こけし日記

読むことと書くことについて

3か月目突入

カナダに来て丸2か月たった。

最初は結構自分の何もできなさにショックを受けていた。
でも、最近はその気持ちがちょっと変わって来た。

私は日本にいたときは見栄とか恥ずかしいとか
自分をよく見せたいとか、人からどう思われるかみたいな気持ちがすごい大きかった。
でも、いままでそういうふうに思っていたのは、「できない」ことが
恥ずかしいとかダメなことだと思っていて、
それを受け入れられなかったからだと思う。
こっちにくるとその「できない」ことに直面させられるし、
できないことを受け入れないと前に進まない。
あと、できないことに関して、私の周囲にいる人たちはうんざりしたり
ばかにしたりすることなく、理解できなくても聞いてくれようとする。
そういう態度に接したことで、「できない」というのは
恥ずかしいことではないと感じるようになった。
あと、「できない」からといって私の人格が否定されてるわけでもないというのも。

あと、そのおかげで文章に対する態度もちょっと変わった。
それまでは、すごい体験をしてるかすごい調べてるか、
ネタがすごいとか、何か突出していないと書けないみたいに思っていた節があった。
だからカナダに来ても、英語が中途半端な自分が書いてもどうだろうって
どこかで思っている節があった。
でも、「できない」ことを受け入れられるようになったら、
英語が中途半端だからこそできることも
あるかもなっていうふうに、気持ちが変わって来た。
英語ぺらぺらならどんどんカナダ社会に入って
インタビューしたりすればいいけど、
そうじゃない自分は逆に英語ができないからこそ見える
カナダ社会があるんじゃないかと思った。
例えば、ESLでどんなコミュニケーションが行われるかとか、
外国語が不得手で外国に暮らすことでどんな不便や不安があるかとか、
仕事を一旦休むことで起こる社会から切り離された気持ちとか。
カナダの体験記はワーキングホリデーと駐在妻のものが多いと思っていて、
そこにはないことを書けるんじゃないかという気持ちがわいてきた。
身の丈で考えたり書いたりすることに、今までどこか抵抗とか不安があったけど、
それは自分が足りないと批判されることの怖さでもあった。
でも、「できない」状態を受け入れて、
そこで「できる」ことを考えられるようになったら、
足りない部分をどう足せばいいかも考えられるようになって、
自分が足りないと批判されても、また足せばいいだけだと思えるようになった。

外国で暮らすと自分が無力とか、弱い存在であるということとか、
できない自分と直面させられるとか、
そういう経験が増える。
でも、カナダの人たちや周囲の人たちはいつも励ましてくれ、
とてもありがたいと思った。
そうしたら、自分が今まで人に知らず知らずとっていた
冷笑的な態度とかを思い出して、
恥ずかしくなったりした。
多分今までは「こうあらねば」とか「こうすべき」とか
人の影響を無意識に受けたり、人の反応を考えたりして、
その上で考えたり書こうとしたりしていたところがあった。
でもそうしていると、その考えにはずれる人に対して、
怒りとかイライラしたりもやもやする気持ちが出てきて、
それが知らず知らずのうちに表に出て、人に嫌な気持ちをさせたり、
関係を悪くするということが何回かあった。
でも、それはその人と無関係だし、結局は私が勝手にイライラしていたせいだから、
八つ当たりもいいとこだと思う。

こういう気持ちは「できる」ようになったとたんに忘れて、
「できない」人にまた冷たい態度をとってしまいがちだ。
なので忘れないように記録しておきたいと思った。