こけし日記

読むことと書くことについて

バンクーバーで服を買う(バンクーバー A to Z[ F:Fashion])

今回はバンクーバーで快適な衣服生活を送るコツを紹介したいと思います。

1、日本の服が似合わない・・・


来るにあたって飛行機に詰め込めたのはトランク2個分。
もちろん船便で送ることもできたのですが今回は手荷物のみで引っ越しました。
持ってきた服は私が日本で好きだった柄物のブラウスやワンピースなど。

f:id:kokeshiwabuki:20160815085455j:plain

日本にいた頃はこのような柄物のワンピースや、
レトロなテイストの形や色の組み合わせの服が好きでした。
柄×柄、紫や緑、オレンジといった派手目の色の組み合わせが好き。
かなり派手かつまとまりのない感じでした。

バンクーバーで同じように着てみると、何か違和感を抱きます。
周囲から浮いている気がしてなりません。
なぜかというと、バンクーバーの人たちの服装からかけ離れているからです。
バンクーバーの人のオシャレは基本シンプル。

夏場はこんな感じで極力涼しい格好

f:id:kokeshiwabuki:20161206081007j:plain

夏はショートパンツ、キャミソールかTシャツ、サンダル。
帽子やストールなんてもってのほか。
日焼けなんて気にしない格好。


冬場は雨が降って寒いから、防寒防水に徹する

f:id:kokeshiwabuki:20161206081154j:plain

トップスはニットに防水のアウターやダウンジャケット、
ボトムスはスキニージーンズか、レギンスをそのまま
(レギンスをそのままアウターとしてはくというエピソードは、
ニューヨーク在住の漫画家・近藤聡乃さんの『ニューヨークで考え中』にも出てきて、
やっぱり同じところでびっくりするんだと思いました)。

足下は長靴かショートブーツ。
人気はHUNTERBlundstone
鞄はリュック率が高く、よく見かけるのはバンクーバーのブランドのHERSCHEL
日本でも人気のFJALL RAVENのもの。


加えて自転車に乗る人、運動する人が多いから、
スポーツウェアを普段着として着こなしている。
日本で着ていた服は雰囲気に似合わない上、
日本のオシャレ服はバンクーバーで不便すぎる!!!!
あまりに着る服がないので、改めて服を買うことにしました。


2、何を買えばいいのやら・・・

しかし、買い物に行ったものの、なかなか欲しい服が見つかりません。
何が原因なのか考えてみました。

その1、サイズ

サイズ表記が違うので、まず自分に合うサイズを探すのが難しい。
日本のSやXSは欧米のSや2というサイズなんだけど、売っている数が少ない。
欧米サイズのSは裾や腕の長さや足の長さが合わない。

ちなみに買い物に行く前に、サイズ表記が違うので、
事前にサイズ表記をチェックして行きましょう。


その2、色が似合わない

特にアウトドア用の服はパステルカラーと蛍光色が多く、
その服だけ浮いてしまい、他の服と合わせにくいような色が多いです。
蛍光オレンジや蛍光イエローなんて序の口で、
さらには蛍光オレンジと紫の切り替えなんてパンチのあるデザインの服も。
日本の町で着ていたら浮きそうで、買えませんでした。


その3、着こなしがわからない

こんな感じの胸元が開きすぎている服、透けすぎている服、

f:id:kokeshiwabuki:20161206080311j:plain

あるいは、ロング丈で両横にスリットが入ったニット、
おへそが出るくらい短いトップスなどなど。
こういった服は、着こなし方がわからず、手が出ませんでした。

3、試行錯誤の結果

いろいろ試した結果、無理矢理バンクーバーテイストにするのはやめて、
なるべくシンプルな形の服、柄のない服を中心に買うことにしました。

その中でも自分が着て着やすいデザインだったり、サイズが合う服を
見つけたお店を紹介します。

ファストファッションの子ども用サイズ
H&MやGAPやZARA等のファストファッションは、
欲しい服に限ってサイズがなかったり、
自分の体型のせいで似合わなかったりしました。
しかし、子ども服サイズの13−14がぴったり。
ただ、女児服は胸とおしりが入らない&男児服はただの地味な人になってしまうので、オシャレっていうよりは普段着用って感じでした。

○アジアの人がよく買い物にくるブランド
店員さんやお客さんに中国の人や韓国の人が多い店は
小さいサイズの服も置いてあり、重宝しました。

・NOUL

ダウンタウンにあるお店で、店員さんもお客さんもアジアの人が多い。
はやりなのか、このブランドのテイストなのか、ビッグシルエットの服も多い。
ふつうのデザインの服のXS、Sはちょうどいい。
今韓国ファッションが日本でも流行ってるらしいので、日本でも着られそう。

NOUL


・ROOTS
ダウンタウンの支店だと日本人観光客が多いから、
日本人の店員さんがいるお店があるし、XS、Sも置いてある。
素材もいいし、デザインも割と好き。

https://www.roots.com/ca/en/homepage


※自分には似合わなかったけどよさそうだったお店

・JOE FRESH

カナダのユニクロって感じの普段着とリラックスウェアーが中心のお店。
XS、Sも置いてあります。

https://www.joefresh.com/ca/

・aritzia

サイズ展開が豊富。XXSまである。
デザインも日本で着られそうなのが多かった。

http://www.aritzia.com/en/default

 

○モールに入っているブランド
ちょっと郊外に行くとあるショッピングモールに入ってるブランドは
値段が手頃で、デザインが奇抜でないものが多いように感じます。
アジアからの移民が多いところにあるお店だと、サイズがあったりします。

○日本人から服を買う
日本人がやっているお店や、
日本に帰る人がやっているガレージセールやフリマ、
日本人向けコミュニティサイトで服を売っていたりするので、
日本の服も手に入れようと思えば手に入ります。

branch and knots

http://www.branchesandknots.com/


ここはオーナーが日本人の方で、日本から服を仕入れていると言っていました。

○買い物時の注意点
カナダは60日以内ならタグが着いていて、レシートがあれば返品可です
(セール品や店舗によってそうじゃないお店もあるので、確認が必要です)。
なので、日本にいるときよりも結構思い切って買い物ができました。
ちなみに、返品されてきた服も一緒に売っているので、
汚れやほつれなどはよ〜く確認した方がいいです。


わたしはバンクーバーで服を買うのに苦労してしまいましたが、
逆に言うとカナダの女性の体型に近い方、背が高い方、
アウトドアウェアやスポーティーな格好が似合う方は、
オシャレの幅が広がりそうです。
それから日本から撤退予定のバナナリパブリックとかオールドネイビーなどの
アメリカンテイストな服が好きな人も選択肢が広がって楽しそうです。

ここではわたしの好きなテイストのごく一部のお店を紹介しましたが、
バンクーバーにはほかにもいろんなテイストのお洋服屋さんがたくさんあるので、
いろいろトライしてみてくださいね。

おわりに

以前雑誌の原稿を書くために服を一年買わないで生活できるか試したことがあります。

 

 


その一年は人からいらない服をもらう、穴があいた服は直す、
気に入らない服は染め替えするなど工夫をこらしてみました。
それでなんとか一年過ごせることはわかりました。

しかし、改めてわかったのは、服は消耗品だということでした。
新しい服を買わずに、少ない服で回しているとどんどん服が傷んでゆく・・・。
そして、気に入った服ほどよく着て、
すぐくたっとしてみすぼらしい感じになってしまう・・・。
バンクーバーに来て、環境が変われば着る服も違うということに、
改めて気づきました。

以前は物を買わない&一生ものを大切にみたいな主義にあこがれがあり、
なるべく買わないで生活したいと思っていました。
しかし、環境が変わると難しいと分かった今は、
最近は服は消耗品であると割り切りつつ、
消費しすぎたり、使い捨てにならない方法で、
好きな格好ができる方法を模索中です。

服についてはいろいろ書きたいことがまだあるので、次回に続きます。

「正しい」言葉遣い

外国語で生活するということは、いつも正しい言葉を遣っているか気にしながらしゃべらないといけないということで、それは結構疲れる。

「パードン」と聞かれるのも、「アイキャントアンダースタンド」と言われるのも、
何か言われて聞き取れなかったときに「パードン」と聞き返して、
あきれたような顔をして鼻で笑われるのも、
「イッツオーケー」と繰り返してくれないことも、
困った顔をされることもよくある。
それは1年半住んだって全然慣れることがない。
否定的な反応以外に、親切な感じで物の言い方を直されたり、必要以上にゆっくり話されたりすることもする。
これはこれでちょっと傷つく。


こういう言葉に関するちょっとしたことが、思ったより心理的に負担があって、
長く住めば住むほど疲れがじわじわたまる。
もちろん上達はしていると思うけど、上達するスピードや実感よりもディスコミュニケーションの機会の方が多いから、ダメージがたまる。
もちろん私の英語は完璧じゃないし、英語ネイティブの人たちにとっては直したくなることがあるのはわかる。
それはありがたいことなんだけど、ときどき辛い。
なんでこんなに物の言い方を注意されることを辛く感じてしまうんだろう。


///

それで、日本にいたときのことを思い出した。
私は地元の方言をしゃべるのが恥ずかしいと思っていて、
地元の都会に出たことのある大人たちも割とそういう風に思っていたからか、
あまりにも方言丸出しで話しているとよくものの言い方を直されることがあった。
そういう事情もあって、子どもの頃から方言=恥ずかしいという気持ちがあった。

さらに進学で関西の都会に出ると、
いわゆる「関西文化中心主義」みたいなもののせいで、
言葉を直されたり「なまっている」と言われることが増えた。
私が思う「関西文化中心主義」というのは、
東京に対するもうひとつの中心としての関西文化をもちあげるような考えで、
ざっくり言うと関西は東京と違うんや、
関西人やったらちゃんとした関西弁使えみたいな感じのやつだ。
そういう人たちは「マック」じゃなくて「マクド」やろか、
些細なアクセントや語尾の違いを指摘することがある。

その、自分の文化や言葉遣いが恥ずかしくなく誇るべきもので、
それを直さないといけないとみじんも思っていない感じが苦手だった。
もちろんじぶんの文化を誇ることは素晴らしいことだけど。

私が自分の方言を受け入れられたのは、
東京の山の手言葉をアナウンサーのようにきれいに話す人に、
ネイティブは大事にした方がいいと言われたのがきっかけだった。
その人にとっての山の手言葉は生まれつきの言葉だったけど、
方言をバカにする態度ではなく、他の地方の文化を大事にする態度だったので、
その人とは方言でもあまり恥ずかしいと思わなくて話せた。

///

日本にいたとき、言葉を直されたり「なまっている」と言われるたびに、
私は正しい言葉をつかっていない田舎者と言われている気分になった。

それで、井上ひさしの本に出てきた方言札のことを思い出した。
戦前とか戦中に、学校で方言をしゃべると罰としてぶら下げさせられた
方言札というものがあったそうだ。
特に沖縄とか東北で頻繁につかわれたと聞く。
戦前戦中は軍隊で命令がちゃんと伝わらないといけないから、
方言を直す必要があって、学校で標準語教育が徹底させるためにつかわれたそうだ。
今だったら体罰になると思うけど、そういうことをしてまでも標準語を浸透させようとしていたのに驚く。


方言は昔の教育ではそうやってずけずけ直していいものにされていたけど、
あと、今は逆に持ち上げられたりわざとつかう人もいるけど、
言葉を直すというのは、本来はすごい結構デリケートな問題だと思う。
指摘する方は「正しくない」「変だ」「恥ずかしいことだ」「不快だ」と思っているから、「間違いだ」と指摘できる。
そして、指摘された方は、それがいくら好意や親切心から来るものであっても、
「自分を否定された」という気持ちや「自分は正しくない」「相手に不快な気持ちをもたせて申し訳ない」「恥ずかしい」という気持ちを持ってしまう。
だから、言葉遣いを注意するのは相手の価値観に踏み込む行為なんじゃないだろうか。

///

わたしは今まで日本で、自分がマイノリティだと思ったことがなかった。
日本で女は生きにくいという言い方をよく目にする。
でも自分の周りにも女がいっぱいいたから自分だけが辛いという感じでもなかったし、
同じような目に遭った女の人から辛いときは共感とか慰めとかも得られたから、
あまり孤独を感じることはなかった。
でも言葉は、人によって能力が違うから自分だけしゃべれない機会も多いから、
孤独を感じることが多い。

方言の話からもわかるように、言葉を注意できる者はその場の中心にいる者、
つまり権力を持っている者だ。
言葉を注意する行為によって、相手が圧倒的に力があるとか、
自分が能力が下と見られていることが浮き彫りになる。

いつも言葉を直されるたびに、人から対等に見られていないような気がした。
ありがたいことなんだけど、同時に辛さとかプライドがちょっとずつ削られるような気持ちになる。
人に対等に扱われないのが、こうやって少しずつ自尊心を削っていくと思わなかった。
マイノリティの人はこういう扱いを受けやすいというのを、外国語で生活して初めて知って、ほんとに大変だなと思った。

※方言札のことは井上ひさしの『国語元年』か、『吉里吉里人』で読んだ。

    

 

バンクーバーで見た映画(今村昌平のドキュメンタリー映画編:『人間蒸発』『からゆきさん』『未帰還兵を追って』『無法松故郷に帰る』)

バンクーバーに住んでいるのに、近所の図書館の日本映画の旧作コーナーが充実していて、最近は昔の日本映画ばかり見ている。

今村昌平というとカンヌ取った『うなぎ』のイメージだけど、たまたま最初に見た『人間蒸発』というドキュメンタリー映画がおもしろくてはまった。

『人間蒸発』

失踪して連絡が取れなくなることを「蒸発」というが、これはこの映画が発端となって生まれた言葉らしい。
主人公となる女性が、消えた婚約者を探すという話で、婚約者だった男の関係者を訪ね歩くうちに、男の会社の金の使い込みや過去の女関係がどんどん出て来る。
しかし肝心の手がかりは見つからない。

行き詰まった監督は主人公の女性にフォーカスするうちに、後見人役の俳優に主人公の女性が思いを寄せるようになったり、主人公姉妹の確執が明らかになったりする。
姉妹の互いの証言の食い違い、姉の証言を覆す証言をする人物、だれも自分の言うことが真実だと言ってきかず、藪の中状態となり、どちらも引っ込みが着かなくなった登場人物に対して、監督自身が出てきて、これはフィクションなんですからと無理くり収拾させようとする。
もはやメタ的な、ドキュメンタリーとは何かみたいな視点になっていて、無理やり終わらせた感じはあるけど、どんどん関係者にインタビューを重ね、新事実が明らかになっていく様子はスリリングだし、女性が自分はこの映画の主演女優であるという自覚が出てきて、途中から主客転倒して、撮られる側だった主人公が映画を侵食し始めるような部分も面白い。

 



『からゆきさん』

『からゆきさん』は、戦前に東南アジアに売られて、売春に携わったからゆきさんと呼ばれた女性達がおり、それを追ったドキュメンタリー映画だ。
主人公の女性はは現地で連れ子のあるインド人男性と結婚し、未亡人となるが、家を売ったりしてお金を工面して連れ子を大学までやる。
しかし、住むとことがなくなり、今はインド人の連れ子の奥さんの実家の世話になっている。
給料の出ない家政婦代わりの扱いで、連れ子の奥さんの実家の人たちから辛く当たられているけど、帰りたいという思いはない。
それをお金がないせいにしているが、日本での調査をすすめるうちに、彼女が被差別部落の出身であったことがわかり、事態が急転する。
その展開のドラマチックさにまず驚いた。

それから、その主人公の女性が我慢強く、求めるよりも人に与えようとする人、人間の高潔さみたいなものを持った人であることに打たれた。
以前、別のからゆきさんについてのノンフィクションである、山崎朋子の『サンダカン八番娼館』や森崎和江の『からゆきさん』を読んだことがあった。
これら本に出て来る女性も、自らがいちばん貧しい境遇であるにも関わらず自分よりも人のことを思いやり、あたたかみを忘れない人物だった。

両者のこの人間の高潔さがどこから来る物なのかがすごく不思議だった。

でも、そういう人たちがもつ思いやりの心やあたたかみは尊く美しいものに見える。一方で、それが貧しさや差別から来るあきらめの気持ちだったのかもしれないと思うと、胸がふさがるような気持ちになる。

  

 

『未帰還兵を追って』『無法松故郷に帰る』

『未帰還兵を追って』では、ドキュメンタリーのままならなさも見てとれる。
なかなか追っている未帰還兵を見つけることはできない。途中から取材方針を変えて、現地で結婚して帰らない人に会いに行く。そこで、彼が帰らない理由が、イスラム教徒になったからだとわかる。
彼は現地の八幡製鉄所で働いている。日本人の上司にお前はなんでお祈りをするのか、お祈りをしたら仕事が進まないではないか、今度お祈りをしているところを見つけたらクビだと宣告される。
それでも彼はお祈りをやめられず、隠れてお祈りをしている。彼のイスラム教への信心はちょっと滑稽さを感じる。でも、その信仰の真摯さには何か心を打たれるものがある。


この映画はマレーシア編とタイ編があって、残念ながらマレーシア編しか見られていない。しかし、タイ編は『無法松故郷に帰る』というタイトルでさらに続編が作られている。
タイから主人公が一次帰国して、親族に会いに行く話で、妹、兄、別れた恋人、元上官や戦友といろんな人に会いに行く。特にインパクトがあるのは兄で、夫と別れたか死別で連れ子がいて実家に戻っていた妹に折檻をするので、妹は逃げて別の家に住んでいる。兄はそれまで8回だか6回だかとにかくめちゃめちゃ結婚回数が多く、今の奥さんは逃げて、8歳の娘だけが手元に残っている。
主人公は妹と会っているときは血気さかんな感じだけど、その強烈な兄と会うと借りてきた猫みたいにおとなしくなる。妹の折檻をやめるようにと言うけど、何を生意気なと言って聞かない。そして、長崎の原爆でやられて、親族も親兄弟もほとんど残っておらず、墓を建てたり供養してきたのは自分だと、主人公の弟のことを責める。
後半は復員できなかった理由を追求しに行く。ある同郷の人の証言で、死んだことになっていたらしい。兄が恩給をもらうために、ちゃんと確かめなかったんじゃないか疑惑も浮上してきて、『人間蒸発』のときのように藪の中みたいな展開になる。
最後、主人公は結局タイに帰ってしまう。
主人公との再会を泣いて喜んだ上官の反応と対比的だった。
日本のために戦ったのに居場所はない、というのが何とも言えない後味の悪い結末だったけど、主人公はそれに対して不満を言うとか、国を相手に訴えるとかもなく、淡々とタイで農民に戻る。

「未帰還兵」という、本や歴史でしか知らなかった人が生身の肉体をもってあらわれていること、そのたたずまい、仕草や言葉遣いが、たくさんのことを語っている。

 



おしまい


ドキュメンタリーというと、教育的、政治的であるか覗き見趣味の作品が多いと思っていたのだけど、今村監督のはあまりそういうところがなかった。

どうも彼の経歴を調べると、映画監督が撮影所からクビになったりやめたりして、プロダクションを作り始めた頃の走りの監督で、後世を育てようと日本映画学校という専門学校を作ったりしたそうだ。
伝説ドキュメンタリーみたいに言われる原一男の『ゆきゆきて神軍』ももとは今村監督の企画だったらしい。

ドキュメンタリー映画教条主義的で、主張ばっかりあるのに、画面がぐらぐらして録音が聞き取れず何言ってるのかさっぱりで、展開が途中でよくわからなくなるという感じが好きでなかったのだが、今村監督のは画面がばしっと決まってて、構成もしっかりしてて(『人間蒸発』はこじつけ感あったけど)主義主張が先行していないで、取材結果にもとづいて作っている感じで、非常にはっきりした展開で見やすくて、劇映画とドキュメンタリーの両方のいいとこ取りという感じがしたので、はまったのだと思う。

日本映画学校はもうなくなってしまったらしい。
日本映画学校の理事をしていて、今村監督の助監督とか撮影助手とかをしていた武重さんという人がたくさん撮影裏話を書き残しており、それと照らし合わせながら映画を見れるのもいい。

http://www.cinemanest.com/imamura/home.html


特に、『人間蒸発』の主人公だった早川さんに会いに行った回は非常に面白い。映画は終わって、ひとつの作品になる。でも人生はその後も続く。
その後の人生を生きたかが描かれていてそれがすごい面白い。

今村監督の撮り方は、例えば『人間蒸発』の主演俳優との疑似恋愛的な部分は、おそらく今村監督がそうなるようにしむけた部分もあるんだろうとか、盗み撮りとか人の人生をコマに使うようなやり口もあって、ちょっと考えさせられる部分もある。
しかし、そういう撮り方をするから善悪を超えた人間の生々しさがあぶり出るのかもしれない。
現実の方が作り物よりも不可思議だという魅力と迫力があってどはまりした。
日本でまたかかる機会があれば見てみたい。

バンクーバーで見た映画(『戦場のメリークリスマス』大島渚)

バンクーバーに住んでいるのに、近所の図書館の日本映画の旧作コーナーが充実していて、最近は昔の日本映画ばかり見ている。わたしは『シャーロック』とか『ブエノスアイレス』とか『ブロークバックマウンテン』のような男同士が仲良くしている映画が割と好きなんで、戦場のメリークリスマス』もミーハー気分で見た。

戦場のメリークリスマス』は第二次世界大戦中、ジャワの日本軍の捕虜収容所で、
収容所を運営する側の日本人と捕虜のイギリス人たちとの関係を描いている。
坂本龍一演じるヨノイ中尉とデビッドボウイが演じるセリアス、
ビートたけしが演じるハラとトムコンティが演じるロレンス、
彼らの関係にフォーカスしつつ、収容所での人間関係を描いている。

最初は同じ大島監督が新撰組を撮った『御法度』みたいな、
美しい男(セリアスかヨノイ)が男同士の団体をめちゃくちゃにする話だと思っていた。
そういうふうに見ようと思えば見れそうだけど、それは一要素にすぎなくて、それよりもっとわたしはそれよりも極限状態での人間関係とか、戦争による文化の衝突とかもっと大きなものを描いている映画だと感じた。


戦場で敵同士として出会い、捕虜と収容所の責任者という絶対的な上下関係の中で人間関係が作られていく。
その中で、心を通わせられそうな場面、お互いに理解しあえるのではと思う場面があった。そういうシーンはもし人間として別の場所で出会ったとしたらもっといい友人になれたのではないだろうかと感じさせる。

その一方で、それは戦争中の捕虜収容所という極限状態の場所で出会ったからこその理解や共感なのではとも思う。生きるか死ぬかというぎりぎりの緊張があったからこその連帯感ではないかと。だからもし戦場以外で出会っていても理解しようとしなかったのではないかというふうにも見える。

以前『玉砕の軍隊、生還の軍隊』という河野仁さんの本を読んだときに、太平洋戦争でアメリカ軍は生還率が高く日本軍は玉砕した率が高いとあった。
これは、その原因がどこにあるかを、両軍に参加した元兵士の証言や兵隊育成システムにまでさかのぼって分析した本だ。
こういうふうに戦場は、全然違う理屈のもとで戦う兵士たちが出会い、衝突する場だ。戦場はほんものの異人、他者との出会いの場だ。
そういうときに人がどういう行動をとるか。
映画ではそういうときに人が見せる戸惑いや、共通点を見つけた時の思わぬ共感みたいなものが描かれているように感じた。

 

文化の衝突、という見方をすると、いちばんの他者はハラなのかもしれない。
ヨノイ、セリアス、ロレンスは高等教育を受け、互いに英語でコミュニケーションがとれる。彼らは高等教育を受けた人たちがもつエリート文化を共有している。
しかしハラだけはそういうところから置いてけぼりだ。
同じ日本人でもヨノイは二・二六事件で死に遅れたという後悔をもち、武士道精神みたいなものが行動原理にあるが、ハラはおそらく貧しい農村出身で、食うために軍隊にいる。
その分同じように徴兵されてきた部下の気持ちや境遇がわかる。
しかし、その暴力は容赦がなく、武士道が行動原理であるヨノイと違って、何か底知れぬおそろしさを感じ、それが他の者がふるう暴力と異質性を際立たせる。

 

教育だけでなく言葉からみてもハラは異質だ。
ロレンスは通訳で、日本語をしゃべれるが、ヨノイとロレンスは英語で会話している。たけしとロレンスは日本語で会話している。
互いの言葉を通じて互いの文化に触れているヨノイとロレンスとちがって、英語ができないハラにそれはできない。
ハラは他者のままだ。

 

ラストで戦犯となったハラが英国軍の監督下におかれ、逆の立場でロレンスと再会する。英語を学習していたハラはロレンスと英語で会話する。
そのときのハラは一人の人間としてロレンスと出会っている。
そしてようやく自分が、他者にではなく同じ人間に暴力をふるったと後悔しているように見える。
それは言葉を学んだおかげだけでなく、言葉を学ぶということで、「学ぶ」ということをの価値を知ったからではないだろうか。
ハラは軍隊や戦争でなくしていたヒューマニズムを捕虜となり死を前にしてようやく回復したように見える。
そのことが悲しく、切なさを感じた。


あと、坂本龍一の電子音の音楽は、暴力で血が流れる熱帯のどろどろした画面とは対比的にさっぱりとしていてあっていた。

 

  


  


  


バンクーバーで見た映画(『復讐するは我にあり』今村昌平)

バンクーバーに住んでいるのに、近所の図書館の日本映画の旧作コーナーが充実していて、最近は昔の日本映画ばかり見ている。

 

今は今村昌平にはまっていて、昨日は『復讐するは我にあり』を見た。
たまに、時間の感覚がなくなって入り込んで抜けだせなくなるような映画があるけど、この映画もそんな感じだった。

 

もう、しょっぱなからしびれるような出だしで、
パトカーに連行される緒方拳の鼻歌から始まり、俯瞰で山道を行くパトカー、
アップになるタイヤ、不穏な雰囲気の夕暮れ、
そこにちらつく雪、長いトンネルに入り、緒形拳の台詞、そしてそこにかぶさるタイトルバック。
掴みでもう胸が揺さぶられる。

 

この映画の魅力は緒形拳が演じる榎津巌に負っているところが大きい。
榎津は妻には平気で暴力をふるうのに、マザコンで自分の父親には頭が上がらない。
金が欲しいからという理由だけで、罪悪感なく行きずりの人を平気でだましたり、
むごいやり方で最終的には5人も殺している。
だまし方や殺し方は計画性がない。
それで逃げ果せると思っていたのかが不思議で、不気味だ。
そして、そんな男なのに何か人間的な魅力があるようで、逃避行先で何人かの女と出会い、半同棲したりヒモみたいな生活を送ったりしている。

 

それに加えて、この映画には他人同士の謎の共同生活もの、ロードムービー、犯罪もの、男の成長物語といった、いろんな映画のおもしろい要素がつまっている。
最後に長逗留した貸間のおかみ母娘との居候生活や78日間にわたる逃亡生活、詐欺や殺人、そして収監された後の父とのやりとりにそういう部分が垣間見える。

 

榎津がどう騙し、どう逃げたかがこの話のメインだ。
しかし、彼は知能犯でも思想犯でもない。
欲望のまま始終金に執着し、即物的で、短絡的で、行き当たりばったりに人を殺していく。
だから普通の犯人を追うとか動機を知ろうとするとか犯罪そのものの巧妙さで見せる犯罪ものの映画とはちょっと違う。
むしろその行き当たりばったりさが見所なんだと思う。
そこには人間の悪い部分、弱い部分、ダメな部分、ずるい部分がむき出しになっている。

 

しかし、榎津が犯罪を犯した理由は最後まで描かれない。
背景に、彼の一家がキリシタンの末裔であること、宗教を押し付けてくる父との葛藤や父の矛盾やずるさ、嫁と父の不貞疑惑などが描かれている。
そして本当に憎たらしく殺したいのは父親なんだろうけど、父親は殺せなくて、その代わりのように軽犯罪や殺人を犯す。
それは父に対する息子の反抗のようにも見える。
最後まで自分の本心よりも信仰という建前を通そうとした父、行為はなくても気持ちは裏切った妻、父にあらがいきれなかった自分、妻へのあてつけのようにする浮気。

映画の中で榎津やその父が歌うオラショは、誰に歌ったものだろうか。
榎津が捕らえられたときに歌っていた歌は、キリシタンの間で伝わっていたオラショというお祈りの歌で、オラショキリシタンだとばれないように口の中でもごもご歌って何を歌っているかわからないような歌い方をするそうだ。
映画の中で第二のテーマ曲のようになっているオラショは、人殺しや姦淫しようとした物が神に許しを乞う、そういう人間のずるさとか、都合のよさとか、人間の業のようなものを感じさせる。

 

最後に、榎津をヒーローとして奉り上げるわけではないが、榎津のような欲望のままに殺したり犯したりしながらした逃避行の旅路に、羨望を感じる瞬間があった。
映画には自分には決して叶わぬ生き方を追体験するという側面がある。
この映画では榎津の欲望の強烈さに当てられる。
自分の過去で欲望に正直にならなかった瞬間はいくらでもある。
そんなことをしてみたら自分のたががはずれて、自分も他人の人生も壊れてしまうのではないかと恐ろしかったからだ。
そして、欲望のままに正直に生きることとその業を背負うことの恐ろしさに立ちすくみ、それを実現した榎津の姿に強烈に胸をかきむしられる。

    

庭の果物を地域でシェアする試み(バンクーバーA to Z:番外編[The Fruits Tree Project])

バンクーバーは町の規模の割に食べ物への関心が高いです。 
それが面白くて、いろんな集まりに顔を出すようになりました。
前回のいろんな食べ物ワークショップを通じて人とつながりを作る
the food conectionについての記事で
vancouver fruit tree projectのことを紹介しました。
これは個人宅の庭に実る果物をボランティアが収穫して、
地域でシェアするというプロジェクトです。
先日、ちょうど果物収穫のボランティアに参加したので、その様子をレポートします。

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 
○プロジェクトの仕組み

もうじき収穫の秋です。
よその家の庭で、柿なんかが実ったまま腐ったりしていくのを見かけることがあります。そんなとき、「せっかく実っているのにああもったい」ないなんて思ったことはありませんか。
あるいは、自分の家に果物の木がある人だと、庭で果物が実っているけど、収穫する時間もないし、家族が少ないから腐らせてしまう。「何かいい活用法はないだろうか?」なんて悩んでいる人もいるのではないでしょうか。


そういった家庭の庭で実る余った果物を地域でシェアする仕組みが、
Vancouver Fruit Tree Projectです。

vancouverfruittree.com


提供者も収穫する人もすべてボランティア
応募は簡単で、ボランティアになりたい人は、事前にメールで登録します。
果物を提供してくれる協力者の庭の果物の収穫時期がくると、
収穫する果物と、日にちと大まかな場所がメールで届き、収穫する人を募ります。
メンバーは先着順で確定し、収穫ボランティアは当日、指定された場所に向かいます。


○炊き出し用のアップルを収穫
8月のある晴れた午後、さっそくアップルの収穫があるというので
さっそく参加しました。

f:id:kokeshiwabuki:20160819175511j:plain
8月から9月にかけてはアップルの最盛期。ほかにもチェリー、イチゴ、ぶどう、プラムなどのがあるそうです。庭の木といえども、多様性に驚きます。

集合場所に行くと、ピックアップリーダーのCaroさんが迎えてくれました。
ピックアップリーダーはいわゆる現場責任者で、当日収穫に必要な道具を持ってきたり、収穫した果物を指定された場所に届けたりします
車を運転でき、所定の研修を受ければ誰でもなれるそうです。
最初に説明を受け、「収穫時の怪我や植物アレルギーが起きても個人の責任」という誓約書にサインをします。

f:id:kokeshiwabuki:20160819181829j:plain

たわわに実ったリンゴ。残念ながら品種はわからないそう

f:id:kokeshiwabuki:20160819181824j:plain
収穫用の道具。うまく枝をひっかけて、先のカゴや網に果物を落とす仕組みになっています

f:id:kokeshiwabuki:20160819184651j:plain
今回の収穫ボランティアはたまたま女性ばかり。地元のニュースを扱うWebサイトやファーマーズマーケットで知って応募したそうです

フルーツ収穫は、バンクーバーに来てから一度ブルーベリーピッキングに行った以来。
リンゴは初めてでした。
木は高く、実の量が多そうです。

まずは落ちている実や傷んだ実を拾います。
これは寄付せず、地域にあるコンポスト用やハチを飼っている人のための、蜜バチ用の餌になります。
背が届く範囲は手でちぎり、届かなくなるとだんだん道具を使って、上の方を収穫していきます。
枝が揺れると実が落ちてくるので、頭上を注意しながら収穫します。
2時間ほどかけて、作業は終了。
最後に計量しておしまいです。

f:id:kokeshiwabuki:20160819194547j:plain

2時間かかって1つの木から100パウンド(約50キログラム)ほど採れました

収穫中に地面に落ちたリンゴはボランティアで分け合います
これを楽しみにきている人も多いとか。
今回採れたリンゴは、バンクーバーダウンタウンイーストサイドエリアにある
カーネギーホールに寄付するそうです。

ダウンタウンイーストサイドエリアというのは、『地球の歩き方』等のガイドブックでは、必ず行ってはいけない危険地域として書かれています。というのも貧困層が多く、ドラッグユーザーが集まる犯罪多発地域と言われているからです。
カーネギーホールはこのエリアの中心になっているコミュニティセンター(地域の公民館のようなところ)で、貧困層への支援プログラムを実施したり、無料の炊き出しをしたり、食堂で安く食事ができます。
収穫したアップルは炊き出しや食堂で使われると言っていました。


○食に困る人に新鮮な地元の果物を

このプロジェクトが始まったのは17年前。

・食べ物ごみを減らす
・地域の人びとが食べ物で困らないようにする
・果物収穫を通じて人とのつながりをつくる

ことを目的にスタートしました。
現在では収穫量が年々増えており、カーネギーホールの他、デイケア(カナダの保育所のような子どもを預ける施設)や地域の個人宅などに分配したりしています。

 

f:id:kokeshiwabuki:20160827134745j:plain

大型スーパーには設置されているフードバンクへの寄付コーナー

バンクーバーのスーパーには、フードバンクに食べ物を寄付するためのボックスが設置されています。フードバンクというのは、食に困っている人に、個人や企業から食品の寄付を募り、分配する団体で、大型スーパーにはたいてい個人から食品の寄付を募るためのボックスが置いてあります。しかし、その中身を見るとどうしてもファーストフードや加工食品が多く目につきます。
カナダは農業国とはいっても、スーパーで売られている果物の多くはアメリカ、メキシコ産です。また、地元産の果物の旬の時期はとても短く、食べられる機会が少ないです。もちろん、ファーマーズマーケットはさかんです。しかし、スーパーで売られている野菜や果物と比べると値段は割高です。
食べ物に困っている人ほど、新鮮な野菜や果物、旬の食べ物に触れる機会が少なくないといいます。The Fruits Tree Projectは、食べ物に困っている人が地域で採れた新鮮な果物を口にする機会を提供していると感じました。


○「都市の幸」を活用した小型のフードバンク

わたしはこのプロジェクトを知り、「都市の幸」という言葉を思い出しました。
これは、坂口恭平さんのゼロから始める都市型狩猟採集生活 (角川文庫)
という本に出てくる言葉です。

   

 

この本では、狩猟採集生活になぞらえて都市でただ同然で手に入る資源を手に入れて自給自足的な生活する方法を提案しています。
その中で廃材や古着、賞味期限切れの食品といった都市生活で余ったりゴミとして処理されるけどまだ使える資源のことを「都市の幸」と呼んでいました。

前述のフードバンクはそういった企業や個人の持つ「都市の幸」を活用して、食べ物に困っている人を支援する仕組みです。
このプロジェクトは、町中に点在する果物の木という「都市の幸」と収穫ボランティアをメーリングリストによってつなぎ、食べ物に困っている人にそれら「都市の幸」を届けています。このことは、町に点在する果物の木という食料貯蔵庫を利用したフードバンクのようにも見えます。

この取り組みはカナダではメジャーなようで、似たような活動が、バンクーバー以外にオタワ、ウィニペグ、ビクトリア、エドモントンとカナダの各都市に点在しています。

参加の簡単さや仕組みのシンプルさなどを考えると、この取り組みは今後世界に広がる可能性を秘めていると感じます。
日本でも誰かチャレンジしてみませんか?

(The Fruits Tree Project)

https://vancouverfruittree.com/volunteer/

参加費 無料
 ※事前にメンバー登録が必要。
主な活動時期 5月から9月

英語環境の職場で働く(コミュニケーション全般)

前回、前々回に引き続き、英語環境の職場で働いた感想です。
今回はコミュニケーション全般について感じることについて紹介します。

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 

kokeshiwabuki.hatenablog.com

 

英語環境の職場で働いて、いちばんカルチャーショックだったのは、
中国語圏の人たちのコミュニケーション法でした。

f:id:kokeshiwabuki:20160620144735j:plain

チャイナタウンの風景


働いているお店が、中国南部出身の人が始めたお店であるということ、住んでいる地域に中国語圏の人たちが多いということで、従業員もお客さんも中国語を話す人がたくさん来ます。

中国語圏の人たちは会話が中国語ベースで、中国語が通じそうだったら中国語でしゃべりかけてきます。英語でいくら「I am Japanese.」とか、「I can't understand.」といっても全然通じません。
例えば、レシートを見て「値段が違うんじゃないか」とか、新商品を見て「味はどうとか」とかを、本人が英語が下手とかできないとか関係なしに、どんどん質問してきます。中国語なんて第二言語でとったきりですから、最初は困り果てて、適当な笑顔でごまかしていました。
でも、そうすると意思疎通できないことにイライラするお客さんがいたり、どうにか伝えようとねばるお客さんがいてレジが混んであとがつかえるのでよくないなと思い始めました。

ところがある日、別の中国系のカナダ人の2世で、英語しかしゃべれない従業員が中国語で話しかけてきたお客さんに向かって「ティンプトン」と言っているのを聞きました、すると、お客さんはそれ以上しゃべるのをやめることに気づきました。中国語で「わかりません」という意味の言葉です。
そう言うと相手はこちらが中国語がしゃべれないことを理解して、しゃべるのをやめるか、英語に切り替えてくれるのです。つまり、絶対中国語しかしゃべらないわけじゃなく、中国語が通じるなら中国語を話したい、という主義だったわけです。

日本の人は日本語通じるかな?という思いがあるので、相手が日本語がしゃべれるという確証がない限り日本語で話しかけないし、言いたいことがあってもよっぽど自信がないと伝えようとしないことが多いと思います。ところが、中国語圏の人たちの態度は全く逆だったので、ほんとに驚いてしまいました。
そのとっかかりを見つけてからは、わたしも「听不懂(ティンプトン)」と言って、相手が英語に切り替えてくれるか、通訳が必要かが判断できるようになりました。
また、適当に対応していた頃は相手も意思疎通ができずいらだっていて、お互いに感じが悪いという印象をもっていたのですが、ちゃんと対応できるようになると、最後にお礼を言ってくれたり、笑顔を返してくれたりするようになり、意思疎通できたという実感をもてるようになりました。


f:id:kokeshiwabuki:20160724105538j:plain




わたしは昔から接客や電話対応等の場面が非常に苦手でした。
というのも、全然知らない人がいきなり来て、相手がどう出て来るかわからない状況で、こちらが意思表示をしたりいけなかったり、こちらの意図通りの商品やサービスを買ってもらわないといけないということがプレッシャーで、
緊張しすぎてぎこちなくなるというのがしょっちゅうあったのです。

もともとそういう性格な上、いきなり言葉がわからないところに放り込まれたので、
最初は結構おたおたとしていました。
しかし、言葉が通じない分、逆に言葉以外のことでコミュニケーションをはかろうとか、相手の意図を読みとろうとするように心がけるようになりました。
相手がどういう思考法や、コミュニケーション法を取ろうとしているかを考えて、相手のツボをおさえるのが大事だなと改めて気づきました。
それはコミュニケーションにおいてものすごく当たり前のことかもしれませんが、言葉にたよっていると忘れがちになることです。


それは同じ言語で会話するときにも共通することだと思います。
いろんな人の話を聞くと、1、2年で英語はそんなにうまくならないし、
日本で使わないうちに忘れると聞きます。
なので、語学を上達させることやネイティブらしくふるまったりしゃべることも大事ですが、こういうところを鍛えて、日本に帰ったときに役立てていけたらいいなと思っています。