こけし日記

読むことと書くことについて

2016年のまとめ

ブログの説明にもある通り、2016年の年末でパートをやめたので、
元パート主婦になりました。
そしてカナダ滞在もあとわずか・・・。

2016年は仕事と家族についてよく考えた年で、
自分の当たり前とか、固定観念がすごくゆらいだ年だった。

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1、仕事について
初めてカナダで働いて、最初は言葉がうまく通じなかったり、
同僚やお客さんと意思疎通がうまくとれなくて孤独感がすごかった。
それがだんだん職場に慣れてきて、メンバーの一員として認められることで、
言葉が通じなくても仕事はできるし、求められていることをできるように努力して、
それを継続していれば成果を認めてもらえるというのがわかった。
日本ではあんなに外で働くことに失敗し続けたのに、カナダではできないなりに成果を認めてもらえたことで、パートに出て、どこでも働けると自信がついた。

30代半ばという人生の折り返し地点という年齢が近づいてものすごい焦っていて、
仕事始めたときに描いていた理想とか、同業者が同じ年のときにどんな成果を挙げていたかがめちゃくちゃ気になって、それにひきかえ自分は何もできてないし何にもなれていないと、ウツウツしながら過ごしていた。
思い返すとフリーランスになったのはなりゆきみたいなものだったのに、いつのまにか絶対フリーランスの編集者とかライターで成功しなければと自分で道を狭めていた。
こうありたいとか、こうあらなきゃに目がくらまされて、自分の向き不向きややりたいことを見失って、今まで自分の首を自分でしめていたんだなということに気づいた。
そのおかげで、逆にライターとか編集者にこだわらなくていいやと思えるようになった。


2、母親について
去年母親と連絡をほとんど取らなかった。
母に対して今まで当たり前だと思っていた行動、言動、考え方に対して、30歳を過ぎた辺りから我慢できないことが増え始めて、衝突が増えていった。
母と似ているところは自分の大嫌いなところと似ていて、離れていても母親の言動や行動を思い返して、イライラした。

親が過干渉気味で、自分も依存しがちになる部分があった。心理的にも金銭的にも物理的にも一旦距離を取ることで、本当に独立したいと思った。自分の頭の中にいる母親を追い出したくて、母の影響を排除しようと思って連絡をとらないことにした。そのおかげで自分のペースで考え、行動し、ものごとを決められてよかった。
本当は自分がもっと若いときに何をしたかった/したくなかったのかも、やっと思い出せた。やりたい/したくないと思う前に頭の中にいる母親の声に消されて、そもそもしたい/したくないと思わないようにしていたから、できなかったりやったことがあった。その結果、自分の中に、母親に人生を邪魔されたという気持ちがすごいあった。
これまで、母に対して憎い気持ちと依存の気持ちの両方があって、憎いのに依存する自分が恥ずかしかった。これからは自分の中の母親の声に影響されないようにすることと、自分が母親に依存しないことで、その気持ちを解消していきたい。
これからは母親の呪い(と言うときつく聞こえるけど、要は生まれ育った家族や環境の影響)を解くことで、もっと自由に考えたり行動したりしたい。


3、家族について
夫となんでも二人で決めたり考えられたのがよかった。
カナダに来て初めて夫と一緒に住み始めた。
夫とは知り合って半年くらいで結婚したから、まだよくわからないことが多かった。
1年くらいは新婚気分でなんでも楽しくできたけど、2年目ということでお互いの人間性や相手が不得意な部分も見えてきた。
2人とも完璧じゃないから、それをどう改善するかを夫と話し合ううちに、私は夫婦はこうじゃないとという思い込みがすごい強かった人間だったのがわかった。

専業主婦だから家事をがんばらないといけないとか、パートを始めたから家計に貢献しているとか、金銭と家事分担でこれだけ生活に貢献せねばみたいな考え方が強かった。
でも、夫と一緒にくらしたり、カナダでいろんな家族の形を見るうちに、
お金と愛と家事を天秤にかけて、お互いどれだけ貢献していると言い合うのはよくなくて、それよりも話し合いと実践と検討を重ねて、お互いが納得する形で家計と家事を回して生活をするのが大事だと気づいた。自分では柔軟なつもりだったけど、頭が硬くて偏見が強い人間だということがよくわかった。なるべくこれからは、独立した大人二人が協力して生活するという考え方に変えていきたい。
血がつながっているから、家族だから愛があるんじゃないし、そもそも愛があるのは当たり前じゃない。愛はお互いを尊重し、助け合う生活を送るうちに結果としてついてくるものだと思う。

カナダにはいろんな家族がいる。
家族の成員全員が同じ言語を話さない、同じ文化的背景を持たない、法律婚をしていない、子どもがいない、子どもと親が血がつながっていない、同性同士、男の人が家事をやる、女の人も仕事をする・・・。
出産、子育ての方法もさまざまだ。
無痛分娩/普通分娩、母乳/粉ミルク・液体ミルク、添い寝する/子ども部屋で寝かせる、自分の親に預ける/ベビーシッターを雇う/母親が育てる・・・。
日本にいるとコレが正解で、正解に合わせないのは変という風潮がすごく強い。
考える前に形式に合わせろという感じがすごくある。
どういう家族の形にするかは自分たちで話し合って、合理的で納得できる形で生活を運営していれば、他人がとやかく口を挟むことではないと思う。
これから私たちも自分たちの家族の形が作れたらいいと思う。

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これから人生の後半に突入するので、今まで当たり前に思っていた固定観念とか、親の考えや生まれ育った場所の影響とかを振り払って、もっとこれからは自分の軸を作っていきたい。

スカイプ英会はコミュニケーションの練習にもなる

夫がスカイプ英会話を始めたのに影響されて、わたしも始めることにした。
登録して今のところ2ヶ月くらい続いている。
海外に住んでても、すぐに友だちは増えないし、仕事場では仕事の話と決まった会話が中心で、なかなか深い話をするような機会というのはないからだ。

わたしはこれまで
自分の英語が下手=文法がなってない/単語が適切に使えてない/アクセント、発音などがよくない
だと思っていた。
けど、スカイプ英会話を始めてから、自分が話すことだけじゃなくて聞き手にも影響されることに気づいた。

わたしがやっているのはレアジョブというフィリピンの人が先生をやっているスカイプ英会話。

www.rarejob.com

 

教材はTOEICやTOFLなどの語学テスト別、会話レベル別、ビジネス用やトラベル用などの用途別に分かれていて、自分で好きなものを選べる。
先生は専門分野、年齢、性別、得意な指導分野ごとに何人もいて、自分で好きな人を選べる。いきなり知らない人と会話するのは難しいけど、その日の教材のテーマがあるので、沈黙するということはない。
また、何回か受講するうちに指導法や話が合う先生が見つかるので、なるべくその人の授業を受けるようにすれば、だんだん会話にも慣れてくる。
それでもたまに調子良くしゃべれているときとそうでないときがある。
その違いを考えてみると、先生の聞き方が結構影響していることに気づいた。

例えば、自分が調子よくしゃべれていると思うのは、こんなときだ。

○リラックスしている
調子良くしゃべれるときというのは、自分がリラックスしているときだ。
緊張していると、何を話したらいいかという内容も、文法や単語も思いつかなくなる。
一回言葉がつまると、その間の沈黙がきつくなって、よけいに緊張する。

○質問してくれる
間がもたないときにうまく質問してくれる先生だとしゃべりやすい。
質問にもタイミングがあって、矢継ぎ早に聞きたいことを次から次へと質問されるよりは、こちらが話したことの中からさらに話を展開させるような質問だと話しやすい。
例えば旅行にいったという話なら、どこに行ったのとか、フライトはどうだったのとか、関連する質問を投げてくれると、こちらも話の筋道をつけやすい。

○適度な反応
さらに、こちらの話に対して、あいづちとか表情の変化といった適度な反応があると、しゃべりやすい。
それもおおげさなもの、わざとらしい笑顔よりも、自然な感情を表してくれた方が、
相手も楽しんでいると感じられてしゃべりやすい。

○間をとってくれる
英語の会話は、感想と原因をセットで話すということが多いように思う。
日本語の会話というのは、「かわいー」「おいしー」「そうだねー」というように、
情緒を大事にして、同意を求める部分が大きい
しかし、英語の会話は、
「これはこの部分がかわいいと思う、だから私はこれが好きだ」
しっかり意見をいうのが主眼になる
そのときに、頭の中で、自分の意見の組み立てて、それを英語に置き換えて、
文章になったことを、適切な発音で話す作業を一瞬でしないといけない。
そういうのを考えずにできているとき、自然な会話ができていると感じる。
だから、こちらの言葉がつまった時に、不機嫌になったり、つまらなさそうにされると、話す気がなくなってしまうし、考えがうまくまとまらない。
それから、こちらの言いたいことを言い終わる前に話題を変えたり質問されたりしても、言いたいことを話せなかった不満が残る。
相手の態度で簡単に話す気が失われるやすいというのを改めて思い知った。
だから、最後まで待ってくれるとか、こちらが質問を思いつくまで間をとってくれると話しやすい。

いい会話をするには、自分が語学力を伸ばすとか速くしゃべるとか単語を覚えるといった努力だけじゃだめで、会話するときの環境も重要だ。
静かな場所とか、一対一とか、表情がわかるよう向き合ってといったこと以外に、お互いが相手のことを聞こうとする態度というのも必要だ。
コミュニケーションする際に相手に求めていることは、自分もやった方がいいことだ。
会話は相手との共同作業のはずだけど、日本語だとつい、意味が全部わかるから会話をすべて音声に頼ってしまう。
だから多少うるさい場所や、何かを作業しながらでも会話できるし、表情とかあいづちがおろそかになったり、相手に自分の話を一方的に話すような態度になってしまったりする。
でも、そういうのは相手の言いたいことの情報の一部しか受け取ってないことと一緒だ。
日本語を使っていると話を聞く技術は、営業術とかインタビュー術といった専門の本でも読まないと学ぶ機会がない。
だから、スカイプ英会話をすることで、人と話すのに改めて何が必要かを知ることができた。
スカイプ英会話は英語だけでなく、コミュニケーションの練習にもなって、とてもいいと思う。

 

Don't work too hard(『仕事文脈』9号「バンクーバーと仕事 人生の手札」おまけ)

ときどき文章を書かせてもらっている雑誌『仕事文脈』の9号が出ました。

 


今回の特集は「ごはんと仕事」。
わたしは「バンクーバーと仕事」というタイトルで連載をしています。
内容はこんな感じ。


カナダと日本のカルチャーギャップは他にもあって、
補論として、カナダの人からよく言われる
Don't work too hardという言葉について考えたいと思います。


○一生懸命働くな?

カナダの職場でもうひとつ感じた大きなカルチャーギャップは、
Don't work too hardという言葉。

例えば

クリスマス前に働いていると
Don't work too hard

週5で働いていると人に言うと
Don't work too hard

土曜に働いていると
Don't work too hard

お客さんからだけじゃなく、同僚からも言われる。
仕事を一生懸命やるのが大事、人よりも倍働いて一人前、
自分がどれだけできたかよりも人と比べてどれくらいやっているか、
で評価される日本の価値観とは大違い。

確かに、夫の職場に5時以降に行くと誰もいない。
友人の職場の話を聞いても同様。
残業は「決められた時間内に仕事ができない」としてマイナス評価になる。
5時以降は飲みに行ったり、スポーツをしたり、家族と過ごす時間で、
オン/オフきっちりつけて、
プライベートやオフを充実させてこそ仕事がうまくいくという考え方。

会社の付き合いを断っても、それで評価が下がることはない。
会社の飲み会も2時間くらいで解散で、
家が遠いとか、子どもが入るという理由で途中で帰る人もいる。
日本で「付き合い悪い」と言われることが、
カナダだとその人にはその人の過ごし方があるからね、という感じで
あっさりしている。

上司との関係もフェアな感じ。
例えばわたしの職場だと、
上司の勤務態度を従業員が評価するというアンケートが配られる。
そこには仕事への熱意や成果のほかに、
従業員の扱い方がフェアかどうかという項目もある。
だから、休ませてくれないとか、シフトを入れてほしいのに入れてくれないとか、
暴言や人格を否定したり人種差別的な発言があったら、
従業員からその項目の点数を低くされる。
だから、おのずと上司は仕事に関しては口うるさくても、
人格を否定するような言い方はしないし、いじめなんてもってのほかという感じ。

だからマネージャー業務がいちばん大変。
いろんな国から来た移民がいて、
中には英語が不得手な人、
文化的背景が全然違う人がいる。
教え方が高圧的だったり差別的にならないように仕事を教えて、
うまくチームを回していくっていうのがマネージャーの仕事。
もちろん仕事を覚えられないとクビになったりするけど、
下に一方的に責任を押し付けられるということはない。
それよりも、うまくマネジメントできないのは、マネージャーの責任になる。


○日本とカナダの価値観の違い

日本だと全人格を仕事に投入しないとダメみたいな雰囲気がある。
だから仕事ができないのは、動かすマネージャーじゃなくて、部下の責任になる。
そして、仕事をがんばっているという態度の熱心さが求められる。
そして、態度をはかる指標は、
効率よりも遅くまで残るとか人より早く来るとか、
メールを一秒でも早く返すとか、飲みに誘ったら断らないとか、
わかりやすい目に見えるものに置き換えられたりする。
でも態度ではかるって、上司の裁量でいくらでもなんとでもなる。
だから、パワハラとか残業の温床になりやすい。
日本には企業が従業員を雇ってやってるから
言うこと聞いて当たり前みたいな昔の家制度っぽい名残とか、
仕事のできないうちは一人前じゃないみたいな年齢階梯制の名残が
すごい残っていると思う。
日本の企業は企業に滅私奉公みたいなのがすごいあって、
人生を仕事にかけないとダメって感じがすごい強い。

カナダは逆に、仕事が人生の全部じゃないという価値観が強い。
仕事は人生を構成する家族や趣味や勉強といったものの一部で、
仕事以外のことも充実して、いい人生が送れるという考え方なんだと思う。
だから、仕事で成し遂げたこととか収入が、
その人の人生の評価のすべてにならないし、
ほかのことも楽しみなよって感じで、みんな

Don't work too hard


って言ってくれるんだと思う。


○江戸時代以前の働きかた

そういえば、『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)という本で、
日本は江戸時代は今みたいに皆が勤勉に働く社会じゃなかったという話が出てきた。

  

 

例えば、

働かなければならないときは自主的に働いて、
油を売りたいときは自主的に油を売ったとか、

働く前にタバコをのんだり、だべったりして、
船を漕ぐとか物を運ぶとか力のいる労働をするときには歌を歌ったとか、
働く側がどう働くか主導権をもっていて、
労働を楽しみに転嫁させるような工夫とか、余裕があったという話が出てきた。

もちろん、江戸時代は今よりお金がかからなかったから
それほどお金を稼がなくてよかったということもあるだろう。
けど、今言われているほど、昔の日本人は働き者だったわけではないみたいだ。
タイトルを忘れてしまったけど、
「ものぐさ太郎」とか「三年寝太郎」とかの昔話から、
日本の昔の農村社会は今思われているほど働き者ではなかったということを、
書いた本を10年くらい前に読んだことがある。
農村社会の中で一人働きすぎることは、村の中で足並みを乱すことで、
よくないこととされていたらしい。
だから、昔の日本にもDon't work too hardみたいな考え方があったんだろう。

今の日本の社会で仕事=人生みたいになってしまうのは、
正社員的な時間を削ってお金を稼ぐような仕事に就かないと、
余裕のある生活をおくれないということが大きいだろう。
それに、社会保険や厚生年金や失業保険といった
正社員になることで受けられる社会保障が大きく、
会社がセーフティーネットになっているというのもある。
さらに、カナダと違って、
就活で人生が決まってその後の進路変更がしにくいということもある。
だから、どうしても仕事=人生みたいな生き方が主流になってしまうんだろう。

○労働は美徳か悪徳か?

わたしはビザの関係で、去年は働けなくてずっとうちにいた。
専業主婦で気楽って感じよりも、お金を稼がないことで感じる
家計や世間の役に立っていないという罪悪感とか、
疎外感の方が強かった。
今年からビザがとれて働き始めたけど、
働くことで、お金を稼いで家計に役立っているとか、
社会と関わっているという実感を持てて、精神的によかった。
仕事=人生になってしまうと、人生が空しくなったり、
働きすぎて病気や鬱になったりする。
逆に全然働かなくても、人から批判されたり、
自信がもてなかったりして、精神的によくないと思う。
適度な労働は健康にも精神的にもいい。
今の日本は、しんどいとか言ったら、すぐ「もっとしんどい人もいる」と言われて
グチもこぼしにくい社会だ。
だから、もっと

Don't work too hard

と言い合って、
ちょっとくらい疲れたとかしんどいとか、
グチをこぼしたりできる社会になればいいと思う。

※2017年4月29日追記
この記事をアップデートした原稿を仕事文脈10号に書きました。
テーマもズバリ「Don't work too hard」です。
5/7の東京文学フリマで先行発売あるそうです。

tababooks.com

 

雪が降りました

この記事でも書いた通り、冬のバンクーバーは雨。 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 
しかし、今年は12月始めに来た寒波により別世界。

 

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出かけるのも一苦労

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雪かきは大変

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鳩も大変

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犬も大変

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お母さんはもっと大変

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子どもは大喜び

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大人も大喜び

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町にはいろんな作品が

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森は様変わり

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しかし、それも今日の雨ですべてとけ、
いつもどおりのレインクーバーに元通り。

一足早くつかの間のホワイトクリスマスを味わったのでした。

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Have a happy holiday!

バンクーバーで物をなくしたら(Vancouver A to Z [L: Lost and found])

財布、鍵、クレジットカード、大切なものほどなくしがち。
もし海外で大事なものをなくしたら、パニックになっちゃいますよね。
そこで、今回はバンクーバーで物をなくしたときの対処法について書きます。

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冬にはよくある手袋の落とし物

○貴重品以外
物をなくしたと気づいたら、すぐさまその日立ち寄ったルートを
もう一度たどってみましょう。
道ばたやお店などに忘れている可能性があります。
このとき覚えておきたいのが、Lost and foundという言葉。
駅や公共施設、お店などで忘れ物を置いている場所のことです。
お店などで訪ねるときは、Lost and foundはどこかまず訪ねましょう。

そのとき

・なくした物とその特徴
・立ち寄った日時
・名前と連絡先

を書いた紙を一緒にわたしておくと便利です。
もし見つかったら、連絡をくれるかもしれません。

○コンパスカード

バンクーバーでバスやスカイトレインに乗る時、
便利なのがコンパスカードという、ICカード
日本でいうsuicaのように事前にお金をチャージしておくと、
タップするだけで簡単に電車やバスに乗れます。

コンパスカードを作るのは簡単。
デポジットとして6ドルが必要で、駅にある券売機で簡単に購入できます。
デポジットウォーターフロント駅で返してもらえます。
旅行者でも一日券が買えるので、数日の滞在なら作っておいて損はないでしょう。

コンパスカードのカードの裏にはカードごとにコンパスナンバーと
CVNナンバーがついており、
オンラインで登録すると乗車/降車記録が見られたり、
クレジットカードと連携させて、オンラインで追加で料金をチャージできます。

www.compasscard.ca


このコンパスナンバーとCVNナンバー、
オンライン登録時のセキュリティクエスチョンは重要なので、
必ず控えておきましょう。

もしなくしたら、まず、駅の券売機で新しいカードを作ります。
次にcompass customer serviceに電話します。

www.compasscard.ca


なくしたカードのナンバー、CVNナンバー、セキュリティクエスチョン、
新しいカードのナンバーを聞かれますので、それを答えると、
新しいナンバーのカードに、古いカードに入っていた残りのチャージ料金を移してくれます。

カードはなくしやすいので、専用パスケースや財布の所定に位置に入れて出し入れを減らすといいでしょう。

○貴重品

わたしは幸いなことにまだ貴重品をなくしたことがありません。
パスポート、デビットカード、クレジットカードについては、
現地の警察に紛失届けを出すとともに、
カード会社や銀行へ連絡が必要です。
パスポートの場合はダウンタウンにある日本の領事館へ行きましょう。

地球の歩き方等のガイドブックや、こういったサイトには、
紛失・盗難時の対処法が載っていますので、
渡航前にチェックしておきましょう。

バンクーバー - カナダ留学情報サイトStudy in Canada!

○まとめ

バンクーバーは比較的安全な都市だと言われています。
しかし、なくし物に関していうと疑問です。
わたしは上着とコンパスカードをなくしましたが出てきませんでした。
特にダウンタウンでは貧富の差が激しいので、
なくした物をそのまま誰かが拾って持っていく可能性が高いです。
また、職場や学校でも貴重品は自分で責任を持つようにと言われました。
基本的に親切で優しい人が多いと思う町ですが、
人の出入りが激しく、貧富の差も大きいので、
なくし物は戻ってこないと思った方がいいでしょう。
楽しい旅行/生活を送るためにも、みなさん、落とし物には気をつけて!

バンクーバーで薬を買う(Vancouver A to Z [m:medicin ])

海外に住むと、今までとは違う環境、食生活、
慣れない生活習慣によるストレスなどで、体調不良を起こしがちです。
そこで今回はバンクーバーで買った薬について紹介します。

わたしは事前にグーグル検索+日系サイトでどの薬を買うか当たりをつけて、
現地の薬局にいる人におすすめを聞いて買いました。
以下は自分で使ったものです。


○胃もたれ
tums

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最初、食生活に慣れず胃もたれを起こしました。
珍しい料理をいろいろ食べたくて食べ過ぎたり、
フレンチフライ、お肉といったボリュームの多い料理、
マフィンや缶入りスープに含まれているバターや油が原因でした。
お菓子のような外見ですが、れっきとした薬だそうで、
カルシウム成分が入っているそうです。
かんで食べ、味は薄いラムネみたいでした。


胃もたれは予防の方が大事なので、
腹八分目を心がける、

脂っこいものを食べない、
など食生活を見直すとほとんどなくなりました。



○風邪 
advil

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バンクーバーで2回も風邪を引いて寝込みました。
どちらも急にのどが痛くなったかと思うと、急激に熱が上がり、
それが2、3日続きました。
日本で引く風邪よりも、
のどの痛みや熱の上がり方が急でびっくりしてしまいました。

advilは即効性があり、1日で熱が下がり次の日には動けるようになりました。
効き目が強すぎるので、あまり使いたくないのもあって、
できるだけ風邪を引かないようにしています。

○花粉アレルギー
allegra & benadryl

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花粉症がないと思っていたバンクーバーですが、
春と秋にスギやヒノキ以外の花粉や芝生が原因で、
目のかゆみ、鼻のむずむず、鼻水、くしゃみといった症状に悩まされました。

どちらも使うとすぐに鼻水がおさまって、早く効くのに驚きました。
薬によって眠くなるタイプもあるので、
運転や集中力のいる仕事をする人は購入時に注意が必要です。


○歯痛、口内炎
orajel

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たまに、熱いものを食べたり、免疫力が落ちていたなどが原因で、
口内炎が悪化して
口の中がものすごく腫れて痛くなりました。

orajelは塗り薬で、患部に直接塗ります。
炎症を抑えるというよりは、塗るタイプの麻酔薬という感じで、
痛みをましにするものでした。
逆に気になって患部を触ってしまうので、わたしには逆効果でした。


○ニキビ
 clean&clear

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食べ過ぎ、油分の多い食事、ホルモンバランスの崩れなどで、
大きなニキビが鼻やおでこやあご周りにできるようになりました。

塗り薬で患部に直接塗ります。
中に入っている過酸化ベイゾイルという薬剤の強さによって、
2%、5%、10%と別れています。
2%と5%を使用してみましたが、わたしの場合はすぐにニキビが消えず、
かえって長引いてしまいました。
10%はまだ試したことがありません。
ビタミン剤をのんだり、洗顔と保湿をしっかりすると徐々に消えていきました。


○頭痛、生理痛
tylenol

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日本ではバファリンを使うか、カイロをお腹周りに貼って
乗り切るかしていたのですが、
どちらも持ってきたものがなくなったので、こちらの薬を購入しました。

効き目が早く、眠気なども感じませんでした。
しかし、見た目がどぎつくて使うのに抵抗がありました。


○おわりに

特に海外で住んでいると、知らず知らずのうちにストレスを受けています。
語学や文化ギャップ、仕事や勉強のプレッシャーといったわかりやすいこと以外にも、
これまでの環境から切り離されたことで感じる孤独とか、
現地で所属がなくて身の置き所がないといった、言葉にしにくいものもあります。
ワーホリだとか学生だとか駐在とか家族についてきた人とか、
立場によって多少差はあるでしょうが、
比較してどちらが大変と言うものではないと思います。

わたしは日本にいた頃は比較的健康で、
自分が不健康だと思ったことはあまりありませんでした。
しかし、海外に住ひんぱんに体調不良を起こすようになりました。
そういったストレスも原因のひとつだったと思います
また、体調不良を起こしたことで、
これまでの生活スタイルを見直すきっかけになりました。
これまでは、徹夜とか睡眠時間を削って仕事をするとかがしょっちゅうあり、
食事を抜いたり会合やイベントで食べ過ぎるとか、飲酒しすぎることもありました。
それでも、自分は健康だから大丈夫だと思っていました。
でも、それは慣れた環境だから無茶できていただけだろうと思います。
カナダでもそんな生活を続けるのはよくないと考えを改め、
よく寝る、食事の量に気を遣う、
飲酒量を減らす、適度な運動といった当たり前のことを心がけるようになりました。

日本にいたときより生活は単調になったかもしれないけど、
外国では健康にいることがいちばん大事

そんなふうに思って毎日生活しています



全体的に見て、わたしはカナダの薬で副作用やアレルギーが出たり、
症状が悪化することはありませんでしたが、
薬はアレルギーや効果が人によって違いますので、
購入はご自分の判断でお願いします。


バンクーバーに住んだことで起こったファッション観の変化(Vancouver A to Z [F: Fashion])

服の話は今回でおしまいです。
前回、前々回で服の買い方と処分の話を書きました。
 今回はバンクーバーに来て自分のファッション観が変わった話を書きます。


kokeshiwabuki.hatenablog.com

 

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 


まず、来ていちばん驚いたのは、バンクーバーのおしゃれが、
日本のおしゃれと全然違っていたことです。

1、体型の長所を見せる

おしゃれには二つの方向性があると思います。
体型の難点を隠すか、体型のいいところを見せるか。
日本は言うまでもなく隠す方向でしょう。
チュニックで下半身をカバーしたり、
上半身にボリュームを作って下半身に目がいかないようにして、
足が長く見えるようにしたり。

なので、日本で売っている服は
服にフリルやウエストマークがついていて、
デザイン性の高い服が多いです。
また、着こなしも、目線をずらして体型の難点を目立たないようにしようとするので、
エリを出したり袖をまくったり、アクセサリーや小物をつけたりと、
服以外の要素が多いです。
それに、道徳とか常識みたいなのがあってか、
全体的に露出の少ない格好が多いです。

一方バンクーバーの人の格好は、
前々回の記事にも書いたように、
露出の多い格好や、透けた素材の服が多く、
丈が短かったり、スリットが入っていて、
ウエストや足を強調するような服が多いです。

日本にいたときはそんな格好をしていいのは、
モデルや若くてきれいな人くらいだろうというような先入観がありました。
しかし、バンクーバーでは、どんな世代の人でも、どんな体型の人でも、
そういう服を堂々と着ていることに驚きました。


2、女性らしさにこだわらない

それから、スカートをはかない人が多いことにも驚きました。
住む地域にもよりますが、わたしの住んでいるエリアでスカートをはいている人を見る機会はすごく少なかったです。
理由として考えられるのは、ひとつは天候の問題。
冬場は足下が悪くて、寒いので、スカートは合理的じゃないこと。
もうひとつは、ファッションにおいて女性らしさ、
もっと言うと男性への媚のようなものが、
あまり重視されていないからなのではと感じました。

わたしが20代だった2000年前半は
雑誌で「モテ服」「愛され系」という言葉がはやっていました。
それは言い換えたら「女性らしさ」を全面に出したような格好のことです。
たとえば、女性の柔らかさを感じさせるパステルカラーのような色遣いや、
シフォンのようなふわっとした素材の服、
清楚さを感じさせるようなメイクや髪型でまとめた服装です。
いわゆる女子アナと呼ばれている女性のアナウンサーや、
「お嫁さんにしたい人」に選ばれるような女優が
ドラマなどでしている格好に代表されます。

わたしも実際同世代や年上の男性から、
「かわいくなるからそういう格好をした方がいい」
というようなアドバイスを受けることもありましたが、
わたしは当時古着が好きだったこともあって、
そのようなアドバイスをほとんど無視していました。
しかし、学生のうちは古着でよくても、
社会人になるうちに無視しきれなくなりました。
なぜなら、それが「社会人になったらこういう格好をしましょう」という
一種のお手本というか、規範みたいになっていたからです。
わたしはどちらかというと森ガールほどいかないガーリーな服が好きだったので、
そういう服を着るのは結構嫌でした。
また、「愛される」ことを主体にして服を選ぶのが自分を抑えているようで、
そういうことを言われるたびに、かわいくなるっていうんだから受け入れないといけないという気持ちと、別にそうまでしてかわいくならんでもいいわという気持ちで、ぐらぐらしていたものです。

しかし、バンクーバーで売っている服や、バンクーバーの人の服装を見ていると、
日本の「愛され系」ファッションをほとんど見かけることがありませんでした。
体型を強調する服は女性の体型を魅力的に見せるためで、
そこに男性への媚が含まれているように感じませんでした。
わたしはこれまで女性らしい服を着るのが恥ずかしく、
ガーリーとか古着に逃げているところがあったのですが、
パンツでも素敵なスタイルの人がいたり、
露出や透けている服でもいやらしくない人がいたりして、
女性らしさが男性への媚とイコールでないこと、
女性らしさの表現にはいろいろあるとわかりました。
特に「愛され系」ではない形で、
自分の女性らしさを表現できるかもしれないと思ったのは発見でした。

3、標準がない

また、バンクーバーでは同じスタイルをいろんな人が着ていることに驚きました。
同じメーカーの服、似たような着こなしをいろんな人がしています。
サイズはXXSからLまであるし、背の高い人も低い人もいます。
みなそれぞれに似合っていて、うまく着こなしています。

日本にいたときは、理想的な顔や体型、メイクや着こなしというのがあって、
そこからずれたところ(主には欠点)ばかりに目がいっていました。
なので、嫌でも人と比較するところがありました。
それは、日本だと
同じような髪の色、肌の色、目の色の人ばかりで、
理想的な標準というのがあって、そこに寄せていくような
ファッションだったからじゃないかと思っています。
でも、バンクーバーだと、そもそもの肌の色や目や髪の色や体型がバラバラで、
似合う服も色もお化粧方法もそれぞれ人によって違うので、
あまり人と比べるということに意味がないなと思うようになりました。

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化粧品売り場では肌色に合わせて口紅が何色もある

4、ファッションに多様性がある

いろんな国から人が着ているので、いろんな国の着こなし、流行、
民族衣装を見かけます。
ヨガパンツにブーツとパーカーやニットやチェックシャツとベストの組み合わせの
シンプルなスタイルの地元の子、
ワンレイヤーで真っ黒の髪に真っ赤なリップを塗るメイクが特徴の韓国の子、
おしゃれめがねにごついスニーカーとハイブランドの服で固めた中国系の子、

それだけじゃなくて、


宗教によってはスカーフをまいている人、
サリーを着ている人、男性はターバンを着けている人もいます。
自分は着なくてもスカーフのまき方にはっとしたり、
サリーを売っているお店で色の派手さにくらくらしたり。


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インド人街にあるサリーを売る店


日本にいたときは、そのときの流行を追いかけなきゃという気持ちがあって、
追いつかなかったりうまく着こなせないことに嫌気がさすことが多かったです。
自分が似合う服と着たい服の違いもあまりわかっていませんでした。
でも、バンクーバーでいろんな格好を見ていると、
それぞれに素敵でいいところがあることがわかり、
全部を真似することは不可能だし、
自分の個性や長所が出るような似合う服を探して着ればいいんだと、
おおらかな気持ちになりました。


まとめ

ファッションには、自分の体型や、頭の中の理想や、社会の常識や
いろんな要素が関わっています。
そのいろんな要素にひっぱられていつも迷走していました。
特に自分の中では2の、女性らしさはどうしたらいいのかよくわかりませんでした。
しかし、バンクーバーでいろんな格好の人を見たことで、
女性らしさの表現の多様さを知ったのは結構ヒントになりました。

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胸やお尻を無理に隠さなくてもいい
短い足でも大きなお尻でも魅力的に出すことはできる

露出が高い服を着るのは触っていいからじゃない
くびれている部分や胸の形や
自分の体で自分が好きな場所を強調するためだ

ふわふわの服、パステルカラーの服を着なくてもいい
好きなら着てもいい
それを着るのはわたしがその色や形を好きだからで
誰かの好みに合わせているからでも
誰かに気に入られるためでもない

あの子みたいになれないと思う必要はない
わたしはあの子ではないからだ
あの子になるために着るのではない
わたしがその服を着たらいい感じになるから着る

あの子みたいじゃない誰かを笑わない
その子は別にあの子になりたいわけじゃない
そうしない人を笑っていいという理由はない

好きで似合ってその人が魅力的に見える服を着れば、
気分良く過ごせる
人が気分良くやっているのを
とやかく言う権利はない
言われる理由もない

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これからはこういう感じで、短所よりも長所に目を向け、
人と比べないで、自分の個性や長所が出るような似合う服を探して
着ていきたいと思います。