こけし日記

読むことと書くことについて

バンクーバーで薬を買う(Vancouver A to Z [m:medicin ])

海外に住むと、今までとは違う環境、食生活、
慣れない生活習慣によるストレスなどで、体調不良を起こしがちです。
そこで今回はバンクーバーで買った薬について紹介します。

わたしは事前にグーグル検索+日系サイトでどの薬を買うか当たりをつけて、
現地の薬局にいる人におすすめを聞いて買いました。
以下は自分で使ったものです。


○胃もたれ
tums

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最初、食生活に慣れず胃もたれを起こしました。
珍しい料理をいろいろ食べたくて食べ過ぎたり、
フレンチフライ、お肉といったボリュームの多い料理、
マフィンや缶入りスープに含まれているバターや油が原因でした。
お菓子のような外見ですが、れっきとした薬だそうで、
カルシウム成分が入っているそうです。
かんで食べ、味は薄いラムネみたいでした。


胃もたれは予防の方が大事なので、
腹八分目を心がける、

脂っこいものを食べない、
など食生活を見直すとほとんどなくなりました。



○風邪 
advil

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バンクーバーで2回も風邪を引いて寝込みました。
どちらも急にのどが痛くなったかと思うと、急激に熱が上がり、
それが2、3日続きました。
日本で引く風邪よりも、
のどの痛みや熱の上がり方が急でびっくりしてしまいました。

advilは即効性があり、1日で熱が下がり次の日には動けるようになりました。
効き目が強すぎるので、あまり使いたくないのもあって、
できるだけ風邪を引かないようにしています。

○花粉アレルギー
allegra & benadryl

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花粉症がないと思っていたバンクーバーですが、
春と秋にスギやヒノキ以外の花粉や芝生が原因で、
目のかゆみ、鼻のむずむず、鼻水、くしゃみといった症状に悩まされました。

どちらも使うとすぐに鼻水がおさまって、早く効くのに驚きました。
薬によって眠くなるタイプもあるので、
運転や集中力のいる仕事をする人は購入時に注意が必要です。


○歯痛、口内炎
orajel

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たまに、熱いものを食べたり、免疫力が落ちていたなどが原因で、
口内炎が悪化して
口の中がものすごく腫れて痛くなりました。

orajelは塗り薬で、患部に直接塗ります。
炎症を抑えるというよりは、塗るタイプの麻酔薬という感じで、
痛みをましにするものでした。
逆に気になって患部を触ってしまうので、わたしには逆効果でした。


○ニキビ
 clean&clear

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食べ過ぎ、油分の多い食事、ホルモンバランスの崩れなどで、
大きなニキビが鼻やおでこやあご周りにできるようになりました。

塗り薬で患部に直接塗ります。
中に入っている過酸化ベイゾイルという薬剤の強さによって、
2%、5%、10%と別れています。
2%と5%を使用してみましたが、わたしの場合はすぐにニキビが消えず、
かえって長引いてしまいました。
10%はまだ試したことがありません。
ビタミン剤をのんだり、洗顔と保湿をしっかりすると徐々に消えていきました。


○頭痛、生理痛
tylenol

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日本ではバファリンを使うか、カイロをお腹周りに貼って
乗り切るかしていたのですが、
どちらも持ってきたものがなくなったので、こちらの薬を購入しました。

効き目が早く、眠気なども感じませんでした。
しかし、見た目がどぎつくて使うのに抵抗がありました。


○おわりに

特に海外で住んでいると、知らず知らずのうちにストレスを受けています。
語学や文化ギャップ、仕事や勉強のプレッシャーといったわかりやすいこと以外にも、
これまでの環境から切り離されたことで感じる孤独とか、
現地で所属がなくて身の置き所がないといった、言葉にしにくいものもあります。
ワーホリだとか学生だとか駐在とか家族についてきた人とか、
立場によって多少差はあるでしょうが、
比較してどちらが大変と言うものではないと思います。

わたしは日本にいた頃は比較的健康で、
自分が不健康だと思ったことはあまりありませんでした。
しかし、海外に住ひんぱんに体調不良を起こすようになりました。
そういったストレスも原因のひとつだったと思います
また、体調不良を起こしたことで、
これまでの生活スタイルを見直すきっかけになりました。
これまでは、徹夜とか睡眠時間を削って仕事をするとかがしょっちゅうあり、
食事を抜いたり会合やイベントで食べ過ぎるとか、飲酒しすぎることもありました。
それでも、自分は健康だから大丈夫だと思っていました。
でも、それは慣れた環境だから無茶できていただけだろうと思います。
カナダでもそんな生活を続けるのはよくないと考えを改め、
よく寝る、食事の量に気を遣う、
飲酒量を減らす、適度な運動といった当たり前のことを心がけるようになりました。

日本にいたときより生活は単調になったかもしれないけど、
外国では健康にいることがいちばん大事

そんなふうに思って毎日生活しています



全体的に見て、わたしはカナダの薬で副作用やアレルギーが出たり、
症状が悪化することはありませんでしたが、
薬はアレルギーや効果が人によって違いますので、
購入はご自分の判断でお願いします。


バンクーバーに住んだことで起こったファッション観の変化(Vancouver A to Z [F: Fashion])

服の話は今回でおしまいです。
前回、前々回で服の買い方と処分の話を書きました。
 今回はバンクーバーに来て自分のファッション観が変わった話を書きます。


kokeshiwabuki.hatenablog.com

 

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 


まず、来ていちばん驚いたのは、バンクーバーのおしゃれが、
日本のおしゃれと全然違っていたことです。

1、体型の長所を見せる

おしゃれには二つの方向性があると思います。
体型の難点を隠すか、体型のいいところを見せるか。
日本は言うまでもなく隠す方向でしょう。
チュニックで下半身をカバーしたり、
上半身にボリュームを作って下半身に目がいかないようにして、
足が長く見えるようにしたり。

なので、日本で売っている服は
服にフリルやウエストマークがついていて、
デザイン性の高い服が多いです。
また、着こなしも、目線をずらして体型の難点を目立たないようにしようとするので、
エリを出したり袖をまくったり、アクセサリーや小物をつけたりと、
服以外の要素が多いです。
それに、道徳とか常識みたいなのがあってか、
全体的に露出の少ない格好が多いです。

一方バンクーバーの人の格好は、
前々回の記事にも書いたように、
露出の多い格好や、透けた素材の服が多く、
丈が短かったり、スリットが入っていて、
ウエストや足を強調するような服が多いです。

日本にいたときはそんな格好をしていいのは、
モデルや若くてきれいな人くらいだろうというような先入観がありました。
しかし、バンクーバーでは、どんな世代の人でも、どんな体型の人でも、
そういう服を堂々と着ていることに驚きました。


2、女性らしさにこだわらない

それから、スカートをはかない人が多いことにも驚きました。
住む地域にもよりますが、わたしの住んでいるエリアでスカートをはいている人を見る機会はすごく少なかったです。
理由として考えられるのは、ひとつは天候の問題。
冬場は足下が悪くて、寒いので、スカートは合理的じゃないこと。
もうひとつは、ファッションにおいて女性らしさ、
もっと言うと男性への媚のようなものが、
あまり重視されていないからなのではと感じました。

わたしが20代だった2000年前半は
雑誌で「モテ服」「愛され系」という言葉がはやっていました。
それは言い換えたら「女性らしさ」を全面に出したような格好のことです。
たとえば、女性の柔らかさを感じさせるパステルカラーのような色遣いや、
シフォンのようなふわっとした素材の服、
清楚さを感じさせるようなメイクや髪型でまとめた服装です。
いわゆる女子アナと呼ばれている女性のアナウンサーや、
「お嫁さんにしたい人」に選ばれるような女優が
ドラマなどでしている格好に代表されます。

わたしも実際同世代や年上の男性から、
「かわいくなるからそういう格好をした方がいい」
というようなアドバイスを受けることもありましたが、
わたしは当時古着が好きだったこともあって、
そのようなアドバイスをほとんど無視していました。
しかし、学生のうちは古着でよくても、
社会人になるうちに無視しきれなくなりました。
なぜなら、それが「社会人になったらこういう格好をしましょう」という
一種のお手本というか、規範みたいになっていたからです。
わたしはどちらかというと森ガールほどいかないガーリーな服が好きだったので、
そういう服を着るのは結構嫌でした。
また、「愛される」ことを主体にして服を選ぶのが自分を抑えているようで、
そういうことを言われるたびに、かわいくなるっていうんだから受け入れないといけないという気持ちと、別にそうまでしてかわいくならんでもいいわという気持ちで、ぐらぐらしていたものです。

しかし、バンクーバーで売っている服や、バンクーバーの人の服装を見ていると、
日本の「愛され系」ファッションをほとんど見かけることがありませんでした。
体型を強調する服は女性の体型を魅力的に見せるためで、
そこに男性への媚が含まれているように感じませんでした。
わたしはこれまで女性らしい服を着るのが恥ずかしく、
ガーリーとか古着に逃げているところがあったのですが、
パンツでも素敵なスタイルの人がいたり、
露出や透けている服でもいやらしくない人がいたりして、
女性らしさが男性への媚とイコールでないこと、
女性らしさの表現にはいろいろあるとわかりました。
特に「愛され系」ではない形で、
自分の女性らしさを表現できるかもしれないと思ったのは発見でした。

3、標準がない

また、バンクーバーでは同じスタイルをいろんな人が着ていることに驚きました。
同じメーカーの服、似たような着こなしをいろんな人がしています。
サイズはXXSからLまであるし、背の高い人も低い人もいます。
みなそれぞれに似合っていて、うまく着こなしています。

日本にいたときは、理想的な顔や体型、メイクや着こなしというのがあって、
そこからずれたところ(主には欠点)ばかりに目がいっていました。
なので、嫌でも人と比較するところがありました。
それは、日本だと
同じような髪の色、肌の色、目の色の人ばかりで、
理想的な標準というのがあって、そこに寄せていくような
ファッションだったからじゃないかと思っています。
でも、バンクーバーだと、そもそもの肌の色や目や髪の色や体型がバラバラで、
似合う服も色もお化粧方法もそれぞれ人によって違うので、
あまり人と比べるということに意味がないなと思うようになりました。

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化粧品売り場では肌色に合わせて口紅が何色もある

4、ファッションに多様性がある

いろんな国から人が着ているので、いろんな国の着こなし、流行、
民族衣装を見かけます。
ヨガパンツにブーツとパーカーやニットやチェックシャツとベストの組み合わせの
シンプルなスタイルの地元の子、
ワンレイヤーで真っ黒の髪に真っ赤なリップを塗るメイクが特徴の韓国の子、
おしゃれめがねにごついスニーカーとハイブランドの服で固めた中国系の子、

それだけじゃなくて、


宗教によってはスカーフをまいている人、
サリーを着ている人、男性はターバンを着けている人もいます。
自分は着なくてもスカーフのまき方にはっとしたり、
サリーを売っているお店で色の派手さにくらくらしたり。


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インド人街にあるサリーを売る店


日本にいたときは、そのときの流行を追いかけなきゃという気持ちがあって、
追いつかなかったりうまく着こなせないことに嫌気がさすことが多かったです。
自分が似合う服と着たい服の違いもあまりわかっていませんでした。
でも、バンクーバーでいろんな格好を見ていると、
それぞれに素敵でいいところがあることがわかり、
全部を真似することは不可能だし、
自分の個性や長所が出るような似合う服を探して着ればいいんだと、
おおらかな気持ちになりました。


まとめ

ファッションには、自分の体型や、頭の中の理想や、社会の常識や
いろんな要素が関わっています。
そのいろんな要素にひっぱられていつも迷走していました。
特に自分の中では2の、女性らしさはどうしたらいいのかよくわかりませんでした。
しかし、バンクーバーでいろんな格好の人を見たことで、
女性らしさの表現の多様さを知ったのは結構ヒントになりました。

///

胸やお尻を無理に隠さなくてもいい
短い足でも大きなお尻でも魅力的に出すことはできる

露出が高い服を着るのは触っていいからじゃない
くびれている部分や胸の形や
自分の体で自分が好きな場所を強調するためだ

ふわふわの服、パステルカラーの服を着なくてもいい
好きなら着てもいい
それを着るのはわたしがその色や形を好きだからで
誰かの好みに合わせているからでも
誰かに気に入られるためでもない

あの子みたいになれないと思う必要はない
わたしはあの子ではないからだ
あの子になるために着るのではない
わたしがその服を着たらいい感じになるから着る

あの子みたいじゃない誰かを笑わない
その子は別にあの子になりたいわけじゃない
そうしない人を笑っていいという理由はない

好きで似合ってその人が魅力的に見える服を着れば、
気分良く過ごせる
人が気分良くやっているのを
とやかく言う権利はない
言われる理由もない

///

これからはこういう感じで、短所よりも長所に目を向け、
人と比べないで、自分の個性や長所が出るような似合う服を探して
着ていきたいと思います。


バンクーバーで服を処分する(Vancouver A to Z [F: Fashion])

さて、前回は服の買い方について紹介しましたが、
服の処分の仕方についても紹介したいと思います。


1、服を捨てることへの罪悪感

前回は服を買うことについて書きました。
断捨離本や掃除テクニックにもよくあるように、
ものを増やすと、その分減らせとあります。
実際に着ないし、場所もとります。
愛着や値段を考えると捨てることに躊躇するのですが、
やはり買った分捨てなければいけないと思うようになりました。

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

しかし、以前ライターの鶴見済さんのブログで、
日本ではひとりあたり年に9キロの服を買い、
8キロの服を捨てているという話を読んだことがありました。

tsurumitext.seesaa.net


また、服作りの現場で児童労働があるというニュースを聞いたりして、
服を捨てることに罪悪感がありました。

着ない服を処分したいと、処分することの罪悪感で、
どう処分するのがベストなんだろうというもやもやした気分を抱えていました。


2、服を寄付する


あるとき、My Sister Closetといういい感じの古着屋さんを見つけました。

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そこはBWSSという暴力を受けた女性をサポートする団体が運営しているそうです。
服はすべて寄付によるもの、店員さんはボランティアで、
この服屋の売り上げが団体の活動費になると聞きました。
私はできたら自分の関心のある活動に役立つところに寄付したいという気持ちがあり、そこに着なくなった服を寄付をすることにしました。

着ない服を洗って、きれいにアイロンがけして持っていくと、
その日はちょうどアースデイのイベントで、
寄付をした人は20%割引券がもらえました。
わたしは行けなかったのですが、その日は互いに不要な服を交換するイベントもあったそうです。
服を通じて、いろんな人にその団体の活動にかかわってもらう仕組みを作っているのが印象的でした。

 ○My Sister Closet

 http://www.bwss.org/about-bwss/my-sisters-closet/



3、バンクーバーでの服の処分方法

そうやって自分の服は処分したものの、バンクーバーでは実際にどうしているんだろうと気になっていたところ、
バンクーバーを含むメトロバンクーバー地区で、服と布の埋め立てを禁止しようとしているというニュースを読みました。

www.cbc.


この2016年8月19日のカナダのテレビ局CBCのニュースによると

 メトロバンクーバーエリアに住む人たちは、
 毎年平均して19キログラムの布を捨てているそうです。  
 そしてこんなに服を捨てる多いのは、服が再利用しにくかったり、
 寄付できることを知らないためではないかと考え、
 メトロバンクーバーで埋め立ての禁止をしようとしているそうです。  

そして、服の処分の方法として、以下の3つが紹介されていました。

 H&Mで2013年から始まった取りくみで、世界中どこのショップでも、
 どんなメーカーの服でも、どんなコンディションでも、
 バッグ2袋分までなら引き取って、リサイクルに回すという取り組みだそうです。

 

http://about.hm.com/en/sustainability/get-involved/recycle-your-clothes.html

 地域の何か所かに置かれたドネイションボックスに
 いらなくなった服を放り込むだけで服を寄付することができます。
 ドネイションボックスはいろんな団体が置いていますが、
 ここで紹介されているのは、子ども病院のものです。

 捨て犬や猫を保護する施設に、タオルやブランケットを寄付する取り組みです。
 ※カナダではペットを飼うときにペットショップで購入するより、
 こういった保護施設から引き取るのが一般的だそうです。

http://www.spca.bc.ca/about/faqs/can-i-donate-items-to-my.html


まとめ

これまでは自分が着なくなった服は、ゴミとして捨てるかフリマで売るか、
ぞうきんにするくらいしか方法が思いつきませんでした。
捨て時、売り時がわからなくて、着たおしてゴミという処分方法がほとんどでした。
でも自分が着なくなっても誰かが着るかもとか、役に立つかもという視点があると、
季節ごとに寄付したり大事に着たり、
服との関わり方も見直せることに気づきました。

服との関わり方は欲と罪悪感との葛藤があって、
買えなかったり捨てられなかったりすることが多く、
うまく付き合えているような気がしなかったのですが、
これからはもう少し気楽に付き合えそうです。

服の話はもう少し続きます。
次回はバンクーバーに来て変わったファッション観について書きたいと思います。







バンクーバーで服を買う(バンクーバー A to Z[ F:Fashion])

今回はバンクーバーで快適な衣服生活を送るコツを紹介したいと思います。

1、日本の服が似合わない・・・


来るにあたって飛行機に詰め込めたのはトランク2個分。
もちろん船便で送ることもできたのですが今回は手荷物のみで引っ越しました。
持ってきた服は私が日本で好きだった柄物のブラウスやワンピースなど。

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日本にいた頃はこのような柄物のワンピースや、
レトロなテイストの形や色の組み合わせの服が好きでした。
柄×柄、紫や緑、オレンジといった派手目の色の組み合わせが好き。
かなり派手かつまとまりのない感じでした。

バンクーバーで同じように着てみると、何か違和感を抱きます。
周囲から浮いている気がしてなりません。
なぜかというと、バンクーバーの人たちの服装からかけ離れているからです。
バンクーバーの人のオシャレは基本シンプル。

夏場はこんな感じで極力涼しい格好

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夏はショートパンツ、キャミソールかTシャツ、サンダル。
帽子やストールなんてもってのほか。
日焼けなんて気にしない格好。


冬場は雨が降って寒いから、防寒防水に徹する

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トップスはニットに防水のアウターやダウンジャケット、
ボトムスはスキニージーンズか、レギンスをそのまま
(レギンスをそのままアウターとしてはくというエピソードは、
ニューヨーク在住の漫画家・近藤聡乃さんの『ニューヨークで考え中』にも出てきて、
やっぱり同じところでびっくりするんだと思いました)。

足下は長靴かショートブーツ。
人気はHUNTERBlundstone
鞄はリュック率が高く、よく見かけるのはバンクーバーのブランドのHERSCHEL
日本でも人気のFJALL RAVENのもの。


加えて自転車に乗る人、運動する人が多いから、
スポーツウェアを普段着として着こなしている。
日本で着ていた服は雰囲気に似合わない上、
日本のオシャレ服はバンクーバーで不便すぎる!!!!
あまりに着る服がないので、改めて服を買うことにしました。


2、何を買えばいいのやら・・・

しかし、買い物に行ったものの、なかなか欲しい服が見つかりません。
何が原因なのか考えてみました。

その1、サイズ

サイズ表記が違うので、まず自分に合うサイズを探すのが難しい。
日本のSやXSは欧米のSや2というサイズなんだけど、売っている数が少ない。
欧米サイズのSは裾や腕の長さや足の長さが合わない。

ちなみに買い物に行く前に、サイズ表記が違うので、
事前にサイズ表記をチェックして行きましょう。


その2、色が似合わない

特にアウトドア用の服はパステルカラーと蛍光色が多く、
その服だけ浮いてしまい、他の服と合わせにくいような色が多いです。
蛍光オレンジや蛍光イエローなんて序の口で、
さらには蛍光オレンジと紫の切り替えなんてパンチのあるデザインの服も。
日本の町で着ていたら浮きそうで、買えませんでした。


その3、着こなしがわからない

こんな感じの胸元が開きすぎている服、透けすぎている服、

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あるいは、ロング丈で両横にスリットが入ったニット、
おへそが出るくらい短いトップスなどなど。
こういった服は、着こなし方がわからず、手が出ませんでした。

3、試行錯誤の結果

いろいろ試した結果、無理矢理バンクーバーテイストにするのはやめて、
なるべくシンプルな形の服、柄のない服を中心に買うことにしました。

その中でも自分が着て着やすいデザインだったり、サイズが合う服を
見つけたお店を紹介します。

ファストファッションの子ども用サイズ
H&MやGAPやZARA等のファストファッションは、
欲しい服に限ってサイズがなかったり、
自分の体型のせいで似合わなかったりしました。
しかし、子ども服サイズの13−14がぴったり。
ただ、女児服は胸とおしりが入らない&男児服はただの地味な人になってしまうので、オシャレっていうよりは普段着用って感じでした。

○アジアの人がよく買い物にくるブランド
店員さんやお客さんに中国の人や韓国の人が多い店は
小さいサイズの服も置いてあり、重宝しました。

・NOUL

ダウンタウンにあるお店で、店員さんもお客さんもアジアの人が多い。
はやりなのか、このブランドのテイストなのか、ビッグシルエットの服も多い。
ふつうのデザインの服のXS、Sはちょうどいい。
今韓国ファッションが日本でも流行ってるらしいので、日本でも着られそう。

NOUL


・ROOTS
ダウンタウンの支店だと日本人観光客が多いから、
日本人の店員さんがいるお店があるし、XS、Sも置いてある。
素材もいいし、デザインも割と好き。

https://www.roots.com/ca/en/homepage


※自分には似合わなかったけどよさそうだったお店

・JOE FRESH

カナダのユニクロって感じの普段着とリラックスウェアーが中心のお店。
XS、Sも置いてあります。

https://www.joefresh.com/ca/

・aritzia

サイズ展開が豊富。XXSまである。
デザインも日本で着られそうなのが多かった。

http://www.aritzia.com/en/default

 

○モールに入っているブランド
ちょっと郊外に行くとあるショッピングモールに入ってるブランドは
値段が手頃で、デザインが奇抜でないものが多いように感じます。
アジアからの移民が多いところにあるお店だと、サイズがあったりします。

○日本人から服を買う
日本人がやっているお店や、
日本に帰る人がやっているガレージセールやフリマ、
日本人向けコミュニティサイトで服を売っていたりするので、
日本の服も手に入れようと思えば手に入ります。

branch and knots

http://www.branchesandknots.com/


ここはオーナーが日本人の方で、日本から服を仕入れていると言っていました。

○買い物時の注意点
カナダは60日以内ならタグが着いていて、レシートがあれば返品可です
(セール品や店舗によってそうじゃないお店もあるので、確認が必要です)。
なので、日本にいるときよりも結構思い切って買い物ができました。
ちなみに、返品されてきた服も一緒に売っているので、
汚れやほつれなどはよ〜く確認した方がいいです。


わたしはバンクーバーで服を買うのに苦労してしまいましたが、
逆に言うとカナダの女性の体型に近い方、背が高い方、
アウトドアウェアやスポーティーな格好が似合う方は、
オシャレの幅が広がりそうです。
それから日本から撤退予定のバナナリパブリックとかオールドネイビーなどの
アメリカンテイストな服が好きな人も選択肢が広がって楽しそうです。

ここではわたしの好きなテイストのごく一部のお店を紹介しましたが、
バンクーバーにはほかにもいろんなテイストのお洋服屋さんがたくさんあるので、
いろいろトライしてみてくださいね。

おわりに

以前雑誌の原稿を書くために服を一年買わないで生活できるか試したことがあります。

 

 


その一年は人からいらない服をもらう、穴があいた服は直す、
気に入らない服は染め替えするなど工夫をこらしてみました。
それでなんとか一年過ごせることはわかりました。

しかし、改めてわかったのは、服は消耗品だということでした。
新しい服を買わずに、少ない服で回しているとどんどん服が傷んでゆく・・・。
そして、気に入った服ほどよく着て、
すぐくたっとしてみすぼらしい感じになってしまう・・・。
バンクーバーに来て、環境が変われば着る服も違うということに、
改めて気づきました。

以前は物を買わない&一生ものを大切にみたいな主義にあこがれがあり、
なるべく買わないで生活したいと思っていました。
しかし、環境が変わると難しいと分かった今は、
最近は服は消耗品であると割り切りつつ、
消費しすぎたり、使い捨てにならない方法で、
好きな格好ができる方法を模索中です。

服についてはいろいろ書きたいことがまだあるので、次回に続きます。

「正しい」言葉遣い

外国語で生活するということは、いつも正しい言葉を遣っているか気にしながらしゃべらないといけないということで、それは結構疲れる。

「パードン」と聞かれるのも、「アイキャントアンダースタンド」と言われるのも、
何か言われて聞き取れなかったときに「パードン」と聞き返して、
あきれたような顔をして鼻で笑われるのも、
「イッツオーケー」と繰り返してくれないことも、
困った顔をされることもよくある。
それは1年半住んだって全然慣れることがない。
否定的な反応以外に、親切な感じで物の言い方を直されたり、必要以上にゆっくり話されたりすることもする。
これはこれでちょっと傷つく。


こういう言葉に関するちょっとしたことが、思ったより心理的に負担があって、
長く住めば住むほど疲れがじわじわたまる。
もちろん上達はしていると思うけど、上達するスピードや実感よりもディスコミュニケーションの機会の方が多いから、ダメージがたまる。
もちろん私の英語は完璧じゃないし、英語ネイティブの人たちにとっては直したくなることがあるのはわかる。
それはありがたいことなんだけど、ときどき辛い。
なんでこんなに物の言い方を注意されることを辛く感じてしまうんだろう。


///

それで、日本にいたときのことを思い出した。
私は地元の方言をしゃべるのが恥ずかしいと思っていて、
地元の都会に出たことのある大人たちも割とそういう風に思っていたからか、
あまりにも方言丸出しで話しているとよくものの言い方を直されることがあった。
そういう事情もあって、子どもの頃から方言=恥ずかしいという気持ちがあった。

さらに進学で関西の都会に出ると、
いわゆる「関西文化中心主義」みたいなもののせいで、
言葉を直されたり「なまっている」と言われることが増えた。
私が思う「関西文化中心主義」というのは、
東京に対するもうひとつの中心としての関西文化をもちあげるような考えで、
ざっくり言うと関西は東京と違うんや、
関西人やったらちゃんとした関西弁使えみたいな感じのやつだ。
そういう人たちは「マック」じゃなくて「マクド」やろか、
些細なアクセントや語尾の違いを指摘することがある。

その、自分の文化や言葉遣いが恥ずかしくなく誇るべきもので、
それを直さないといけないとみじんも思っていない感じが苦手だった。
もちろんじぶんの文化を誇ることは素晴らしいことだけど。

私が自分の方言を受け入れられたのは、
東京の山の手言葉をアナウンサーのようにきれいに話す人に、
ネイティブは大事にした方がいいと言われたのがきっかけだった。
その人にとっての山の手言葉は生まれつきの言葉だったけど、
方言をバカにする態度ではなく、他の地方の文化を大事にする態度だったので、
その人とは方言でもあまり恥ずかしいと思わなくて話せた。

///

日本にいたとき、言葉を直されたり「なまっている」と言われるたびに、
私は正しい言葉をつかっていない田舎者と言われている気分になった。

それで、井上ひさしの本に出てきた方言札のことを思い出した。
戦前とか戦中に、学校で方言をしゃべると罰としてぶら下げさせられた
方言札というものがあったそうだ。
特に沖縄とか東北で頻繁につかわれたと聞く。
戦前戦中は軍隊で命令がちゃんと伝わらないといけないから、
方言を直す必要があって、学校で標準語教育が徹底させるためにつかわれたそうだ。
今だったら体罰になると思うけど、そういうことをしてまでも標準語を浸透させようとしていたのに驚く。


方言は昔の教育ではそうやってずけずけ直していいものにされていたけど、
あと、今は逆に持ち上げられたりわざとつかう人もいるけど、
言葉を直すというのは、本来はすごい結構デリケートな問題だと思う。
指摘する方は「正しくない」「変だ」「恥ずかしいことだ」「不快だ」と思っているから、「間違いだ」と指摘できる。
そして、指摘された方は、それがいくら好意や親切心から来るものであっても、
「自分を否定された」という気持ちや「自分は正しくない」「相手に不快な気持ちをもたせて申し訳ない」「恥ずかしい」という気持ちを持ってしまう。
だから、言葉遣いを注意するのは相手の価値観に踏み込む行為なんじゃないだろうか。

///

わたしは今まで日本で、自分がマイノリティだと思ったことがなかった。
日本で女は生きにくいという言い方をよく目にする。
でも自分の周りにも女がいっぱいいたから自分だけが辛いという感じでもなかったし、
同じような目に遭った女の人から辛いときは共感とか慰めとかも得られたから、
あまり孤独を感じることはなかった。
でも言葉は、人によって能力が違うから自分だけしゃべれない機会も多いから、
孤独を感じることが多い。

方言の話からもわかるように、言葉を注意できる者はその場の中心にいる者、
つまり権力を持っている者だ。
言葉を注意する行為によって、相手が圧倒的に力があるとか、
自分が能力が下と見られていることが浮き彫りになる。

いつも言葉を直されるたびに、人から対等に見られていないような気がした。
ありがたいことなんだけど、同時に辛さとかプライドがちょっとずつ削られるような気持ちになる。
人に対等に扱われないのが、こうやって少しずつ自尊心を削っていくと思わなかった。
マイノリティの人はこういう扱いを受けやすいというのを、外国語で生活して初めて知って、ほんとに大変だなと思った。

※方言札のことは井上ひさしの『国語元年』か、『吉里吉里人』で読んだ。

    

 

バンクーバーで見た映画(今村昌平のドキュメンタリー映画編:『人間蒸発』『からゆきさん』『未帰還兵を追って』『無法松故郷に帰る』)

バンクーバーに住んでいるのに、近所の図書館の日本映画の旧作コーナーが充実していて、最近は昔の日本映画ばかり見ている。

今村昌平というとカンヌ取った『うなぎ』のイメージだけど、たまたま最初に見た『人間蒸発』というドキュメンタリー映画がおもしろくてはまった。

『人間蒸発』

失踪して連絡が取れなくなることを「蒸発」というが、これはこの映画が発端となって生まれた言葉らしい。
主人公となる女性が、消えた婚約者を探すという話で、婚約者だった男の関係者を訪ね歩くうちに、男の会社の金の使い込みや過去の女関係がどんどん出て来る。
しかし肝心の手がかりは見つからない。

行き詰まった監督は主人公の女性にフォーカスするうちに、後見人役の俳優に主人公の女性が思いを寄せるようになったり、主人公姉妹の確執が明らかになったりする。
姉妹の互いの証言の食い違い、姉の証言を覆す証言をする人物、だれも自分の言うことが真実だと言ってきかず、藪の中状態となり、どちらも引っ込みが着かなくなった登場人物に対して、監督自身が出てきて、これはフィクションなんですからと無理くり収拾させようとする。
もはやメタ的な、ドキュメンタリーとは何かみたいな視点になっていて、無理やり終わらせた感じはあるけど、どんどん関係者にインタビューを重ね、新事実が明らかになっていく様子はスリリングだし、女性が自分はこの映画の主演女優であるという自覚が出てきて、途中から主客転倒して、撮られる側だった主人公が映画を侵食し始めるような部分も面白い。

 



『からゆきさん』

『からゆきさん』は、戦前に東南アジアに売られて、売春に携わったからゆきさんと呼ばれた女性達がおり、それを追ったドキュメンタリー映画だ。
主人公の女性はは現地で連れ子のあるインド人男性と結婚し、未亡人となるが、家を売ったりしてお金を工面して連れ子を大学までやる。
しかし、住むとことがなくなり、今はインド人の連れ子の奥さんの実家の世話になっている。
給料の出ない家政婦代わりの扱いで、連れ子の奥さんの実家の人たちから辛く当たられているけど、帰りたいという思いはない。
それをお金がないせいにしているが、日本での調査をすすめるうちに、彼女が被差別部落の出身であったことがわかり、事態が急転する。
その展開のドラマチックさにまず驚いた。

それから、その主人公の女性が我慢強く、求めるよりも人に与えようとする人、人間の高潔さみたいなものを持った人であることに打たれた。
以前、別のからゆきさんについてのノンフィクションである、山崎朋子の『サンダカン八番娼館』や森崎和江の『からゆきさん』を読んだことがあった。
これら本に出て来る女性も、自らがいちばん貧しい境遇であるにも関わらず自分よりも人のことを思いやり、あたたかみを忘れない人物だった。

両者のこの人間の高潔さがどこから来る物なのかがすごく不思議だった。

でも、そういう人たちがもつ思いやりの心やあたたかみは尊く美しいものに見える。一方で、それが貧しさや差別から来るあきらめの気持ちだったのかもしれないと思うと、胸がふさがるような気持ちになる。

  

 

『未帰還兵を追って』『無法松故郷に帰る』

『未帰還兵を追って』では、ドキュメンタリーのままならなさも見てとれる。
なかなか追っている未帰還兵を見つけることはできない。途中から取材方針を変えて、現地で結婚して帰らない人に会いに行く。そこで、彼が帰らない理由が、イスラム教徒になったからだとわかる。
彼は現地の八幡製鉄所で働いている。日本人の上司にお前はなんでお祈りをするのか、お祈りをしたら仕事が進まないではないか、今度お祈りをしているところを見つけたらクビだと宣告される。
それでも彼はお祈りをやめられず、隠れてお祈りをしている。彼のイスラム教への信心はちょっと滑稽さを感じる。でも、その信仰の真摯さには何か心を打たれるものがある。


この映画はマレーシア編とタイ編があって、残念ながらマレーシア編しか見られていない。しかし、タイ編は『無法松故郷に帰る』というタイトルでさらに続編が作られている。
タイから主人公が一次帰国して、親族に会いに行く話で、妹、兄、別れた恋人、元上官や戦友といろんな人に会いに行く。特にインパクトがあるのは兄で、夫と別れたか死別で連れ子がいて実家に戻っていた妹に折檻をするので、妹は逃げて別の家に住んでいる。兄はそれまで8回だか6回だかとにかくめちゃめちゃ結婚回数が多く、今の奥さんは逃げて、8歳の娘だけが手元に残っている。
主人公は妹と会っているときは血気さかんな感じだけど、その強烈な兄と会うと借りてきた猫みたいにおとなしくなる。妹の折檻をやめるようにと言うけど、何を生意気なと言って聞かない。そして、長崎の原爆でやられて、親族も親兄弟もほとんど残っておらず、墓を建てたり供養してきたのは自分だと、主人公の弟のことを責める。
後半は復員できなかった理由を追求しに行く。ある同郷の人の証言で、死んだことになっていたらしい。兄が恩給をもらうために、ちゃんと確かめなかったんじゃないか疑惑も浮上してきて、『人間蒸発』のときのように藪の中みたいな展開になる。
最後、主人公は結局タイに帰ってしまう。
主人公との再会を泣いて喜んだ上官の反応と対比的だった。
日本のために戦ったのに居場所はない、というのが何とも言えない後味の悪い結末だったけど、主人公はそれに対して不満を言うとか、国を相手に訴えるとかもなく、淡々とタイで農民に戻る。

「未帰還兵」という、本や歴史でしか知らなかった人が生身の肉体をもってあらわれていること、そのたたずまい、仕草や言葉遣いが、たくさんのことを語っている。

 



おしまい


ドキュメンタリーというと、教育的、政治的であるか覗き見趣味の作品が多いと思っていたのだけど、今村監督のはあまりそういうところがなかった。

どうも彼の経歴を調べると、映画監督が撮影所からクビになったりやめたりして、プロダクションを作り始めた頃の走りの監督で、後世を育てようと日本映画学校という専門学校を作ったりしたそうだ。
伝説ドキュメンタリーみたいに言われる原一男の『ゆきゆきて神軍』ももとは今村監督の企画だったらしい。

ドキュメンタリー映画教条主義的で、主張ばっかりあるのに、画面がぐらぐらして録音が聞き取れず何言ってるのかさっぱりで、展開が途中でよくわからなくなるという感じが好きでなかったのだが、今村監督のは画面がばしっと決まってて、構成もしっかりしてて(『人間蒸発』はこじつけ感あったけど)主義主張が先行していないで、取材結果にもとづいて作っている感じで、非常にはっきりした展開で見やすくて、劇映画とドキュメンタリーの両方のいいとこ取りという感じがしたので、はまったのだと思う。

日本映画学校はもうなくなってしまったらしい。
日本映画学校の理事をしていて、今村監督の助監督とか撮影助手とかをしていた武重さんという人がたくさん撮影裏話を書き残しており、それと照らし合わせながら映画を見れるのもいい。

http://www.cinemanest.com/imamura/home.html


特に、『人間蒸発』の主人公だった早川さんに会いに行った回は非常に面白い。映画は終わって、ひとつの作品になる。でも人生はその後も続く。
その後の人生を生きたかが描かれていてそれがすごい面白い。

今村監督の撮り方は、例えば『人間蒸発』の主演俳優との疑似恋愛的な部分は、おそらく今村監督がそうなるようにしむけた部分もあるんだろうとか、盗み撮りとか人の人生をコマに使うようなやり口もあって、ちょっと考えさせられる部分もある。
しかし、そういう撮り方をするから善悪を超えた人間の生々しさがあぶり出るのかもしれない。
現実の方が作り物よりも不可思議だという魅力と迫力があってどはまりした。
日本でまたかかる機会があれば見てみたい。

バンクーバーで見た映画(『戦場のメリークリスマス』大島渚)

バンクーバーに住んでいるのに、近所の図書館の日本映画の旧作コーナーが充実していて、最近は昔の日本映画ばかり見ている。わたしは『シャーロック』とか『ブエノスアイレス』とか『ブロークバックマウンテン』のような男同士が仲良くしている映画が割と好きなんで、戦場のメリークリスマス』もミーハー気分で見た。

戦場のメリークリスマス』は第二次世界大戦中、ジャワの日本軍の捕虜収容所で、
収容所を運営する側の日本人と捕虜のイギリス人たちとの関係を描いている。
坂本龍一演じるヨノイ中尉とデビッドボウイが演じるセリアス、
ビートたけしが演じるハラとトムコンティが演じるロレンス、
彼らの関係にフォーカスしつつ、収容所での人間関係を描いている。

最初は同じ大島監督が新撰組を撮った『御法度』みたいな、
美しい男(セリアスかヨノイ)が男同士の団体をめちゃくちゃにする話だと思っていた。
そういうふうに見ようと思えば見れそうだけど、それは一要素にすぎなくて、それよりもっとわたしはそれよりも極限状態での人間関係とか、戦争による文化の衝突とかもっと大きなものを描いている映画だと感じた。


戦場で敵同士として出会い、捕虜と収容所の責任者という絶対的な上下関係の中で人間関係が作られていく。
その中で、心を通わせられそうな場面、お互いに理解しあえるのではと思う場面があった。そういうシーンはもし人間として別の場所で出会ったとしたらもっといい友人になれたのではないだろうかと感じさせる。

その一方で、それは戦争中の捕虜収容所という極限状態の場所で出会ったからこその理解や共感なのではとも思う。生きるか死ぬかというぎりぎりの緊張があったからこその連帯感ではないかと。だからもし戦場以外で出会っていても理解しようとしなかったのではないかというふうにも見える。

以前『玉砕の軍隊、生還の軍隊』という河野仁さんの本を読んだときに、太平洋戦争でアメリカ軍は生還率が高く日本軍は玉砕した率が高いとあった。
これは、その原因がどこにあるかを、両軍に参加した元兵士の証言や兵隊育成システムにまでさかのぼって分析した本だ。
こういうふうに戦場は、全然違う理屈のもとで戦う兵士たちが出会い、衝突する場だ。戦場はほんものの異人、他者との出会いの場だ。
そういうときに人がどういう行動をとるか。
映画ではそういうときに人が見せる戸惑いや、共通点を見つけた時の思わぬ共感みたいなものが描かれているように感じた。

 

文化の衝突、という見方をすると、いちばんの他者はハラなのかもしれない。
ヨノイ、セリアス、ロレンスは高等教育を受け、互いに英語でコミュニケーションがとれる。彼らは高等教育を受けた人たちがもつエリート文化を共有している。
しかしハラだけはそういうところから置いてけぼりだ。
同じ日本人でもヨノイは二・二六事件で死に遅れたという後悔をもち、武士道精神みたいなものが行動原理にあるが、ハラはおそらく貧しい農村出身で、食うために軍隊にいる。
その分同じように徴兵されてきた部下の気持ちや境遇がわかる。
しかし、その暴力は容赦がなく、武士道が行動原理であるヨノイと違って、何か底知れぬおそろしさを感じ、それが他の者がふるう暴力と異質性を際立たせる。

 

教育だけでなく言葉からみてもハラは異質だ。
ロレンスは通訳で、日本語をしゃべれるが、ヨノイとロレンスは英語で会話している。たけしとロレンスは日本語で会話している。
互いの言葉を通じて互いの文化に触れているヨノイとロレンスとちがって、英語ができないハラにそれはできない。
ハラは他者のままだ。

 

ラストで戦犯となったハラが英国軍の監督下におかれ、逆の立場でロレンスと再会する。英語を学習していたハラはロレンスと英語で会話する。
そのときのハラは一人の人間としてロレンスと出会っている。
そしてようやく自分が、他者にではなく同じ人間に暴力をふるったと後悔しているように見える。
それは言葉を学んだおかげだけでなく、言葉を学ぶということで、「学ぶ」ということをの価値を知ったからではないだろうか。
ハラは軍隊や戦争でなくしていたヒューマニズムを捕虜となり死を前にしてようやく回復したように見える。
そのことが悲しく、切なさを感じた。


あと、坂本龍一の電子音の音楽は、暴力で血が流れる熱帯のどろどろした画面とは対比的にさっぱりとしていてあっていた。