こけし日記

元バンクーバーのパート主婦。

バンクーバーに持って来てよかったもの

もうすぐ帰国なので、1-2年バンクーバーに住む人向けに、
持って来てよかったものをまとめてみました。

「これが必須」っていうのは、
個人差があると思いますので、あくまでも「私の」です。
中編で持ってくればよかったもの、
後編で持って来なくてよかったものをまとめます。

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 

 

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○持って来てよかったもの

バスタオル 
ふわふわのタオルは日本クオリティ。こちらで買ったタオルはごつくて使い心地があまりよくありませんでした。

文房具全般
気の利いた雑貨店で、かわいいと思った文房具はたいてい日本製でした。
日本の文房具はほんとに気がきいてるし、質がよくて便利。
特に勉強で来る方は、クリアファイル、ボールペン、蛍光ペン、ふせんなど使いそうなものは大目に持ってきといた方がいいと思います。
ちょっとしたプレゼントやカードを書くのに(こちらはカード文化!)、キラキラペンやマスキングテープのようなかわいいものもあるとなおよしです。


炊飯器
小さいサイズのを、無理矢理スーツケースに入れて持って来ました。
日本の炊飯器の方がおいしくたけるし、当日から米さえ買えばすぐに食べられるので、米ラブの方は持参するとよいかも。

ドライヤー
これも、当日からすぐに使えるので、髪の長い人はあると便利。
愛用品があると落ち着きます。

いらないときはどうでもいいけど、ないとイライラするもの
例えば
ハサミ、爪切り、体温計とか。

特に爪切りは切りたいときにすぐ切りたい。
体温計も調子悪いと思ったらすぐはかりたい。
ハサミも使いたい時に切りたい。

サイズがでかいもの
例えば
綿棒、マスク、歯ブラシとか。

サイズが全体的にでかいので、日本サイズのものがぴったりです。

水着
日本ではほとんど使わなかったのに、意外と出番があった。
あると、海、プール、スパ、サウナなどに行きたいときにすぐ行ける。
銭湯好きなので、プールに併設のサウナやジャグジーにつかりに行くのに便利でした。

サングラス、折り畳み傘、レインブーツ
季節物。
サングラスは、2月でも晴れの日はまぶしいし、
夏は日差しが強いのでどの季節でも必須。
冬は雨が多いので、防水必須。日本の折り畳み傘は丈夫でコンパクト、しかも安い。
防寒も兼ねて、レインブーツも必須。

また思い出したら、追加します。

 

英語学習を続けるコツ

バンクーバー滞在もあと1か月ほど。
最近は引っ越しの準備のために不要品を売ったり、部屋を片付ける毎日。
英語を使う生活もあとわずかですが、日本に帰ったら使う機会も勉強する気も減るだろうと、今更ながら英語を勉強する気持ちが戻ってきた。

カナダに来てからいろんな勉強法を試してみたけど、私は今のところオンライン英会話が一番続いている。
そこで、どんな理由があれば英語学習が続くか考えてみた。

1、カナダに来て試した勉強法と挫折した理由

カナダに来てから結構いろんな勉強法を試してみた。

・コミュニティセンターの英語クラス 
・英語学校 
・ミートアップなどの英会話クラブ 
NHK英会話を毎日聞く
バンクーバー図書館に置いてあるESLテキストで独学
・ラジオ、テレビ、映画などを見たり聞いたり

もともと夫の都合で来たこともあって、英語学習に家計に響くほどの費用は出せなかった。だからなるべく独学でやろうと思って、オンラインでNHKの英会話を毎日聞いたり、コミュニティセンターのクラスに行っていた。
けど、知っていることばかりで飽きてしまったり、逆に会話についていけなくて凹むことが多かった。短期で学校に通ってみたけど、長期で続けるほどの費用や時間はなかった。
じゃあと、図書館で無料の教材を借りて自分でやろうとしても、仕事を始めたら休みの日や仕事の後は疲れていて、テキストを開く気にならなかった。

毎日継続できなくて、自分から英語を勉強しに来ている人に比べて切実さが足りないなーと自己嫌悪になったりしていた。


2、続かなかった一番の原因

思い返すと、続かなかったいちばんの大きな原因は


飽きやすい

ことだ。
もちろん、会話以外の文法や英語の文を読んだり書いたりするのも勉強のうちなんだけど、そのことに飽きてしまった。
理由は簡単で、語学は何かをするためのツールなので、レスポンスが帰って来ないとつまらなく感じるし、通じるか通じないのかわからないものを1人でこつこつやるのが辛く感じるようになってしまった。
やらなきゃなー、でも続けられないの無限ループにはまりかけていたとき、たまたま夫がオンライン英会話を始めた。
夫が継続できているのに興味をもって、わたしも始めることにした。

3、オンライン英会話が続いている理由

最初はどうせまたすぐに飽きると思いながら、期待せずに始めた。
それが意外なことに、なんとか今のところ3か月続いている。

わたしがやっているオンライン英会話は、毎月25分の授業を定額で受けられるコースで、毎日やってもやらなくても値段は変わらない。
なるべく多く授業を取った方が得なので、さぼる気が減る。
値段は高いか安いかは人によると思うけど、カナダの物価や学校に通う時間と比べたら安いと思う。
私は特に学校に行って習いたいことがあるわけでもないし、ものすごく英語が好きでもない。けど、海外に住んでいて英語が必要という状態だった。
そういう自分にとっては払える値段だった。


授業は毎日自分でオンラインで予約して、その際に教材も先生も自由に選べる。
また、授業時間が短いので、いくら気分が乗らなくても25分ならすぐに終わるし、キャンセルもできるけど、一旦予約すれば相手がいると思うと、さぼるということがしにくくなる。
それに、何人かお気に入りの先生を見つけると、その先生と話すことが楽しみになるし、顔を合わせていると通じたか通じてないのかすぐにわかる。
さらには毎回評価が出るので、自分がどれくらいできたかや伸びたかがわかる。
なにより、2、3日やらないとすぐにしゃべれなくなっているのがわかるので、やらなきゃと自然に思えるようになった。

4、どうやったら習慣づけられるか

今は、オンライン英会話の授業とその前後に予習復習を組み込んで、それに加えて文法とか読解とかの勉強もやるようにしたら、なんとなく毎日英語の勉強を習慣づけられるようになった。

英語やりたいなー、やらなきゃ、でも続かない、という悩みを持っている人は、あれもこれもと手を出すよりも、まず短い時間でもいいので毎日続けられるものを核にしたらいいんじゃないかと思う。
わたしはお金を払ったとか、予約を入れたら守らないといけない、というような外的な要因がないと難しいタイプだった。
けど、そうじゃない人は英字新聞を読むとか、英語の曲を聞くとか、英語アプリを毎日何分やるとかでもいいと思う。

具体的には、

1、自分の状況や性格に合った日課を1つ決める
2、それをやる時間を一日のスケジュールに入れる(夕食後とか、出勤前とか)
4、どれくらいの時間やるか決める(短くてもいい)
5、その前後にそれと関連したほかの勉強も組み込む
6、それを習慣づける


特に4は大事で、短くてもいいから毎日できる量にした方がいい。
毎日のノルマが少ない方が継続しやすいし、できなかったときの挫折感も少なくなる。
5については、毎日できた方がいいけど、無理なときは、日課だけにする。
柔軟さをもたせることが、毎日続けられるようコツだ。

日課がだんだん続くようになると、毎日やらないのが気持ち悪くなってくる。
それに、やらないとできなくなるのが自分でもわかってくる。
そうなったらもう英語学習が習慣化している。
習慣づけるためには3か月くらいかかると思う。
でも、一旦生活の一部になると、やるのが当たり前になって、嫌だなーとかめんどうという気持ちは減ってくる。

環境が変わったときが一番継続できなくなりやすい。
これから日本に帰ったときに、またさぼらないように、この習慣を忘れないようにしたい。




家族2.0

カナダにいると、家族とか男女交際についての考えが違っていて、
ここ数年日本でわたしが悩んでいたことが全部吹き飛んで、なんだかばからしくなる。


例えば離婚。
わたしは初婚の際、2年で離婚したので自分が配偶者を選ぶ目がなかったことを後悔したり、離婚したことで人生を失敗したと思っていた。
けど、カナダだと離婚率は50%らしい。
そしたら、結婚した半分は離婚していたら離婚は当たり前のことで、
たまたま相性がよくなかったみたいな感じになるし、離婚したから人間的にダメとか相手を見る目がないのは自分が未熟だからってことにならない。
しかも、再婚、再々婚するとともにその率は上がるそうだ。
なんでこんなに違うのか考えてみると、日本だと子どもは親(あるいは家)に属するという考えが強いとか、離婚=家族がバラバラになるというイメージがあるから、子どもがいる夫婦は離婚をさける人が多い感じがする。
でも、カナダだと両親が週の半分ずつめんどうをみるといった方法があったり、もともと個人という考えが強くて、周囲も離婚している人が多いから、そこまで一旦形成した家族をバラバラにするのはよくないという圧が少なそうに見える
(これがまた離婚禁止の国にいったら考えが変わるんだろう)。

婚姻制度についてもそう。
日本にいたときに周囲に何人か婚姻制度に否定的な人がいた。日本にいたときは婚姻制度にそこまで否定的でなかったし、その批判についても正直ピンとこなかった。
でも、最近、法律っていろいろ婚姻に対する要件をつけていて、人はそれにもとづいて行動したり、離婚を考えることってあるんだなということに気づいた。
例えば夫婦は性交渉をするものだとか、同居するものだとか。
だからセックスレスは離婚要因になるし、別居を何ヶ月かしたら調停で有利になるとかがある。
結局、それって法律によって行動を制限されていることじゃないか? とか、国によって規定が違うのでは? と疑問を感じるようになった。
家族の形なんて自分たちで話し合って決めればいいのに、それに対して国が規定しているっていうのは変な感じがするし、それにもとづいて家族の普通を決めるのも変じゃないかと思い始めた。

カナダだと、事実婚もできて、子どもが婚外子差別を受けることも少ない。
法律婚をする理由は、インターナショナルなこと(国際結婚とか、海外に住むとか)がからむ場合が多いそうだ。
国によって事実婚の定義が違って、ビザを取ったりするときに、事実婚関係にあることを証明しにくいから。
ほかにも病気で入院したときに家族以外は会えないというような問題もあって、法律婚を選ぶ人もいる。

 

それから、性とか男女交際の概念も結構違ってびっくりした。
カナダのデートは日本で言うデートとちょっと違っていて、デートは性交渉込みの場合もあって、デートする=セックス=付き合う(彼氏/彼女の関係になる)というふうに、全部イコールでつながらないらしい。
日本だと何回かデート→告白→彼氏/彼女になる→セックスみたいな流れが一般的だけど、カナダはまずデートして相性を見極めて、それから付き合うって流れになるらしい。だから複数人と同時にデートする場合もあるし、デートを何回か重ねてもそれがすぐ男女交際につながるわけではないそうだ。
ただやっぱり日本みたいに「わたしたち付き合ってるの?」とか片方はデートの相手として考えてなくて、片方は恋人だと思ってるというようなギャップは生じるみたい。

わたしは今まで、例えば男性と交際したときに、行動とか服装にあれこれ口を出してくる人に対して、「彼氏だから言うんだよ」とか「君が魅力的になるように」とか「恋人ってこういうもんだろ」みたいな感じで「付き合う」という形から入ってくる人にうまく言い返せなくて、「そうかなあ? でも、自分が常識や男女交際の経験が少ないからわからないんだろう。経験とか常識のある相手が言うから、わたしが違うって思っても、世間ではそうなんだろうなあ」と思考停止になる部分があった。
それから、性に対して「たくさん男の人にいろいろしてもらってから許すものだ」とか「たくさんの人と経験がある方が人間的に魅力がある」とかいろんなファンタジーがある。それに対して、いつも「わたしは経験が少ないからよくわからないけど、みんな言ってるからそうなのかなあ」と、自分の感覚よりも人の言うことに流されていた部分があった。
でも、こういう考え方があるんだというのを知ったことで、国によってこんなに常識とか当たり前が変わるんだと思うと、結構楽になった。

あと、今までは男女交際とか性的な経験の多寡と、適切なパートナーシップを作ることには相関関係があると思っていたから、経験者の言うことを聞いた方がいいと思っていたけど、そうでもないんだなと思った。自分が嫌だったら嫌と言って、それに対してあまりにも「常識」とか「当たり前」を押し付けて思考停止している人とは距離を取るのが正解だなと思った。


それから、いちばん驚いたのは、オープンリレーションシップという考え方。
恋人関係にある人が他の人とも関係を持つのを相互に了解していたり、複数人の人と恋人とかセックスの相手をもつようなことがあるそうだ。それは相手も了解済みなので、そこで浮気とか不倫とか○股みたいにもめたりすることはないらしい。
最近の浮気だ不倫だで人をたたく風潮には違和感を持っていた。
逆に昔の日本の「浮気のひとつは男の甲斐性だから、女はそれを笑って許すべし」みたいな考え方にも疑問があった。
また、人生の中で性的関係とか恋愛を重視するフリーセックスみたいな考え方も、それを重視してない人とか一対一の関係を重視する人に「今までの男女関係の当たり前に縛られている」みたいな感じで批判するようなニュアンスを感じることがあって、疑問があった。
オープンリレーションシップは、それをしたい人同士同意の上という関係の持ち方で、誰にも性的関係がいちばんと求めないところと、男女関係の捉え方にすごく幅を持てるところがいいと思った。

最近いつも思うことは、家族の形にも恋人の形にも正解はないということだ。
わたしは個人の立場で生まれて生きるということを忘れそうになる。
すぐに○○家の〜、女の〜、妻の〜、子なしの〜、アラサーの〜といろんな集団に飲み込まれそうになり、そしてその集団の考えを簡単に受け入れそうになる。
でも、去年石原吉郎の『
望郷と海 (ちくま学芸文庫)』を読んだときに、人は条件とか形式的な結びつきから孤独に立ち返って真剣に考えることで人と深い連帯ができる、ぎりぎりまで個人の立場で立つことから、連帯は始まるというような話を読んで、頭を殴られたような衝撃を受けた。
すでにある形に自分(たち)を当てはめるんじゃなくて、自分の孤独、感覚から自分を組み立てて、そして独立した個人としてお互いに話し合うことで、自分たちの形を作ることが大事なんだと思った。

 

  

今の時代は家族にいろんな機能をくっつけすぎていると思う。
それこそ、ゆりかごから墓場まで
一緒に住む/セックスをする/子どもを作る/子どもを育てる/介護をする、
みたいな感じで、一生一緒の家族で添い遂げるのが理想の形になっている。
でも、本当にそうだったんだろうか。
恋愛で結びついた男女が、一緒に住んで、一夫一婦の夫婦で実子を成人するまで育てるなんて、近代の限られた時代にしか成立していないことだろう。
前に菅原和孝さんの『ブッシュマンとして生きる―原野で考えることばと身体 (中公新書)』というアフリカ調査の本を読んで、アフリカには夫婦お互いに恋人がいるのが普通の部族がいるというのを読んだことがあった。

 

 



それに、たまに読むブログの書き手*1や周りの人が、最近、恋愛以外で形成する家族、とか、婚姻関係なしに子どもを産む、ということを言っていたり実際にそうすることに挑戦しているのを見たり、あるいは自分のうちはどうだろうかみたいなことを考えたりして、家族は愛によって結ばれるという考え方にも少し窮屈さを感じるようになった。

 

もともと恋愛感情を持たないという人や、同性を恋愛対象に持つ人だって家族を作りたいという欲望があるから、恋愛を経ずに家族が作れないのは困ることだ。
かと言って一昔前のお見合いで適当な年ごろの男女を適齢期だからという理由だけでめあわせて、男はこう/女はこうという鋳型に当てはめて、無理矢理家族を継続させるのも変だと思う(もっと言うと、何年か前に婚活が話題になり始めた頃、ある思想家の人が結婚ていうのは年頃の男女は相手を選ばなければできるようになっている制度だから、選り好みしないでも結婚できるみたいなことを言っていて、それもちょっと暴論じゃないかと思った)。

逆に、西洋の、いつまでも夫婦が男女の関係でいて、キス、ハグ、セックスが当たり前という考え方にもいびつさがあると思うようになった。恋愛で結びついた(はずの)夫婦に性交渉がなくなることは愛がなくなることを意味しているっていうのは狭い考えじゃないだろうか。そんな考えがあるから、性交渉がない=魅力がなくなったとか他の異性に心を奪われたとかになるし、愛があるのになんでないのとか、相手をなじることが始まる。
結局、時代と場所に限定された狭い世界の中で、自分で理想の鋳型を探しては、それに自分をあてはめて、自分で家族の形をせばめている。
そういうときに、いろんな国の、いろんな時代の家族の形を知ることは、これからの家族の形を作る上でヒントになる。


わたし(たち)が作るのは、家族2.0。
どういう形になるかはよくわからない。

共同経営者、生活協同体のような集団で、
お互いメリットがあって、相手を尊重して生活する。
愛は義務じゃない、
子どもは、生まれたらラッキーで、
生まれるのは絶対じゃない、
血のつながりも絶対じゃない、
そして、互いの了承があれば解散もある(かもしれない)ような集まり。
そんな集まりは可能だろうか。

どんな形になるのかわからない。
でも、鋳型だけを見て、いろんなことを相手に勝手に期待したり諦めたり、絶望したりしないようにしたい。
家族の概念は自分で更新する。
そしていろんなことを試してみる。
伝統、宗教、国、経験者? 
それで今までそれでやってきたなら、正しい部分もあるかもしれない。
けど、わたし(たち)だって口を出したい。
これからの家族の形を作るのは、今とこれからを生きる自分たちだから。

*1:note.muの佐々木ののかさんとかc71の一日C71さんとか、あと植本一子さんの文章とか

2017年の心がけ

2016年のまとめに引き続き、今年の心がけについて。

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 

1、語学
やれば伸びるとわかったので、レアジョブは続けたい。
文法は大学受験でやったからもういいかと思っていたけど、しゃべっていると自分は文章の組み立てが下手だとわかったので、基礎からもう一回やり直したい。
あと、TOEICも受けてみたい。

それと中国語をもう一回やり直したい。
大学のときに第二言語で取ってから放置していたけど、カナダで中国語がわかるといろんな場で便利だと思ったので、英語の勉強と並行して中国語も始めたい。
日本に帰ると外国語を使う機会が減るので、対策として語学系のボランティアを始めたい。

2、仕事
編集ライター業は、方向転換を考え中。
前は有名な出版社や著者と仕事するとか、自分が企画したりイベントに出るとか、出版以外の場で編集技術を使うといった大きい仕事をすること、仕事の場を広げることに興味があった。
2010年代の始めにSNSフリーランスのブームがあって、セルフブランディングして個人がメディアになって、そこから仕事を生み出すみたいなのが流行っていて、そこに乗っかりたいみたいな気持ちもあった。
でも、一通りやってみてセルフブランディング的な流れはあまり向いていないと思ったので、これからは表に出るよりも裏方の仕事を中心にしたい。
あと、ライターも編集もイベント運営も司会もみたいに、来た仕事は何でもやるみたいななんでも屋状態になっていたけど、それが嫌になってきた。最初は社会学の学術書を作りたかったけど、企画を持ち込んで出版社に通してみたいなのをお金を稼ぎながらフリーで続けるのは難しいとわかった。
これからは書籍編集と校正、記名記事の執筆を中心にしたい。
あとは語学系か福祉系かの資格を取りたい。

それと並行して、夜学舎の活動に力を入れたい。
去年自費出版で『愛と家事』という本を出した。
自分が本当に書きたいもので、それが普遍性のあるメッセージをもつものであれば受け入れてもらえることがわかった。
ひとり出版社がはやっているけど、それでもまだ私には規模が大きいので、500部程度で自分が伝えたいものを伝えたい形と売り方にして、届く範囲に届けられるマイクロ出版活動をしていきたい。

yagakusha.hatenablog.com

 

yagakusha.thebase.in


それに伴って、いずれはオオタ編集室の屋号を廃止したい。
最初は編集ライター業を大きくしたい、広げたいという気持ちがあったのと、開業時に事務所を借りるときに屋号をつけてと言われたので急ごしらえでつけたけど、そのときからだいぶ気持ちは変わってしまった。
編集、ライター業は個人名義で行い、マイクロ出版活動は夜学舎の名義を使おうと思っている。オオタ編集室の屋号はできたら1、2年内に廃止したい。


3、生活
カナダでとにかく病気をしたくないという気持ちが強くなった。
私は寝ないと体調が悪くなるとわかったので、毎日12時前に寝るのと7時間以上寝るように心がけた。
カナダで生産性は時間に比例しないと知ったので、これからは睡眠時間と仕事のクオリティは別だと割り切ってやっていきたい。

あと、この間phaさんのブログを見て、しばらくカフェインを減らしてみたら調子がよかったので、今年からカフェインを減らすことを心がけたい。
カフェインが減らせたら酒量も減らしたい。

pha.hateblo.jp



規則正しい生活については、村上春樹が『
職業としての小説家 (新潮文庫)』で、
日本の出版関係には破天荒なライフスタイルの方がいい作品ができるみたいな風潮があるから、自分みたいにマラソンやって規則正しい生活を送っていると、そんなのでおもしろい作品が書けるのかみたいなことを言われると言っていた。しかし村上春樹は自分は長編小説を書くために体力が必要だから体力作りをやって、規則正しい生活を送っているという話が出てきた。

   

その話がすごいいいと思った。
私も前からそういう風潮が苦手だった。
それに自分の体質は寝ないとクオリティが悪くなるし、お酒を飲み過ぎると二日酔いになるし、お腹を壊すし、次の日に仕事にならない。いい仕事ができるなら、健康にこしたことはないので、私はこれから健康をいちばん心がけて規則正しい生活でやっていこうと思った。

4、その他
まずSNSの使い方を見直したい。
友達のフジマキさんがSNS断捨離をしているのを見てよさそうだと思った。

fujimaki-kokuban.hateblo.jp


長い文章をアップするのはブログ中心にしたい。
Facebookは今はメッセンジャー中心に使ってるけど、やめようか迷い中。
ツイッターは夜学舎のお知らせとブログ更新のお知らせ中心にして、いずれは夜学舎名義にしようか迷い中。
これまで作ったイベントや本の宣伝用アカウントなどは徐々に整理していきたい。

もうひとつは、自分の感情を爆発させられるような表現か運動系か心をおちつかせる系の習い事をしたい。
カナダにいると日本語で思い切りしゃべれる相手が夫しかおらず、時々感情をそのままぶつけていやがられることがあった。
それで、こっそりインターネットに日記を書いたりした。
これからもサンドバッグやストレス発散の相手として、家族を使わないようにしたいので、習字かボクシングか創作ダンスを習って感情を発散させるかおちつかせるかしたい。


2016年のまとめ

ブログの説明にもある通り、2016年の年末でパートをやめたので、
元パート主婦になりました。
そしてカナダ滞在もあとわずか・・・。

2016年は仕事と家族についてよく考えた年で、
自分の当たり前とか、固定観念がすごくゆらいだ年だった。

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1、仕事について
初めてカナダで働いて、最初は言葉がうまく通じなかったり、
同僚やお客さんと意思疎通がうまくとれなくて孤独感がすごかった。
それがだんだん職場に慣れてきて、メンバーの一員として認められることで、
言葉が通じなくても仕事はできるし、求められていることをできるように努力して、
それを継続していれば成果を認めてもらえるというのがわかった。
日本ではあんなに外で働くことに失敗し続けたのに、カナダではできないなりに成果を認めてもらえたことで、パートに出て、どこでも働けると自信がついた。

30代半ばという人生の折り返し地点という年齢が近づいてものすごい焦っていて、
仕事始めたときに描いていた理想とか、同業者が同じ年のときにどんな成果を挙げていたかがめちゃくちゃ気になって、それにひきかえ自分は何もできてないし何にもなれていないと、ウツウツしながら過ごしていた。
思い返すとフリーランスになったのはなりゆきみたいなものだったのに、いつのまにか絶対フリーランスの編集者とかライターで成功しなければと自分で道を狭めていた。
こうありたいとか、こうあらなきゃに目がくらまされて、自分の向き不向きややりたいことを見失って、今まで自分の首を自分でしめていたんだなということに気づいた。
そのおかげで、逆にライターとか編集者にこだわらなくていいやと思えるようになった。


2、母親について
去年母親と連絡をほとんど取らなかった。
母に対して今まで当たり前だと思っていた行動、言動、考え方に対して、30歳を過ぎた辺りから我慢できないことが増え始めて、衝突が増えていった。
母と似ているところは自分の大嫌いなところと似ていて、離れていても母親の言動や行動を思い返して、イライラした。

親が過干渉気味で、自分も依存しがちになる部分があった。心理的にも金銭的にも物理的にも一旦距離を取ることで、本当に独立したいと思った。自分の頭の中にいる母親を追い出したくて、母の影響を排除しようと思って連絡をとらないことにした。そのおかげで自分のペースで考え、行動し、ものごとを決められてよかった。
本当は自分がもっと若いときに何をしたかった/したくなかったのかも、やっと思い出せた。やりたい/したくないと思う前に頭の中にいる母親の声に消されて、そもそもしたい/したくないと思わないようにしていたから、できなかったりやったことがあった。その結果、自分の中に、母親に人生を邪魔されたという気持ちがすごいあった。
これまで、母に対して憎い気持ちと依存の気持ちの両方があって、憎いのに依存する自分が恥ずかしかった。これからは自分の中の母親の声に影響されないようにすることと、自分が母親に依存しないことで、その気持ちを解消していきたい。
これからは母親の呪い(と言うときつく聞こえるけど、要は生まれ育った家族や環境の影響)を解くことで、もっと自由に考えたり行動したりしたい。


3、家族について
夫となんでも二人で決めたり考えられたのがよかった。
カナダに来て初めて夫と一緒に住み始めた。
夫とは知り合って半年くらいで結婚したから、まだよくわからないことが多かった。
1年くらいは新婚気分でなんでも楽しくできたけど、2年目ということでお互いの人間性や相手が不得意な部分も見えてきた。
2人とも完璧じゃないから、それをどう改善するかを夫と話し合ううちに、私は夫婦はこうじゃないとという思い込みがすごい強かった人間だったのがわかった。

専業主婦だから家事をがんばらないといけないとか、パートを始めたから家計に貢献しているとか、金銭と家事分担でこれだけ生活に貢献せねばみたいな考え方が強かった。
でも、夫と一緒にくらしたり、カナダでいろんな家族の形を見るうちに、
お金と愛と家事を天秤にかけて、お互いどれだけ貢献していると言い合うのはよくなくて、それよりも話し合いと実践と検討を重ねて、お互いが納得する形で家計と家事を回して生活をするのが大事だと気づいた。自分では柔軟なつもりだったけど、頭が硬くて偏見が強い人間だということがよくわかった。なるべくこれからは、独立した大人二人が協力して生活するという考え方に変えていきたい。
血がつながっているから、家族だから愛があるんじゃないし、そもそも愛があるのは当たり前じゃない。愛はお互いを尊重し、助け合う生活を送るうちに結果としてついてくるものだと思う。

カナダにはいろんな家族がいる。
家族の成員全員が同じ言語を話さない、同じ文化的背景を持たない、法律婚をしていない、子どもがいない、子どもと親が血がつながっていない、同性同士、男の人が家事をやる、女の人も仕事をする・・・。
出産、子育ての方法もさまざまだ。
無痛分娩/普通分娩、母乳/粉ミルク・液体ミルク、添い寝する/子ども部屋で寝かせる、自分の親に預ける/ベビーシッターを雇う/母親が育てる・・・。
日本にいるとコレが正解で、正解に合わせないのは変という風潮がすごく強い。
考える前に形式に合わせろという感じがすごくある。
どういう家族の形にするかは自分たちで話し合って、合理的で納得できる形で生活を運営していれば、他人がとやかく口を挟むことではないと思う。
これから私たちも自分たちの家族の形が作れたらいいと思う。

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これから人生の後半に突入するので、今まで当たり前に思っていた固定観念とか、親の考えや生まれ育った場所の影響とかを振り払って、もっとこれからは自分の軸を作っていきたい。

スカイプ英会はコミュニケーションの練習にもなる

夫がスカイプ英会話を始めたのに影響されて、わたしも始めることにした。
登録して今のところ2ヶ月くらい続いている。
海外に住んでても、すぐに友だちは増えないし、仕事場では仕事の話と決まった会話が中心で、なかなか深い話をするような機会というのはないからだ。

わたしはこれまで
自分の英語が下手=文法がなってない/単語が適切に使えてない/アクセント、発音などがよくない
だと思っていた。
けど、スカイプ英会話を始めてから、自分が話すことだけじゃなくて聞き手にも影響されることに気づいた。

わたしがやっているのはレアジョブというフィリピンの人が先生をやっているスカイプ英会話。

www.rarejob.com

 

教材はTOEICやTOFLなどの語学テスト別、会話レベル別、ビジネス用やトラベル用などの用途別に分かれていて、自分で好きなものを選べる。
先生は専門分野、年齢、性別、得意な指導分野ごとに何人もいて、自分で好きな人を選べる。いきなり知らない人と会話するのは難しいけど、その日の教材のテーマがあるので、沈黙するということはない。
また、何回か受講するうちに指導法や話が合う先生が見つかるので、なるべくその人の授業を受けるようにすれば、だんだん会話にも慣れてくる。
それでもたまに調子良くしゃべれているときとそうでないときがある。
その違いを考えてみると、先生の聞き方が結構影響していることに気づいた。

例えば、自分が調子よくしゃべれていると思うのは、こんなときだ。

○リラックスしている
調子良くしゃべれるときというのは、自分がリラックスしているときだ。
緊張していると、何を話したらいいかという内容も、文法や単語も思いつかなくなる。
一回言葉がつまると、その間の沈黙がきつくなって、よけいに緊張する。

○質問してくれる
間がもたないときにうまく質問してくれる先生だとしゃべりやすい。
質問にもタイミングがあって、矢継ぎ早に聞きたいことを次から次へと質問されるよりは、こちらが話したことの中からさらに話を展開させるような質問だと話しやすい。
例えば旅行にいったという話なら、どこに行ったのとか、フライトはどうだったのとか、関連する質問を投げてくれると、こちらも話の筋道をつけやすい。

○適度な反応
さらに、こちらの話に対して、あいづちとか表情の変化といった適度な反応があると、しゃべりやすい。
それもおおげさなもの、わざとらしい笑顔よりも、自然な感情を表してくれた方が、
相手も楽しんでいると感じられてしゃべりやすい。

○間をとってくれる
英語の会話は、感想と原因をセットで話すということが多いように思う。
日本語の会話というのは、「かわいー」「おいしー」「そうだねー」というように、
情緒を大事にして、同意を求める部分が大きい
しかし、英語の会話は、
「これはこの部分がかわいいと思う、だから私はこれが好きだ」
しっかり意見をいうのが主眼になる
そのときに、頭の中で、自分の意見の組み立てて、それを英語に置き換えて、
文章になったことを、適切な発音で話す作業を一瞬でしないといけない。
そういうのを考えずにできているとき、自然な会話ができていると感じる。
だから、こちらの言葉がつまった時に、不機嫌になったり、つまらなさそうにされると、話す気がなくなってしまうし、考えがうまくまとまらない。
それから、こちらの言いたいことを言い終わる前に話題を変えたり質問されたりしても、言いたいことを話せなかった不満が残る。
相手の態度で簡単に話す気が失われるやすいというのを改めて思い知った。
だから、最後まで待ってくれるとか、こちらが質問を思いつくまで間をとってくれると話しやすい。

いい会話をするには、自分が語学力を伸ばすとか速くしゃべるとか単語を覚えるといった努力だけじゃだめで、会話するときの環境も重要だ。
静かな場所とか、一対一とか、表情がわかるよう向き合ってといったこと以外に、お互いが相手のことを聞こうとする態度というのも必要だ。
コミュニケーションする際に相手に求めていることは、自分もやった方がいいことだ。
会話は相手との共同作業のはずだけど、日本語だとつい、意味が全部わかるから会話をすべて音声に頼ってしまう。
だから多少うるさい場所や、何かを作業しながらでも会話できるし、表情とかあいづちがおろそかになったり、相手に自分の話を一方的に話すような態度になってしまったりする。
でも、そういうのは相手の言いたいことの情報の一部しか受け取ってないことと一緒だ。
日本語を使っていると話を聞く技術は、営業術とかインタビュー術といった専門の本でも読まないと学ぶ機会がない。
だから、スカイプ英会話をすることで、人と話すのに改めて何が必要かを知ることができた。
スカイプ英会話は英語だけでなく、コミュニケーションの練習にもなって、とてもいいと思う。

 

Don't work too hard(『仕事文脈』9号「バンクーバーと仕事 人生の手札」おまけ)

ときどき文章を書かせてもらっている雑誌『仕事文脈』の9号が出ました。

 


今回の特集は「ごはんと仕事」。
わたしは「バンクーバーと仕事」というタイトルで連載をしています。
内容はこんな感じ。


カナダと日本のカルチャーギャップは他にもあって、
補論として、カナダの人からよく言われる
Don't work too hardという言葉について考えたいと思います。


○一生懸命働くな?

カナダの職場でもうひとつ感じた大きなカルチャーギャップは、
Don't work too hardという言葉。

例えば

クリスマス前に働いていると
Don't work too hard

週5で働いていると人に言うと
Don't work too hard

土曜に働いていると
Don't work too hard

お客さんからだけじゃなく、同僚からも言われる。
仕事を一生懸命やるのが大事、人よりも倍働いて一人前、
自分がどれだけできたかよりも人と比べてどれくらいやっているか、
で評価される日本の価値観とは大違い。

確かに、夫の職場に5時以降に行くと誰もいない。
友人の職場の話を聞いても同様。
残業は「決められた時間内に仕事ができない」としてマイナス評価になる。
5時以降は飲みに行ったり、スポーツをしたり、家族と過ごす時間で、
オン/オフきっちりつけて、
プライベートやオフを充実させてこそ仕事がうまくいくという考え方。

会社の付き合いを断っても、それで評価が下がることはない。
会社の飲み会も2時間くらいで解散で、
家が遠いとか、子どもが入るという理由で途中で帰る人もいる。
日本で「付き合い悪い」と言われることが、
カナダだとその人にはその人の過ごし方があるからね、という感じで
あっさりしている。

上司との関係もフェアな感じ。
例えばわたしの職場だと、
上司の勤務態度を従業員が評価するというアンケートが配られる。
そこには仕事への熱意や成果のほかに、
従業員の扱い方がフェアかどうかという項目もある。
だから、休ませてくれないとか、シフトを入れてほしいのに入れてくれないとか、
暴言や人格を否定したり人種差別的な発言があったら、
従業員からその項目の点数を低くされる。
だから、おのずと上司は仕事に関しては口うるさくても、
人格を否定するような言い方はしないし、いじめなんてもってのほかという感じ。

だからマネージャー業務がいちばん大変。
いろんな国から来た移民がいて、
中には英語が不得手な人、
文化的背景が全然違う人がいる。
教え方が高圧的だったり差別的にならないように仕事を教えて、
うまくチームを回していくっていうのがマネージャーの仕事。
もちろん仕事を覚えられないとクビになったりするけど、
下に一方的に責任を押し付けられるということはない。
それよりも、うまくマネジメントできないのは、マネージャーの責任になる。


○日本とカナダの価値観の違い

日本だと全人格を仕事に投入しないとダメみたいな雰囲気がある。
だから仕事ができないのは、動かすマネージャーじゃなくて、部下の責任になる。
そして、仕事をがんばっているという態度の熱心さが求められる。
そして、態度をはかる指標は、
効率よりも遅くまで残るとか人より早く来るとか、
メールを一秒でも早く返すとか、飲みに誘ったら断らないとか、
わかりやすい目に見えるものに置き換えられたりする。
でも態度ではかるって、上司の裁量でいくらでもなんとでもなる。
だから、パワハラとか残業の温床になりやすい。
日本には企業が従業員を雇ってやってるから
言うこと聞いて当たり前みたいな昔の家制度っぽい名残とか、
仕事のできないうちは一人前じゃないみたいな年齢階梯制の名残が
すごい残っていると思う。
日本の企業は企業に滅私奉公みたいなのがすごいあって、
人生を仕事にかけないとダメって感じがすごい強い。

カナダは逆に、仕事が人生の全部じゃないという価値観が強い。
仕事は人生を構成する家族や趣味や勉強といったものの一部で、
仕事以外のことも充実して、いい人生が送れるという考え方なんだと思う。
だから、仕事で成し遂げたこととか収入が、
その人の人生の評価のすべてにならないし、
ほかのことも楽しみなよって感じで、みんな

Don't work too hard


って言ってくれるんだと思う。


○江戸時代以前の働きかた

そういえば、『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)という本で、
日本は江戸時代は今みたいに皆が勤勉に働く社会じゃなかったという話が出てきた。

  

 

例えば、

働かなければならないときは自主的に働いて、
油を売りたいときは自主的に油を売ったとか、

働く前にタバコをのんだり、だべったりして、
船を漕ぐとか物を運ぶとか力のいる労働をするときには歌を歌ったとか、
働く側がどう働くか主導権をもっていて、
労働を楽しみに転嫁させるような工夫とか、余裕があったという話が出てきた。

もちろん、江戸時代は今よりお金がかからなかったから
それほどお金を稼がなくてよかったということもあるだろう。
けど、今言われているほど、昔の日本人は働き者だったわけではないみたいだ。
タイトルを忘れてしまったけど、
「ものぐさ太郎」とか「三年寝太郎」とかの昔話から、
日本の昔の農村社会は今思われているほど働き者ではなかったということを、
書いた本を10年くらい前に読んだことがある。
農村社会の中で一人働きすぎることは、村の中で足並みを乱すことで、
よくないこととされていたらしい。
だから、昔の日本にもDon't work too hardみたいな考え方があったんだろう。

今の日本の社会で仕事=人生みたいになってしまうのは、
正社員的な時間を削ってお金を稼ぐような仕事に就かないと、
余裕のある生活をおくれないということが大きいだろう。
それに、社会保険や厚生年金や失業保険といった
正社員になることで受けられる社会保障が大きく、
会社がセーフティーネットになっているというのもある。
さらに、カナダと違って、
就活で人生が決まってその後の進路変更がしにくいということもある。
だから、どうしても仕事=人生みたいな生き方が主流になってしまうんだろう。

○労働は美徳か悪徳か?

わたしはビザの関係で、去年は働けなくてずっとうちにいた。
専業主婦で気楽って感じよりも、お金を稼がないことで感じる
家計や世間の役に立っていないという罪悪感とか、
疎外感の方が強かった。
今年からビザがとれて働き始めたけど、
働くことで、お金を稼いで家計に役立っているとか、
社会と関わっているという実感を持てて、精神的によかった。
仕事=人生になってしまうと、人生が空しくなったり、
働きすぎて病気や鬱になったりする。
逆に全然働かなくても、人から批判されたり、
自信がもてなかったりして、精神的によくないと思う。
適度な労働は健康にも精神的にもいい。
今の日本は、しんどいとか言ったら、すぐ「もっとしんどい人もいる」と言われて
グチもこぼしにくい社会だ。
だから、もっと

Don't work too hard

と言い合って、
ちょっとくらい疲れたとかしんどいとか、
グチをこぼしたりできる社会になればいいと思う。

※2017年4月29日追記
この記事をアップデートした原稿を仕事文脈10号に書きました。
テーマもズバリ「Don't work too hard」です。
5/7の東京文学フリマで先行発売あるそうです。

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