

  

コロナが収束したらライブにも行ってみたいな〜。

女4人暮らしの家事にシビれる!あこがれるゥ! 藤谷千明『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』

藤谷千明さんの『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』を読みました。

 

   

 

さまざまな分野のオタクの女性4人が、生活費を削減しつつ快適な暮らしを実現するために、一緒に一軒家に住むという本。
あんまり女性がハマるオタクカルチャーとか女性のオタクのコミュニティーに詳しくなかったから、カレーを作ることを「錬成」って言ってたりするのが、新鮮だった!


シェアハウスものっていうと、わたしはphaさんの『ニートの歩き方』って本がすごく好きなんだけど、藤谷さんの本はそこにあまり書いてなかった家事分担の話がたくさん載ってて、そこがいちばん面白かった。

 

  




家事の方針はズバリ「義務は増やしたくない」。
だからどれくらいの割合で共有部をそうじするかを決めてアプリで管理したり、
冷蔵庫にマグネットを貼って、いまあるものと買うものを一目でわかるようリスト化するとか。

ダスターなどこまめに使うものは使い捨てとか、
食洗機を最初から入れているとか、
いろんな家事本で読んだけど、
いざ導入するとなると二の足を踏んでいたけど、「義務は増やしたくない」でいいんだと思ったらうちにも取り入れてみたいなと思った。

取り入れるの躊躇してた理由は、
96ページにあった

家族や恋人の場合、「手厚いケア=愛」みたいになりがち

 

みたいに、家事本の場合だと多くはお母さん、
主婦といったそのうちのメインで家事をする人によって書かれていて、
「楽」とか「手抜き」みたいな感じの本が多いんだけど、
でもどこかに家事に愛を重ねるにおいみたいなのを感じ取っていたような節がある。
だからどっかで「義務は増やしたくない」みたいに割り切ることに
自分の中で罪悪感的なものがあったのかもしれない。

あと家事の部分で、みんながお互いのことケアしながら「やってくれてありがと〜」って家事を回している部分に、なんかすごい癒された。
わたしもこういう家に住みたいと思った。
結局夫は感謝の言葉はかけてくれても行動に移してないから、
そこでイライラするんだなと思った。

この本を読んだあとにいちばん反省したのは、
自分は夫とコミュニケーション不足ということだった。
4人がうまく回っているのは、家事がどれくらい量があるか把握して、「義務は増やしたくない」という意見をもとに調整して、細かくどの家事をいつやったって報告し合っているからではないかと思った。
いわゆる「見える化」と「ホウレンソウ」というやつ。
でもわたしのうちの家事は全然「見える化」も「ホウレンソウ」もしてな〜い!!!

そのくせ洗濯機の終了の音が聞こえて
わたしが洗濯を干し始めたら一緒に自然と手伝うとか、
ほこりがたまってたらルンバかけるとかを、
察して自分から手伝って欲しいみたいなパワハラ上司みたいなこと思ってた気がする。
なので、わたしもこれからToDoリストを作って、
やったことを報告するのとやってほしいことを伝えるのをやることにした。
家族だから甘えてるって夫に対して思ってたけど、
自分だって察してオーラ出しまくりでそうだったなと思った。
短い本だけどすごい気付きが多くて、読んでよかった。


「ひとり」の価値を思い出させてくれる一冊 アサノタカオ『読むことの風』

アサノタカオさんの『読むことの風』を読みました。

www.saudadebooks.com

本には2000年代始めからアサノさんが住んだり旅をしたブラジル 、アフリカ、日本各地といったさまざまな土地で書かれたたくさんの言葉が収められている。


アサノさんは編集者をしながら、サウダージ・ブックスという小部数出版社をやっている*1
アサノさんのことを初めて知ったのは、10年ほど前に東京に住んでいたときで、その時は葉山で本のサロンをやっていた。
その頃ちょうどミシマ社ができたばかりで「ひとり出版社」みたいな言い方が出始めたころで、アサノさんもその一人だった。
それで興味があって話を聞いてみたいと思って尋ねたのだった。
家は海に面した山の中腹にあって、庭から太平洋が見渡せた。それまで瀬戸内の穏やかな海しか知らなかったから波の荒いのに驚いた。


驚いたのはアサノさんも詩を書くこと。詩集の編集をたくさんやっているのは知っていたけど、自分で書く人だとは知らなかった。
素朴でわかりやすくとっつきやすいものが多いので、意外な一面を見た。
あるとき釜ヶ崎のココルームで話すというので見に行ったことがある。その日の夜に書いたと思われる詩も入っていて、あのときこんなことを考えていたのかと思ったら不思議な気持ちになった。


いつだったか忘れたけど、アサノさんは「もう文章を書かない、本作りの方でやる」と言って、それまで文藝誌なんかにたまに文章が出ていたけど、そこからぱったり名前を見なくなった。
けど、時々ブログに文章をあげることはあって、読むのを楽しみにしていた。だから本が出たときいて非常にうれしくなった。

asanotakao.hatenablog.com



本は小さく、それぞれの文章は短いけど、そこに詰め込まれている距離と時間は途方もない長さがある。読むうちに、知らない土地の風の音が聞こえてくるような、潮風のにおいが漂ってくるような、しょんべんくさい路地の明かりを思い出すような本だ。本にはアサノさんと知り合う前の、ブラジル で研究者をしていたときの話や、もっと前の話も出てきて、若い頃のアサノさんの姿がそこに見えるようだ。
そんなふうに、時代と場所を超えていろんなところに連れて行ってくれる。

 

印象に残ったのは、本は「ひとり」にならないと味わえないものだという文章。
本を読むには「ひとり」になって、「ひとり」で読むけど本の中では過去の人たちと繋がる。そして、読んだあとにはその本を読んだ人とも繋がる。
しかし、書く時にはまた「ひとり」になる。
本を読んで何かを書くことにはそんな循環がある。
その循環の中では「ひとり」でも、「ひとりぼっち」の「孤独」で寂しい感じはなく、むしろ「ひとり」になれる贅沢さや、「ひとり」から生まれる豊かさを感じる。
そういう「ひとり」の価値についても思い出させてくれる一冊だ。

*1:ちなみにアサノさん曰く全く一人でやっているのではなく、「妻と僕の2名の組合員による組合活動で、また太田さんを含む著者・制作関係者との協力関係も大切にしています。」ということで、11月29日に文章を修正しました。